Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

心疾患児の親になった健忘録①(胎児診断について)

ペイフォワード、という言葉、聞いたことあるでしょうか?そう、有名な映画のタイトルのやつです。

 

誰からか受け取った恩とか親切をうけとったら、それを受け取った自分もまた誰かに渡し、どんどん親切やいいことがつながっていく的な、そういう話ですが。

私けっこうこの映画みたとき深く心に刻まれましてですね、そしてインターネット時代になり、ホテルやレストラン、アマゾンのレビューなどを参考にするたび、みなさん貴重なレビューをありがとう、私もペイフォワードします‥なんてせっせとレビュー更新していたわけですけれども。(私の趣味はシールを集めることと、Amazonレビューを書くこと)

 

今回、3子目の妊娠から娘の出産にあたり、なかなかあまり私のこれまでの人生としては経験しがたい経験になったなぁとしみじみ思ったので、いい情報になるかどうかは書いてみないとわからないけども、しかしこれをみた先天性心疾患をもつ親御さんの、少しの助けになったらいいなぁという気持ちで、健忘録を書いてみようかと思います。せっかく長年ブログやってるんだし。

 

見る人がいるかどうかはおいといて、自分のためにも、あぁそうだったなぁって10年後に思い出せるように。

ちなみに胎児診断から出産まではかなり気持ちが揺れていて、正直に書くと何度もおろそうか悩んだし、生まれてきてすぐの赤ちゃんに何度も手術することが本当に正しいことなのか、生命の限界とは何か、医療の限界とは何か、障害とは何か、胎児の命は誰のものなのか、ゲノム検査で将来的に10歳で病気になって亡くなる人が事前に分かっていたとしたら堕胎するのか、その場合とこれに何の違いがあるのか、優生思想とはいったいどこまでを指すのか、などなどなど、かなり大きな葛藤があったんですけれど、まぁすべて過ぎ去った今となったら現実は現実としてそこにある、という感じ。

 

私たちの選択に次ぐ選択の結果が今の生活なのであって、何を選択していたところでそう思ったかもしれない。

結果より気持ち的に辛くなさそうなほうを選んだのが今の私たちと言えるんだけども、一ついうと、これまでに辛いことや不安なことは山盛りたくさんあったけども、ひとつも不幸なことはなかったということです。本当にひとつもなかった。夫はどう思ってるかは知らんけど、少なくとも私には無かった。

 

多くの人たちが、いろんな方法でサポートしてくれたし、そしてそれはこれからも私たちが求めればきっとそうだろう。

私たちはそういう世界で生活してるんだなってことを知ったというか。

 

健忘録は旅行記のようなものなので、あまり興味のない方には有用な情報はないと思われますです!!

面白いことは書いてありませんですます!!

 

そしてなにぶんインターネットの世界なので、ふだんは嘘偽りなく己の心中を徒然なるままに吐露しているわたくしですが、わたしたち家族と周囲をとりまく個人情報保護のため、いろんなことが特定されないように配慮して書いていきたいと思います。自らが感じた感情については変わらず徒然なるままに書いていくぅ!(きまぐれクック)

 

たいせつなものは、めにみえない・・・王子様はにかいくりかえした・・・(意味不明)

 

 

・胎児診断までの流れ(ショック・葛藤)

重症の心疾患児にとって重要なのは、なんといっても出生前に異常がわかってるか、わかってないかという点が大事というのはうちの胎児が診断されてから知ったことですが。

なんか変だね、なんとなく違和感、うーんこれはなんだろうなんか見えにくい・・とか通常の妊婦健診でエコーしててもなかなかわからず、生まれてきて赤ちゃんなんか元気ないし超チアノーゼなんですけど?みたいな感じでエコーしたら、どしぇーこれは大きい病院には、搬送しなければ!急げ急げ!ということももちろんある。ここでしっかり書いておきたいのは、通常の妊婦健診で異常や正常を見れる時間はかなり限られていて、万が一生まれてくるまでに胎児の血管の異常や他の奇形が分からなかったとしても、それは決して担当している医師を責めるようなことではないということです。それは念を押して言いたい。

 

私は通常の妊婦健診にプラスして、別途料金をお支払いして検査技師さんが1時間くらいかけてしっかりみてくれる胎児スクリーニング検査を行いました。

上の子たちの出産のときもうけた気がするけれども、何も異常ないですね、としか言われたことがないためあまり覚えてない。まぁ健康のときのそういうものってその程度ですわ。

胎児スクリーニング検査を受けるにあたり、異常があった場合、結果について「すべての結果を知らせてほしい」「知らせて欲しくない」「必要なことだけを知らせてほしい」みたいなチェックがある同意書に、すべて知らせてちょんまげ私の名・夫の名とも二人でサインして提出しました。

