Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

いつかの日

今日もなんでもない、普通の一日であった。

 

でも自分のとなりや裏側では、死ぬほどつらいことが起きてる。

 

わたしが生きてて笑ってても、子どもたちに大きな声をだしてたりしても、大きな人生の渦みたいな中で、ぐるぐると普通の顔で胸が張り裂けけるみたいなことが起きてる。

 

私たちは職業柄、いやというほど、誰かのそういう場面を近くの中の一番遠くから、見守ってきた。見つめてきた。

 

いいことと同じことみたいなボリュームで、辛いことも起きるけど、いろんなひとの暖かい思いが届けばいいです。 

 

 

こどもたちの寝息に耳をすませて、うっすらと汗かいた額にキスして、まるで私が守られてるみたいにして、今日は眠る。

ようこそカヌー

北海道に帰ってきて早7年…

 

ついにマイカヌーを得ました。北海道生活もついにそこまで来たか、という感じ。

唇光らせてヒール鳴らしてた過去は仄暗いアルバムの底に沈んでしまったとです

 

 

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このカヌーです。めちゃかっこいい!グラマン って言うんですって!!

 

地元の幼なじみ一家がそれぞれ東京や札幌などに移住してタワマン生活をエンジョイしてるため、もうこんな北海道の倉庫にホコリだらけになってるカヌー、あっても使わないからってことで一色カヌー道具全部まるっと譲渡してくれたのが1年前。

 

ついに初進水式?浸水式?だぜ!ということで湖に浮かべ、問題なく浮かべたので最高でした。

 

近所のママ友一家と一緒にカヌーしたりドローン飛ばしたり、え、セレブ?もしかしてセレブの休日ですか?という有様。

 

これあれだよね?下手したらバチェラーが用意するデートに出てきてもいいくらいのやつですね?というくらいの美しいロケーションなので、水遊びなんかしたら、どうしてもドヤ感がジンワリにじんでしまう。

あたしそんなセレブ自慢みたいなそういうことじゃないですのに〜

 

しかも家から車で30分くらいのところという近場っぷりですの。

 

こうなってくるとますます地元愛が駄々上がりで、北海道に住んでて良かった〜と心から思える。とくにコロナのこの騒動で。みなさんどうですか、北海道。移住しませんか、とお誘いしたい。ジモティーで探せば空き家を無料で貸し出すやつとかやってるみたいだし。

 

このどこいくのでも畑と山しかなくて、スーパーとイオン北海道しか買い物する場所がないような田舎がダサくてモサくてうんざりしたこともあったけどさ…もうすぐ37歳だしさ、もうそういうのもそろそろ卒業しないとネ…

 

地元があまりに色々と素晴らしすぎて嫌味なドヤ感が滲み出てしまう風景ですが、こちらは昔からの有名なソッチ系スポット。

ネトフリで呪怨のドラマを見てからまだ怯えてるわたしはその話を聞いて恐ろしすぎて家で夜中金縛りにあいました。とほほほ

 

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しかし美しいものは美しい。

山をとことん進んでいくと山深いところにヨーロッパみたいな高級なホテルもありまして、シャイニング的な体験できるかも。興味あるかたは是非。

 

フォトグラフの一歩

先日すごく久しぶりに写真展を見にいきました。

 

写真展、といっても展示数が70ちょっとの小さい企画展だったんですけど、それがけっこう、良かった。良かったんです。

 

私は昔から絵画鑑賞というか、絵をみることだけは好きなんだけど、彫刻や現代アートみたいな空間展示物についてはいくら見にいってもてんで理解できない。

 

芸術を見る上で、やっぱり個人的に見て楽しいのは共感を得ることというか、アートと私の何らかの共有というか、まぁうまく言葉にできないけど、そんなところで、

 

写真についても同様、「何がすごいのかよくわからん」という感じでずっと思ってた。

 

昔好きだった人が写真が好きだった人の冷蔵庫に森山大道の写真展のフライヤーが貼ってあって、ストーカーみたいに気持ち悪く恵比寿まで一人はるばる見に行ったことが最初の写真展示だった。

 

森山大道の写真を隅々まで見て「なんかやっぱよくわからなかったな」と思いながら帰宅してから早10年以上経過し、それでも懲りずに写真展があれば見に行った。名前も知らない写真家や、植田正治さんなんかの。それでも毎回「やっぱわかんない」感想はいつも同じ。

 

