Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

むだづかい

星野源の新アルバム、POP VIRUSを聴きながら更新。あぁ濡れる、心が。

星野源はほんとさわやか!!聴くといい気分になれる!

 

今朝はけっこう久しぶりに、長男次男共にそれぞれ幼稚園・保育園に送り出し、

そして今日は仕事もないのでダラダラと通販みたり、通販みたり、通販みたり、買い物かごに入れて勝った気になったショッピングしてます。

 

この自慰のような行為はどうもならんかね。

と思って以前のネット記事で私と同じようなことして買い物かごに入れて最終ポチらずジリジリしているという女性が、この日本に山ほどいるという事実を知る。

 

なんでもこの緊張と、それからの解放がストレスの発散になるそうで。みんな色々だなぁ

かわいくて、おしゃれで、しあわせそうに見えるあの子もこの子もその子も、みんな何かしらの心の荷物を抱えながら生活してんだよな。私もです。

 

幸せそうに見えて、いや十分すぎるほどしあわせなんですけども、

それでも人払いが済むといそいそと通販サイトをジロ見して、お金とモノの量の関係で買いはしないが買い物カートに入れてじりじりしてる。買わないと何か満たされてない気持ちになっての物欲底なし沼。

 

昨日は仕事の終わりに、上司から来年度からもうちょっと仕事の量を増やしてみないかとお話がある。

気持ち的には、はい、もちろん喜んで!というところだけども、家族の負担が心配で全力出すのはまたハイ(灰)になるのが心配で、「扶養の範囲内で・・・」というヘタレな回答。

でもだいぶん仕事の時間も拡大できるし(私のお小遣い増えるので嬉しい)、できるところまではギア上げて行きたい。勉強は楽しいから。

 

今のところ月5万円の私のお給料は、すべて私のお小遣いとして使ってるんだけど、まぁそんなかから子どもたちの諸費用と食費と外食の1割程度を負担しているくらいで、

そんな中H氏に時々「お金ください」と言うと、「全然いいけど、あんた自分のお金何に使ってんの」との回答。

まさかすべて服と化粧品と本です、とは言いにくいので「まぁ色々あんだって」という感じで曖昧にしてます。

H氏はケチなんだけど、そういうところは優しい、いつもありがと、という気持ち。

 

 

一家全員を養うということを想像してみる。

私がフルでハイ(灰)で働いていた時、私のお給料と時間はすべて自分のもので、自分のことしか考えなくて良かった。

それがまぁしんどいときもあったんだけど、誰も折半してくれないし、だけど、その時のお給料で、H氏と、こどもたち二人の生活を支えていくとしたら、、、、、

 

そりゃ光熱費や食費や交際費を少し節約してくれよ、って思うのは当然だよな。

日々「もっと電気を節約してよ、お湯の設定温度は35度以下にしなさい、風呂の残り水で洗濯しなさい」などと言われて「ケチな野郎め」とか思ってることについて、ごめんなさい。

 

 

さて、私はこれからまつげパーマの予約のため外出予定。

朝のビューラー2分は2ヶ月に1回のまつげパーマ1時間3000円で節約し、気分もまつげも上々!なのでオススメです。

 

H氏には「くだらないことに無駄金使うのやめろ」みたいなこと言われそうだから言わない。

何にお金つかうのは自由だかんね!お金は使うためにあるんだい!!という私の言い分は、

H氏が毎日牛のウンチにまみれてお給料いただいてくれてるので成り立つということは理解してます。行ってきます

 

 

 

view

まだまだ20代前半の夫と私が、テーマパークでデートしている夢を見た。

 

夢の私たちはドクロや人間の骨の標本やろうそくや謎のカードゲームなどがごちゃごちゃと並べられたビレッジバンガードみたいな店にいて、怪しげな色に顔を塗った男のショーを見たりして、

 

どこをどうなってそうなったのか覚えてないけど(夢だから)、トイレから出る出口のところで瑛太の顔した知り合いにあって、謎にさよならのキスをマスク越しにするところを夫であるH氏に見られて機嫌を損ねる、というようなところで、

 

小さい息子に「お母さん、お母さんはどこなの、おかーさーーーん」と寝ぼけて呼ばれて目が覚めた。

 

目が覚めたら左手の薬指と小指がやけにビリビリしびれていました。

私の左手に一体何が起きてたんだ。

 

って感じで旅行引きずってます、私です。

 

10日くらい仕事してなかったら、たいして動いてるわけじゃないのに夜は子どもと寝落ちしています。昨日は夜9時から朝の7時まで寝てました、とほほほ。出勤前にブログ更新。

 

 

