Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

day after tomorrow

なんとなく気合が欲しくて、過去のブログを読み返していました。ハロー、20代の私。

 

過去生きてきて、日記は続いたことなかったけど、ブログは10年もちまちま続いている。たまに読み返してます。

何を考えていたのが思い出せるのは単純に楽しいですね。そして私の考えとともに、友人たちの言動も記録されているので、まるでムービーを見返すような感覚になる。

 

 

なんだかとてもむき出しで、色んなことにエネルギッシュで鮮やかな過去の私が、いまこんな生活を送る未来があるんだよ、と伝えたら喜ぶだろうか。戸惑うだろうか。安堵するだろうか。

 

10年前のブログにも今も変わらず付き合ってくれてる色んな友人達が元気に出てきて嬉しいなあ。

みんな、今でも元気な様子で何よりですね。

 

恋愛と仕事のことで頭ぱんぱんだった時代の私が、10年後には何かとゆるい感じの中年の入り口に立っててなかなか悪くないんじゃですかねぇ。

しつこさとめんどくささの特性も、適度に残りつつの成長。

 

しかし禁煙して北海道に引っ越して結婚して断捨離して出産して転職してって考えてみたらすごい変化だな。

いや、みんなじつはそのくらいの転機はあんのかな?転勤したり転職したり何かと転々したりしてね。普通の範囲かも。とにかく過去の自分が今の様子を見てがっかりしないように生活していきたいところです。

 

それはそうと全然それとは関係ない話なんだけども、

意識高い系小金持共働きセレブ雑誌VERYのカバーモデル、滝沢真紀子さんが卒業ということでして、毎月定期購読してるdマガジンで特集をしているのを拝読しました

 

まあタキマキはいいとして、

 

小島慶子さんもコラム卒業ということで、1ページしっかり意識高い系の主婦である読者に向けてメッセージを残していて、そのコラムがすごーーく良くて響いた。

 

かいつまんで言うと、VERYを読むという時点でもう、生活はある程度普通ではない場所にいるかもしれない、身近にポンポワンやプチバトーやレペットがある生活というのは、ある程度の生活の余裕があるということ、それは普通なことではないこと、

 

生活や教育にお金をかけられる層に生まれた人には社会を支える責務があるということ、

 

自分や自分の家族のためだけに稼ぐ、働く、動く、というのではなくて、世界の平和や格差への架け橋になるようなことを考えられるようになるのが、エリート教育の目的、余裕のある人がこの世界のことを考えなければ誰が平和の架け橋になるようなことについて考えてくれるのでしょうか、みたいなことを書いていた(意訳です)

 

息子たちには賢くしなやかに伸び伸びと愛に包まれて育って欲しい、

 

そう常に思っていたけど、なんのためって、ほんとそういう愛に溢れた賢い人になってしっかり社会に貢献できる人に成長して欲しいって、私思ってたんだ。

 

初めて言うけど、

聞きかじりだけど、ノブレスオブリージュという考え方を私はとてもいいなと思っていて、なので東大の入学式で上野千鶴子さんがスピーチした内容もグッときた。

 

自分もそう。

たまたま恵まれた環境の私が、微力ながら何ができるかをいつも胸に生きていきたいなと思う。

 

ということで散らかり放題だけど疲れたので寝ます。

明日からは気合入れて頑張るぞ〜