夫も個人的に写真やカメラを趣味みたいにしているため、星野道夫さんや岩合さんや石川直樹さんのこととか話題になるし、石川直樹さんは知床にちょくちょく来てくれたりするので、そんなときはとても楽しみにせっせと出かけて行ったりしているため、結婚してから何かと写真については話題にのぼる。

 

そしてその都度、とにかく「写真のことはよくわからんな」というのがずっと長年、そうだったんですが。

 

その小さな写真展には、杉本博司さんや森山大道なんかの写真も少しあって、子どもたちに「早く帰ろう」「こんなのつまらない」などとブーブー文句言われて見た中でも、一枚一枚見てるうちに、

あれ?当たり前の基本中の基本なんだけど、あれ、写真て、ほんとに、この現実に実際に起こったことが目の前にあるんだな、と唐突に改めて思った。

 

そんなのもちろん当たり前なんだけど、当たり前すぎて意識したことなかったというか。だけど絵画やつくられたものとは全然違う。

 

どこかで実際に起こったシーンそのもの、そのことが、出来事が、場所や時間をぐーんと飛び越えて、私の目の前に、ただの事実として、ある・・・

 

その場面を切り取った人の、そこにあった気持ち、そこにあった本当のことが、なんの脚色もなく、見え方が、切り取り方が人と違う中で、ほんとうに起こったことが、写真の中には記録されてるのか。

いやいや、脚色もあるよね。セッティングして撮る写真もあるじゃない。これは自然の写真だけどね、作り込んで移す写真もあるじゃなね。それってジャンルとかあるの?写実的なリアルな絵と、ブロックみたいなキュピズムの絵とさ、そういうののみたいな違い?

でも写真に写した事実は事実じゃん、だけど何を移すかってさ、え、みんな、みんなって何を撮ってんのさ?

 

そう思うとなんかしょっと写真も面白いかも!という気になった新鮮な体験でした。

やっぱり最初よくわからんくても根気強くやってればいずれちょっとのカケラくらい楽しめるようになるのかも。諦めずに続けててよかった。これから写真展行く時の楽しみ増えそう。というだけの話です。

 

 

それはそうと夏も終わりかけなんですけど、本日はいきいなり1年に1回くらいのペースで訪れる偏頭痛発作が起きまして、仕事をお休みするという哀しいできごとがありました。とほほほ

 

 

偏頭痛発作!つらい!しんどい!!

立ってられないくらいの吐き気と頭痛に襲われるんですけど、これってなおるんでしょうか?

高齢者になってからこれ起こったら救急車呼ばれる気がする・・

 

本日は職場で突然の視野狭窄のほかに、失語?みたいな症状も出てうまく話せなくなり、ほんと周囲の人に心配かけてヨタヨタと帰宅しました。とほほほ

 

そんなわけで日中ずっと寝てたので本日は寝落ちせずのブログ更新。頭痛は残ってるけどあとは自然に任せるしかない。

 

夏野菜に追われてる北海道。毎日トマトやらトウモロコシやらピーマンやらナスやらに恵まれてたまに腐らせてます。

だって冷蔵庫に入りきらないほどもらうんですもの!!!

 

今日は出産したばかりの横浜の友人に少しおすそ分けのため送りました。

 

常温・・・でいいと思います・・・・などと言ってコンビニから常温で送った。

金曜日につくって言ってたけど腐ってたらどうしよ。その辺んことはよくわからない。冷蔵だったらなんとなく適さない気がするんですけどどうなんでしょうか。

 

 

あっという間に八月末ですね。毎年のことながら夏ってほんと早く過ぎ去る。

 

八月は毎年遊び過ぎてしまうのが反省なんだけど、今年も一応近所のダムにざりがに釣りに行ったり、近隣の海に遊びに行ったり、釧路川で川くだりしたり、湖畔でキャンプしたりと割と充実して遊んでました。よかったよかった。

今年もめでたくこんがり日焼けした上にサンダルの日焼け後もしっかりついている。安心する。

 

 

みなさんの夏はいい夏でしたか。コロナで何かとしんどいことも多い世の中ですけど、早く終息してくれると願って、こんな夏もあったよね、と言いたい。

 

 

さて、おやすみなさい。明日こそ今日お休みした分挽回してがんばりたい。

 

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遊びの記録。

 

みなさん、北海道は混んでなくていいですよ。

リモートワークも進んでることだし、ぜひ移住しませんかね?とおすすめしたい気持ち

 