ところで、夢とはまったく違う話なんだけど、私は昔は普通に病院で勤務していて、

今は医療職だけども注射や点滴などをするような仕事の内容ではなく、もっと広域の、地域のみなさんの健康を見守る、というような仕事をしていて、

病院の仕事も魂と身体をゴウゴウと燃えてハイ(灰)になって熱く働いてたんだけど、今は今でそこまでの業火はないけど、しかししっかりと仕事は楽しい。やりがいを感じる。

 

どんな形でも、人と人が生きるのを看るということは、ほんとうに、なんてゆうか、自分自身が成長できるというか、手っ取り早く深まるのを感じるというか、グングンと内面まで潜っていけるというか、

 

まぁとにかくそいういうわけなんですけれども、

新卒のときに先輩から言われた「必要なことは全部患者さんが教えてくれてるんだよ」という一言は、自分の中でいまでも宝物のような言葉として大事にしている。

そして壁や山をとなりに感じる時に、いつも思い出す。

 

今は職種としては人の最期の場面に立ち会ったり、癌の痛いところをさすったり、悲しみにくれる家族の肩を支えたりすることはないけど、

 

だけど私が出会ったすべての患者さんとご家族のみなさんが、私の職業人としての経験と自信を支えてくれくれてるんだよな、と思った最近。

 

 

あの経験もこの経験も、誰かの人生が直接自分の魂に深く刻まれてることを実感しながら今日も少しでも、誰かの心を軽くできるような仕事ができますように。

 

さて、準備していくか。行ってきます。

 

 

旅行の感想

久しぶりの投稿に思える、なんだか1週間しかたってないんだけど。

 

こんばんわ、わたしです。

 

 

先週は日曜日から大事なお友だちの結婚式があり、3年半ぶりに上京しました。上京ってクールな響きだなぁ。上京。ふふ、なんか照れちゃう。

 

直前にワンピースで行くかどうか悩みに悩み、

マリメッコのワンピースを着るには全身矯正下着で矯正しなければならず、

矯正下着はものすごくかさばるので家から着用していくとしたら軽やかに動けないし、そのギチギチの状態で北海道からスーツケースと4歳2歳の息子とその他の荷物(オムツやらアイパッドやら道中の飲み物やら化粧品やらヒールやらクラッチバッグやら)持っていく・・・とした・・・・ら・・・・・

 

ぐ、ぐ、ぐぬぬぬ・・・・

 

 

前日にお友だちから「ジーンズにセーターでも大丈夫だから家族みんなで来れたらきて」という言葉にハッとし、そうだ、私ひさびさの東京でどうかっこつけるかとか自分のことばっかり考えて、家族のことあんま考えてなかったかも!と我に返った。

「うん、そうか、ふたりの結婚について、祝福の気持ちは全身の細胞に満たされてる、わたしの髪の毛一本まで全部めでたい気持ちになっているのだけは感じる、その上で大事なのは家族と自分に負担かけないこと・・・・」という気持ちになって普通に仕事で着用している黒のパンツ(裏起毛でものすごく暖かい上にウエストがゴムでストレッチでストレスがないやつ)にドルマンスリーブのブラウスにいつも着ているパタゴニアのダウンを着用して行きました。

もちろん式のときはジャンバーは脱いでヒールを着用してパールのアクセサリーしましたが、結果、それで行ってものすごくよかった。駅や空港でめっちゃ抱っこしたり走るシーンあったので、ほんとあの矯正下着だったら転んでどっかの骨おれてたと思う。

 

道中子どもたちが疲れて歩けなくなったり、二人同時に電車内で寝たりして家族のピンチが何度かあったが、

結果ちゃんと時間までに品川につくことができたし、遅刻もしなかったし、ちょっとダサいカッコしてるのも全然気にならなかったし、何より自分にストレスがなく、お友だち夫婦のことを心から祝福できたので、本当に良かった。

 

お友だちはとってもとっても美しかったです。今度は夫婦でぜひ北海道にも遊びにいらしてくだちい。

 

 

シーパラいったり中華街でお友だち家族とご飯食べたりディズニーランド行ったり満喫しましたが、家族で横浜プラついたのは結婚してから初めてだったので、いろんな思い出がいっぱいつまった横浜に、自分の家族と一緒にいるなんて・・・とか考えたら不思議な気持ちに。

 

20代の自分に久しぶりに触れたような感じがして、

なんだかその頃の私は、生々しくて、がむしゃらで、あけすけで、未熟で、楽しくて、今は夫と一緒にいるからカバーされている部分がむき出しで、恥ずかしかった。

 

ずいぶん地に足がついたなぁ。生活の骨がしっかりしてきたのが実感としてある。

 

