Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

お星さまに

夏になる少し前のこと、我が家のかわいいかわいいかわいい最愛の長女がお空に行ってしまいました。

 

 

大丈夫、何も言わないでいるのが正解だと思う、少なくとも私には。

我が子を失った人にかける言葉なんて存在しない。

何を言われても、「どうか何も言わないで」と思って過ごしてきた。

わかったようなこと言わないで、私を慰めようとしないで、あなたの言葉になんて私慰められない、そう思ってしまうほどに悲しみは深い。

 

お空に帰ってしまったことを、「お星さまになったんだよ」という表現を、これまでいろんなところで見たり聞いたりしてきたけど、

娘を失ってきく「お星さまになったんだ」という響きは格別の意味を持っていた。

 

お空で待っていてくれる、娘もひろい宇宙の、キラキラのお星さまに混ざって、いつもあんなふうに、ふわふわと可愛く、大好きって、わらって見ていてくれる。

 

おかあさんはだいじょうぶだからねって約束したけど、

こんなに悲しいことがあるのか、というほどに悲しい。

 

いつまで経っても悲しみは日々悲しみのままそこに存在していて、今でも嘘かと思う。

いないことが嘘のよう。

嘘だって言ってほしい。

本当は夢だよって、そうだったら、もしそうだったんなら。

 

娘のいない世界は、これまでと同じように変わらない日々で、失った私たちの喪失だけがそこでそのままでいる。

 

私たちの時間はずっとそこから動けない。あの大事だった日々、娘が頑張っていた日々、いなくなってしまったあの時、いつまで経ったって、そこの気持ちから、目を離せない。

 

自分が二手に分かれたようで、日常を楽しみ、目の前の生活を進んでいく私と、

いつまでも可愛い最高にいとしい娘のそばで、共にいる永遠の私。

 

時間と共にそれが乖離しないでほしい。できたら二つの自分は、いつも共にいてほしい。

 

 

あれから日々忙しく、仕事も当たり前に始まって、何にもなかったかのように仕事してるし、家族の生活はいつも通り進んでいくけど、もう前には戻れない。

 

私たちは失って、それでも未来を生きていくしかない。