LOW

夫がマグロ釣り遠征から22時すぎに帰宅し、

それまでは「ふ〜〜〜〜♩♪♫」みたいな気持ちだったのに、

彼が「ただいま〜〜あ〜〜ッ疲れたぁ〜〜〜ッ!腰いてぇ〜〜〜ッ!お腹すいたぁ〜〜〜ッ!!」とか言って玄関あけてリビングにきた瞬間、イライラが沸点に達してめっちゃ冷たい態度とった私です、こんばんわ。

 

私が寝かしつけしてる間、お腹がすいたとか言って、なか卯で購入したうどんをズルズルとすすりながら、変なユーチューブ番組見てたのがまた腹ただしい。この世のものとは思えないほど腹たつ音DETH!!!

 

腹たちながらかわいい息子を寝かしつけて寝室のドアをガラリと開けると夫はびっくりしたように「お。どうした、寝たのかと思った」とか言って意味のわらかんYouTube番組を引き続き見ようとしていたので、

 

お前にそのくだらん意味のわからんYouTube見てまったりする時間はゼロである!!!!!という強い気持ちで「あたし映画の続きみるから」とぼそりと言ってくだらんチャンネルを切ってアマゾンプライムで途中であった「こんな夜更けにバナナかよ」の続きを見ました。

 

途中夫から「さっきご飯食べてたら息子(5歳)がお茶入れてくれた、めっちゃ優しい」とかくだらんことを話しかけてきたので「そうでしょ、私が育ててますから」と強めのイヤミもかましておいた。

 

大泉洋の映画初めてみたの?」とも話しかけてきたのでそれは無視した。

 

こんな夜更けにバナナかよ、をひとしきり鑑賞し、涙し、色々と思うところがあり、グズグズと鼻をならしてるうちに夫が就寝し、そしたらイライラもす〜〜っと軽減されてなくなってブログ更新してます。

えっと、私のイライラって何?どっからやってきたの?もしや夫の守護霊的なやつの関係?

 

 

「こんな夜更けにバナナかよ」は私が大学生のときに話題になった本で、ここ北海道でおこった筋ジストロフィーの患者・生活者と介護者との関係性、実際の生き方を書いた本で、生活者と介護者が対等な関係である「ノーマライゼーション」という理念?について学ぶ時に、先生が例に出していた。

「いい本だから読んでみてください」ってな感じ。

 

本は読まなかったけど、15年以上経過した今、映画すごく観てよかったです。

 

 

 

 

連休はみなさん、どのようにお過ごしですか。

 

まさか体育の日がスポーツの日に転換され、そしてその連休が感染症拡大へのバッドタイミングになるかもしれないなんて、

ほんと未来はどんなことが起こるのかなんてちっとも想像も予想もできない。

 

 

 

子どもたちは毎日あいかわらず普通にしていて、常にひまそうで楽しそうで幸せそうです。

 

私はというと、ちょっと仕事から離れて、映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり、たくさん掃除したり、不要なものをたくさん捨てて、気持ちを切り替えようと努力するような感じの連休。なかなか悪くないよね。

 

 

明日は夫がマグロの片付けするそうで、私はいまローギアなのでちょっとめんどくさい気持ちですが、それではおやすみなさい。

 

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先日息子の幼稚園での花火大会でした。

少し前まで私とぴったり見てたのに、今は友だちと並んで見るようになったんだな、と成長を感じた。少しの寂しさとともに。

 

 

あとは香水よく聴いてます

いま流行ってるんですね。夜ラジオから流れてきて、確かに耳に残る歌だなと思ってた。

ど〜るちぇあ〜んどがっぱなぁ〜ってところがクセになる

 


香水 / 瑛人 (Official Music Video)

真夜中のティー

三浦春馬くんがなくなって、深く落ち込んで悲しんでいます。

 

ふとした瞬間にそのことを思い出し、ウッと穴に落ちたみたいな気持ちになる。

同僚に「まだ悲しい、1日に20回くらいは三浦春馬のこと考えてる」と言うと、「わかります、私もです」と言っていた。

 

何がそんなに悲しいのか。

特別ファンクラブとかに入会して握手会などにせっせとでかけていたわけじゃない、それでも彼がこの世を去ったことが、何がそんなに悲しくさせるのか。

 