子ども産んだからからなのか、家族がいるからなのか、30代も半ばに突入すれば大体の人がこうなのかはわからないけど、ずいぶん生活の輪郭がしっかりしたな、と思った。

 

子どもたちも中華街やらディズニーやらで、私の大事な友人たちの子らときゃっきゃと戯れてかわいくてかわいくて喉の奥から血の味しそうでした(してはいない)。

 

ほんとこのために働いてるんだ、これ見るためにお金つかうんだわ、私。

子どもたち産んで4年と半年、家族で旅行するところまで来れてほんとうにがんばって良かった。

子どもたちも喜んでたし、こんどはゴールデンウィーク周辺でまた行きたいなぁ。

遊びや旅行も勉強とかと一緒で、行けば行くほど上手になって面白く自由になる。無駄遣い(主にzozo)しないでまた前向きにお金ためよっと。

 

自分のお土産かったりする時間はまじで全行程のなかで4分くらいしかなかった。多忙の旅行でしたが、心から楽しかったです。

 

 

 

浮足

テラスハウス見たり寝落ちしたりしてました、私です。

 

明日の結婚式と東京観光のために荷造りしてたらこんな時間。

 

公園でソリ滑りしたあとなど、筋肉痛がインフルエンザのそれに思えてヒヤヒヤして脅威に震えてましたが、なんとか家族一同出発できそう!

アレクサに明日6時のアラームかけてもらったし、準備する気は満々!!よーーーし!ファイ!オー!ファイ!オー!(女子バレー部)

 

ということで寝ます。

東京…3年半ぶり…むにゃむにゃ…

 

 

 

湯たんぽん

そういえば今年になってから湯たんぽ生活しています。

昔ながらのアルミでできてる無骨なデザインのかっこいいやつを、お風呂に入るくらいの時間になったら薪ストーブの上に置いてあたため、寝る時間の30分くらい前にカバーに入れてベッドにいれておく。

 

ちょうどお尻がそこにあたるくらいの位置にすると、横になったとき腰の周りがじんわ〜り暖かくなってとても気持ちがいい。

 

じんわ〜〜り、とくるんです。

 

お正月に夫の祖父母からいただきました。

夫が快適な室温は20-21度だそうですが、私は23-24度くらいないと快適とはいいにくい。

 

なので夫といると寒い寒いといいながら嫌味っぽくウルトラライトダウンを着ているし、

夫は夫で私といると暑い暑い、薪がムダだなどと嫌味を言っている。

 

なんて話を夫の祖父母にしたとき、

まあそんな話を正月の祖父母宅でするのはどうかという話はさておき、

寒いんだったら湯たんぽ布団に入れとくと本当に暖かいよ!使わないの1つあるからU子ちゃん使ってみなさい!と、おばーちゃんがすごく張り切って教えてくれたので、是非にといただいた湯たんぽ。手作りのカバー付き。

 

祖父母は直接ガスでそのまま加熱して温めて使用しているとのこと。

 

なんかすごい!

一周まわってなんかかなりオシャレ!!!

 

北海道の極東の田舎で、ほぼ野菜自給自足生活しながら冬は湯たんぽしてるのオシャレ!クール!!クールジャパン!!!

 

 

ほんとは写真でも載せたいところですが、ごく普通のなんの変哲もない、湯たんぽ中の湯たんぽ、まさに湯たんぽ、湯たんぽとしか表現できない、湯たんぽは湯たんぽ、湯たんぽといったらコレ、早い話が写真撮ることすらめんどくさいほどの湯たんぽなので、想像して下さい。湯たんぽを。それがわたしの湯たんぽです。

息子たちは湯たんぽんと呼んでいる。湯タンポン…

 

次男が誕生してから、まるっきり夫婦別寝室の我が家ですが、これには夫もせっせと湯たんぽあたためたりフタ閉めてベッド温めたりと積極的に動いてくれて言うことなし!

 

ガス台、ストーブ的なものが家にあるみなさんも本当におススメです。

 

息子たちも湯たんぽん湯たんぽんとか言って親しみ、あったかいねえなどと冷たい足をくっつけているし、子どももあったかいやつ好きなんだねえ。わたしも大好きだから気持ちわかる。

低温やけどしないくらいのあつーーーいカバーでくるんでますよ、安心してください。

 

 

北海道も本格的な冬真っ只中です。

最高気温が常に氷点下だし、朝起きると外のもの全てが凍りついていて、今日は流氷も来たとのこと。

流氷といえば、昔お付き合いしていた人はオホーツク海沿いの小さな村のような町に住んでいたんだけど、子どもの頃は流氷の上から飛び降りて度胸試しした、なんて話してたけど、あれ本当だったのかなあ。

