Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

夫婦のベレー帽

先日のことです。

 

インスタグラムやファッションスナップなんかでベレー帽をかぶっているのを見て、

「ちょっといいなぁ」と思った私。

 

産後の抜け毛が落ち着いたとおもったらすぐに生えてきてくれたいま、ボサボサに収集がつかない。ボサボサの究極をいくボサボサだ。

 

ベレー帽あったらボサボサも緩和されそうだし、つーか帽子でかくれそうだし、どうかなぁなんて考えて、

 

となりでネットサーフィンをしているH氏、つまり夫に

「ねぇねぇ、私ベレー帽買おうかと思ってるんだけどどー思う?」と尋ねた。

 

夫はそれを聞いた瞬間、少しえっというような顔をして、にやりとして、

 

「やーーめーーーなっ!ぜったいぜぇぇぇったいやめな!!」と強く言った。

 

「やめときな!絶対!ぜったいに似合わないから!!」と強く言いながら、口元は少し笑っていた。

 

「ちょ。ちょっとちょっと、あんた、なんでまだかぶってもいないのにわかるのよ、かぶってみなきゃわからないでしょうが」と言う私に、

 

「いや!わかる。それくらいはわかる。絶対にあんた似合わない。あのね、ベレー帽はさ、でかい女は似合わないの!あんたは顔もでかいし、身長もでかいしさ、でかい人はベレー帽似合わないってわかる!あっ、そうだ、俺検索してあげるよ、でかい女、似合わない、(カチャカチャとキーをたたく)、おっほらっでてきた、なになに、あれっ、ベレー帽はでかい顔を小さく見せるって・・・、あらま、あんたよかったね、でも身長でかい女の子とは書いてないけど、とにかく似合わないと思うからやめたほうがいいと思う!!」ということをものすごく早口で言った。

 

私は思わず笑ってしまい、「ちょっとあんた、ほんとびっくりするほど口悪いけどさ、もうわかった、ベレー帽はもうわかったし、あんたのとことん悪い性格のこともよーく理解できた」とだけ言ってその話は終了した。

 

H氏は「俺はほんとうのことをハッキリ言っただけだ」と言ってネットサーフィンの続きをしていた。

 

その後、私はその会話をたびたび思い出しては、あいつなぁ・・・・と苦笑いしながら、ふつふつと疑問が湧いた。

 

どうしてまだトライしてないことを、あーやってコテンパンに言われなくちゃいけないんだ、

 

私がやろうと思ったこと、やりたいと思ったこと、欲しいと思ったものなんかを、

H氏の範囲を超えない範囲で制限されて、

それって自由って言えるの?自由って何?自分がやりたいって思ったことを、いつだってチャレンジできることを言うんじゃ無いの?

あたしはこれから一生、ベレー帽もそうだし、ミニスカートもそうだし、ハンチング帽子もそうだし、キャスケットもそうだし、テーラードジャケットや、ヒールの靴や、それらH氏が「別に好きじゃ無い」ものの範囲で選択し続けて、

 

それって何よ、あたしって何よ!?!?!?!?!?!?

 

などということまで考えた。

 

ムカムカする。

 

なんであんなに言われないといけないんだ。あたしの人生ってなんなんだよ?

 

あーなんか腹たってきたなぁぁぁ!!なんて一人でメラメラ怒りながらパソコンに向かっていた深夜、

 

いや、まてよ、何事も人の立場にたって考えるのが必要だった、一方的にムカムカしちゃいけない、

 

そうだ、私ならなんて言うだろう、

私が思う、絶対にベレー帽が似合わない人・・・・

その人に相談されたら・・・・・

 

母・・・・

 

母が「ねぇ私ベレー帽買おうかと思うんだけど」っていきなり相談してきたらどうだろう

 

おそらく「えっ、なんで?なんでベレー帽?テレビで見たの?違う帽子にしたら?」と少し驚いて言うだろう。とりあえず否定する。チャレンジしてみなよ!とは言わない、どうしてかというと60歳を超えた母(冬はいつもノースフェースのダウンを着ている)にはたぶん、似合わないからだ。

 

幼馴染に「ねぇベレー帽どう思う?」聞かれたら・・・・

「えっ・・・・まぁ・・・試着してみたら・・・・とにかく試着してみたら」と言うだろう。あからさまに傷つけるような言い方はしない。人として当然のことだ。

 

夫だったら

「おっあんたベレー帽なんてかぶって、ついに手塚目指す気?」と言う。そんなことは本気ではないと思うが一応傷つけない言い方(私的に)を目指したい。

 

兄ならどうだ、

「ねぇ、ベレー帽買おうと思ったらどうする?」なんて万が一にも聞かれたら、

「やめなっ!絶対やめなっ!!あんた顔でかいんだからベレー帽なんてはいんないよ!よっぽど個性的なキャラめざしたいなら別だけど、そうじゃないならやめな!」

そう半笑いで答える、とほほ、あたしもH氏と一緒じゃん、とほほほ、だってにーちゃん絶対ベレー帽似合わないんだもん・・・・

 

あれ?そうか、私とにーちゃんは似てるんだった、そんなにオシャレじゃ無いのに目指しているところも同じだ、

 

にーちゃんにはたぶんベレー帽は着こなせない、それは私ときっと同じ?

 

そうかそうか、それにしてもH氏の口と性格の悪さはちょっと置いといて、私ってベレー帽似合わないのかもねぇ、ちょっと他の人にも聞いてみよう、などと色々と思った翌日、

 

母に「ねぇ私ベレー帽似合わないと思う?欲しいんだけど」と言うと「うーん、あんまり似合わないんじゃない、ピンとこないかな」と苦笑いで控えめに言われ、

 

兄に同じ質問をすると「あんた絶対へんだからやめな、ブスはああゆう帽子へんだよ」などと言われ、

 

横浜の同期に同じ質問をすると「うーん、ちょっと似合わないかなぁ」とメールで返信が来て、

 

H氏が言った「俺は本当のこと言っただけだ」というコメントがぼんやり浮かんだ。

 

 

 

私は全員にベレー帽が似合わないと言われたことや、

なんでそもそも自分でベレー帽が欲しいと思ったんだっけなぁなんて考えながら、

 

本当のことをハッキリ言ってくれる人との生活は、しあわせなんだろうか、不自由なんだろうか、安心なんだろうか、安全とも言えるんだろうか、なんてこと思った。

 

 

 

そうして昨日、夫が連れて言ってくれた北海道東川町の、暮らしの住まい設計というオシャレなお店で、

 

すっごくおしゃれでかわいいニットの帽子を発見して、H氏に「これ買おうと思うんだけどどう思う?」と聞くと、

 

「うん、いいんじゃない、U子に似合うと思うよ」などと言ってもらえて、私はルンルン気分でそれを購入し、その車の中でかぶって家に帰ったのであった。

 

 

夫婦の間でそういうことがあったという、ただそういう話です。