他の違う俳優だったらどうだろうか。例えばあの人とか、その人とか。色々考えてみたけど、結局のところ悲しみが薄まったりはしない。

 

才能に溢れ、色々と十分に恵まれているように見える人が、そうではなかった事実、そんなことは全くもって幻想だったってことをドンと突きつけられるような、、、、

 

 

とにかく深く悲しんで、こんな時間まで君に届けみながら涙してました。だって夫は遠くまでクロマグロ釣りに行って不在ですので。

 

 

最近、落ち込むことがひどく続く。三浦春馬が亡くなったことも加えて、疲れて哀しい気持ちになることが多い数日だった。

 

そんな日もある。誰にだって、クソみたいな日だってもちろんあるのだ。

つーかクソみたいなことがないことのほうがないというか。

クソみたいなことが1日にひとつは絶対あるというか。クソみたいなことの延長線上に、本当に信じられないほどクソ感動するようなことが時々あるから、まぁやっていけるんだろうけど。

 

とういことで何かスッキリした気分になりたくて、夜な夜なキッチンを掃除してました。

掃除が終わってツイッターで見た「フランスマダムが教えてる美味しい紅茶の入れ方」で明日家族で飲む紅茶をつくってる間にブログ更新。

 

真夜中、夏の雨の夜にのそのそ起き出してキッチンを磨く。夏のことと、吉本ばななのキッチンを思い出しながら、私にもそういうものがあって良かったな、などと思った。

 

 

そういうこともある。そうやって自分にできることをできる分だけやる。

 

 

 

マダムの紅茶は、鍋に2リットルのお湯をわかして、紅茶のティーバッグを3つ放り込んで蓋をして、21分タイマーをかけて放置して蒸らしてできあがり。スッキリとしたアイスティーになって、ほんと美味しいです。おすすめ。

 

 

おいてる、ついてる

なにかとまた書いてませんでしたが、眠れないのでブログ更新。

 

頭が冴えて眠れない。そんなこと1年にあるかないかなんだけど、それが本日、今夜、ということです。

しっぽでも出てきて大きなゴリラにでもなったりして。それならそれで別にいいけど、息子たちに怖がられてハグできないのだけは困る。

最近は物欲も欲しいものなくて停滞気味だし(というか欲しいものは迷わず購入してる)、性欲も減退、食欲だけは高値で更新しすぎてて困ってます。

ハァ、どんどん持ってこい!という胃袋の指令。

 

本日は自分の老いを受け入れるという話です。

 

老いて肥えてたるんだ自分の姿、特に子どもたちの写真にはじのほうでちょこっと写ってる自分の姿を見てショックを受けるようになり、つい拡大して見たくないはずの現実(肌ツヤなど)を直視してしまう。

まるでNetflixのドラマの呪怨を音消して字幕で観てるような矛盾です。

 

30代すぎると衰えは早い。家族に愛されて実に幸せだと老けるのも超特急なのか…なんていきなりの幸せ自慢でもしなくちゃ自分を保てない。

 

おそらくわたしの生命の女性としてのエネルギーはすべて老けた。辛いけれども、もうそういうことだ。

 

去年の夏、噴水パークで高校の後輩(男)に偶然出会い、久しぶり〜!と声をかけたら、

誰か全然わかんない!!だってU子さんて、もっとギラギラした感じでしたよね!?とか言われ、おい、それどんな意味とか思ってて、

 

今年の春、高校の同級生に職場で久しぶりに再開したときも、共通の上司からU子さんはもっと派手な感じだったけど落ち着いてたと言ってましたよ、と謎の報告をされ、

 

そして昨日の夕方、昼寝おきで、マスクにメガネでボロボロのジーンズで風呂も入らないままコープ(スーパー)で買い物してるところ、夫婦で買い物をしていた中学の元カレとみそ売り場で遭遇し、「わっ、誰が全然わからんかった」とか驚かれた。

 

 

私どちらかというと若い男よりも萎れかかってる男性のほうが好きなタイプなので、男の外見の劣化、特に最近の夫については歳とって素敵だと思えるのに自分のシワやたるみについては目を晒したくなる。

夫も褒めてくれないし、息子たちしか褒めてくれない中、せまりくる40代に向けて老いを受け入れるようにしていきたいです。という老いの話でした。

 

 