気持ち軽めに受診して、いつもみたいにぼけっとしてたんだけど、エコーあててくれてる技師さんが心臓みてるとき明らかに無言、何度も同じ弁周辺を必死でみてるし、シリアスな顔で何回も同じ場所をグリグリしている・・・・ひぃ…こわい…

「今日って診察ありましたか?」明るく質問してるくれる技師さんに「いえ・・この結果のあと診察って聞いていたのでまだです・・」「あ、そうですか。前回のエコーのときって何か言われたとかそういうことありました?」「いえ・・特には・・」「そうですか、えっと、ちょっと見えにくいところあるので先生も一緒に見てもらいますね」と努めて明るい冷静さを保った検査技師さんは産科医Drをコールして、もうこの時点で私の手足の抹消血管は縮んで緊張し、「はい、きた、これなんか変なのあるときの医療者の対応〜!!ぴえ〜〜ん!!」みたいな心境で先生やってきて、二人で心臓の血管があーだこーだと20分くらい協議しエコー終了。重い気持ちで起き上がると、「ちょっと今の時点で分かってることをお伝えしますね」ってな感じで診察室に呼ばれ、どうやら胎児の心臓に奇形があること、そうなるとなかなか地元の病院で出産するのは難しいため、より大きな病院での出産になることを告げられました。

 

しかしここで本当に心から悩んだのは、まだ胎児スクリーニング検査をした時点では、堕胎できる週数だったということ。

私個人の心境としては、せっかくお腹にきてくれた命を大切に育てていこう、何がなんでもこの子を守りたい!っていうような前向きな感情で産むことを決めたというよりも、

「この腹の人を堕胎するとしたら具体的にどのような手順になるか」ということをじっくり考えたときに、それを乗り越えられる気がしなかった、という消去法だった。

思考はできるだけ入念に具体的に想像し、丘の上にある夫の家の墓に納骨して線香をともし手を合わせる自分と夫や、この腹の子の母子手帳とエコー写真を家のどこにどうやって保管するか・・・までも想像し、苦しい気持ちになったりもした。

障害児の親になる重圧や不安に押し潰れそうだったし、これからこの先の私たち家族に起こる生活の変化は計り知れないだろうと思ったし、上の子ふたりに割けるパワーや学費、私が働けなくなる(かもしれない)ことでの収入減、生まれてくる子のこと、私は家族を守っていけるのか・・・などなどなど。

 

たくさん自分自身と相談して、近所のママ友や長年の友人、職場でアサーティブな先輩たちにも何かと心境を聞いてもらい、時には一緒に悩んで涙してくれたりもして少しずつ気持ちを整理していき、反面夫とはこれについてはあんまり話さなかった。

 

夫は終始「いくら医療が進歩してるとはいえ生命の域を超えてるんじゃないか」という点については悩んでいたようだし、「でも俺がどう考えていたとしても出産に関しては結局はU子が決めることと俺は思う、俺はそれに従っていくだけ」というスタンスだった。

 

そんなこと言われたって…私が決めろって無責任な…とか思ったが、

彼が言うように、じゃあ仮に俺はおろしてほしいって言われたらあんたそうだねっておろすわけ?とか自分に質問しても、答えは明らかにノーだったし、さすが私の夫、私のことよく知ってるなとも思い、なので堕胎するかどうかについては法的にどうするか決めなければいけない前の夜にラインで「今の時点ではおろす気持ちないです」と送ると、夫からは了解、と返信があった。

 

まぁそれからは言われるがままに大きな病院を受診して、大きくなるまでに何度か心臓の手術をする可能性が高いこと、手術が成功すれば激しいスポーツなど活動に制限はある中で元気に生活していける可能性が高いことなどなどを告げられた感じです。

 

大きい病院を受診する道中は、最初は子どもたちを置いていくのが不安で寂しくて申し訳ない気持ちであったが、何度か繰り返しているうちに子どもたちも慣れてばーばうちのたまのお泊まり楽しいモードになり、

私たち夫婦も子供いない夕飯まじで楽やな!どんな店でもなんでもチョイスできるやん!!みたいな感じで夫婦で美味しいもの食べに行きました。

 

人って最初不安だけど意外とすぐ受け入れて慣れるんだよね。それ何回も体験してるはずなのに目の当たりにするたび新鮮な驚きがあるよ。

 

 

大きな病院を何度か受診して、いろんな先生に胎児の心臓をたくさん診てもらって無事に出生前診断

 

つづきは次へ続く…!!

 

おやすみなさい

次回は入院前〜出産です。