Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

近いともだち

ヒストリエの中で、小さなアレクサンドロス に母オリンピュアが、

「ほら素敵な友達を紹介するわ」とかいって、蛇のあざを消して「ヘファイスティオンよ」なんつって彼を鏡にうつすシーン。

実際のところはどうか知らないけど、ヒストリエの中のアレクサンドロスはヘファイスティオンと入れ替わったりして、人生の困難や問題を乗り越える。それがいいか悪いかはちょっと置いといて。

あれと似たことは、自分も日々意識しないだけでやってきてたんじゃないか。

 

いきなり何かって、昨日たまたま次男が体調を崩して仕事を早退したもので、帰宅途中に図書館に寄って、超久しぶりに益田ミリさんのすーちゃんシリーズ読んだんです。

↓これ

わたしを支えるもの すーちゃんの人生

わたしを支えるもの すーちゃんの人生

  • 作者:益田 ミリ
  • 発売日: 2019/08/29
  • メディア: 単行本
 

 36歳でカフェの店長退職したところまでしか読んでなかったので、ほんと久しぶりに新しいやつ読んだんだけど、ふつーのところでめちゃ涙でた。自分でもえっここで?ってところでしくしくポロリ

 

(病気で体調を崩した上司に、辰巳芳子さんのいのちのスープを作って届けるところや、「これからもたくさんおいしいもの食べてね」ってお誕生日にもらった箸のことについて伝えるところや、生まれてから自分とはずっと一緒にいて、ずっと何かしゃべってるって思うところ、など。)

 

そして泣いたあとは実にスッキリした気分になっており、「最近ずっと仕事で超おつかれへろへろモードだったから、こういう自分とは違う思考回路を欲してたんだな」ということを実感した。

 

自分は自分の味方である。というか、自分には自分しかない。それは誰だって、いつだって、死ぬまでずっと変わらない。

もうちょい私は、自分が自分の一番近くにいてぶつぶつと考えたり相談してるってことを意識して、自分が信用できるような自分でいることも大事だよな、などと思ったりした。

 

いや、自分が信用できない話でなく。自分のことを他の同僚と同じくらい信用してるからこそ、どうするべきなのかなどをちゃんと自分と相談して決める自覚を持って過ごす、という意味です。

 

いまは友人たちに気軽にあってくっだらん相談や愚痴なんかをグダグダ話したりできないしさ。早く楽しい宴会が心置きなく開催される世の中の復活を望む。

 

 

さて、先日公私共々大変お世話になっている方が転職のため退職した。

息子たちもとっても仲良しのお友達だったらからさみしい気持ちでいっぱいですが、人生の転機については大いに応援したい。という気持ちでめっちゃんこ素敵な印鑑ケースをプレゼントに購入した。

 

この先もそれぞれの人生の転機で、ハンコ使うことあるだろうから、いちいちそのタイミングを応援してるって意味を込めてます、と暑苦しく渡すつもり。よろこんでくれるといいな。

 

さて、おやすみなさい。他人の思考回路に触れるって意味で、谷川俊太郎さんの詩集を読んでる。(長編はいま体力なくて読めない)感動するたびに「あぁわたしにたりなかったのはこれだったのね」と感じる。