今日もみんなマスクして会議してました。

信じられないよね、こんな世の中。新しい生活様式って言ったって、こんな人々の生活の根底がゆらぐことが起きるなんて、とか思いながら話を聞いていた。

会議の8割は意味のない時間だよな、なんて思って、机のとなりのあの人が何を思って仕事してるかなんて、全然想像もつかないよな、とか思った今日でした。

 

 

モトカレ

まったくもって「田舎あるある」の話で恐縮なんだけど、

先日同僚の口から「U子ちゃんって●●くんって知ってる?」と唐突に高校1年から3年生のときまでびっちり付き合っていた元彼の名前が出てびっくりした。

 

数年前に大型スーパーで見かけたとき、毛玉だらけのジャージにボロボロのセーター、便所サンダルみたいな出で立ちで、最後に見たときからおそらく2倍の体重くらいまで肥えてたし、まさか金銭的なトラブルによりついに逮捕でもされたのでは?という思いが頭をよぎりながら

 

「・・・知ってるけど、どうかした?」とおそるおそる聞いたんだけど、

 

同僚は「いや、うちの旦那と友だちで、この週末家に遊びにきてたのさ、てゆーかよく遊びに来るんだよね。昨日なんとなく高校のときの彼女の話になってちょっと名前言ってみてって言ったらU子ちゃんだったから家で大きな声でた」と言ってふふふ、と笑うのだった。

 

地元せま〜〜!!

 

そうしてしばらくぶりに高校の元彼のことを思い出し、ひとつ思い出したらふたつ思い出して、ふたつ思い出したらみっつ思い出して、そういうことってありませんか。

 

とにかく同僚に、

「彼さ、よくU子ちゃんが通っている高校まで自転車で迎えに行ってたって話してたよ」と言われて、そうそう、ぜんぜん忘れてたけど、よく高校までボロボロのチャリで迎えに来てくれてた!

 

そうして二人乗りして、ギーコギーコしながら家まで送ってもらってたんだわ!

 

まったくもって忘れてた!そんなこともあった!

 

めっちゃ久しぶりにその記憶引き出しから出したけど、あんなに何回も迎えにきてくれてたのに今まで全然まったく思い出すこともなかった!!

 

20年ぶりに思い出した元彼の記憶は、自分でも意外なほどに私の記憶をゆさぶった。

 

私の記憶の中の彼は、なんてゆうかすごーくだらしなくて、お金なくて、お金ないのは高校生だからとかそういう問題でなくなくて、たくさんつきあったけどとにかく「だらしない」そんなイメージしか残ってなくて、いつも「あの人と別れて本当に良かった」と思ってその後の人生を過ごしてきた。

 

だけど大人になった私が彼を冷静に振り返ってみると、明るくて楽しくて優しい人だったのがよく分かる。ほんとはとってもいい人。私を傷つけるようなひどいことなんて言わないような人。

 

そういうことって、全部忘れちゃうんだなぁ。びっくりしませんか。「してあげた」ことはイヤらしくほとんど覚えてるのに、してもらったことはほんとに真っ白に近いところまで忘れているなんて。

 

 

 

私はもしかしたら、今までもそうだったのかも。

自分が誰かにしてあげたことばっかり記憶に刻んで、誰かにしてもらったことは当たり前の顔で「ありがとー」なんて言って忘れて、もしかしたらそうやって忘れて生活してきたのかもしれない。

 

あの人はどんだけしてあげても、してもらうのに慣れてるってな感じで、助けてもらうのが当たり前みたいな、やってもらうのが当たり前みたいな、そういう顔してたのかも。

 

これからはしてあげたことはまぁ全部忘れてもいいから、してもらったことは忘れないようにしたい

 

自分が何を貢献したか、自分がどんだけいいことをしたか、自分がどのくらいの能力があるのかってことは考えなくていいから、人にどれくらい気にかけてもらってて、それがどのくらいありがたいことかってことを考えられる人になりたい・・・・・

 

 

ということで、元彼のことで考えてた1週間でした。

 

 

コロナも少し落ち着いて、明日からは幼稚園も通常保育開始。

2月末から今まで長い3ヶ月だった。子どもたちはへっちゃらな顔して過ごしている。明日からは今よりもうちょっと楽しい日々になればいい。

 

 

してあげたことは忘れて、してもらったことだけを覚えて生きていけたら、それってけっこう素敵なことだと思えてきた。

 

私があの人と高校の3年もつきあったのは、最終的にこの結論に達するためでけっこう意味あったのかも。なんてね、おやすみなさい。