死ぬんじゃないの、って言ったけど、それくらいじゃすぐ死なないよ、と言っていた。いずれにしても危ないには違いない。

 

しかし流氷をみるとまずその会話ばかり思い出すようになってしまって悔やまれる。その人は歴代の彼氏の中で色んなことが最高級にクソ系だと思うので、思い出は全てデリートしたい気分なんだけどしょうがないですね。しょうもない思い出を抱えながら生きていくのも大人としての税金と思って支払うしかない。

 

 

今日は久しぶりにドトールでじっくり手帳を更新することができて充実した気分です。

手帳は今年は無印の4月始まりのやつを使ってます。去年はほぼ日手帳に憧れて買ってみたけど、3ヶ月くらいで書かなくなってしまった。子育てと献立のことばかりで辛くなってつまらなくなったのが原因。

 

今年の目標や掃除の計画や、年末年始の振り返りがゆっくりできて楽しかったです。

 

 

さて、遅くなってお腹空きすぎてるけど何か食べるのも面倒だから寝るか。

明日も息子たち風邪引かずに過ごせますように。おやすみなさい。

コンバースのハイカット

毎年のことなんだけど、新年になると物欲が更新されて、なにか特別に欲しくなる。

 

今年は五年前に始めた500円貯金も溜まったことだし、35歳でキリもいいので思い出に残るものを買おうと心に決めた。

30歳のときは18金のビンテージのロレックス。今年はマリーエレーヌのネックレスでもどーーんと買っちゃおうか.......

 

そんな夢みたいなお買い物の話はともかく、ブラブラとzozoタウン見ながら、とりあえず今年は雪が溶けたら履くのにコンバースのオールスター買おうと決めた。色は赤。そしてハイカット。

 

20代かけて大好きだった人の玄関にたくさん転がっていたスニーカーの中にまざっていつもあったコンバースのオールスター。

 

ボロボロのくたびれたジーンズに白のTシャツ着て、その靴履いてる時が一番好きだった。一度も言ったことなかったけど。

 

自分のコンバース買うのは3足目です。

高校生のときにはじめて買ってもらったのはマスタード色のローカット。社会人一年目のときまで履いていたけど、家の玄関の前でネコのうんこをモロに踏んだときにすぐ捨てたやつと、

5年くらい前に近所のABCマートで買ったブラックと、そして今回の赤。

 

子育てしてて、出かける準備のときに8割くらいの頻度でパニックになる身としては、靴というもにはワンアクションで脱ぎ履きできるものがいい。

できるものがいい、なんて言いかたすると少しの余裕すら感じるけど、そうじゃないです、

ワンアクションで脱ぎ履きできるものじゃないとお出かけが回らない、そのくらい割と重要な問題なので、今回はアマゾンでゴムの靴ひもも買ってみました。

 

レビューには見た目はイマイチだけど脱ぎ履きが便利だとか、遠目でみるとそんなに違いがないなど書いていて、今日どれどれと装着してみたところ、

うっ、ゴム紐、す、す、すごくダサい、、、、しくしく………

 

付属の紐はアイボリーで幅も少し広くて、装着するといいかんじにクタッとなって履いてるとパンツに馴染むしとてもかわいい。しかしズボッとワンアクションでは履けずに必ず玄関での紐の結び直しが必要である。

 

購入したゴム紐は白くてダサいが、履くとパチっと結ばれていて着脱がものすごーーーーく楽である。何回靴下と靴履きなさいって言ってるの!!!!早くしなさいいい!!!!!と狂人のごとく叫んだあとでもイライラせずに履けそうだ。しかしダサい。しかし白い。しかしすぐ履ける。

 

私はうーーーーんと悩んで、ふと思った。

考えてみたら、子育てはこのようなことが多すぎるんじゃないか。

かわいいけど子どもがいて引っ張られるから着れない、素敵だけどこれで公園は行けない、気に入ってるけど汚れるの怖くて履けない、、、、、

だからいつもなんとなく自分を犠牲にしてるような気分になるのかなぁ。

母になってから本当に自分が大好きだと思える服に出会えないのは、こういうひとつひとつの積み重ねが原因なのか、、、、

 

などなど考え、でもかわいいの履きたいなら履けばいいし、着たいならただ着ればいいのに、それを勝手に犠牲にしてるなんてお門違いよね、

とりあえずダサゴム紐せっかく買ったし、着けて履いてみよ、楽がかわいいを超えるかもしんないよ、綿のババパンみたいにさ!という結論に達しました。

 

まぁとりあえずやってみることが、ほんと大事だよね、うんうん。

 

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これがゴム紐履かせたコンバースです。わかるかなあ。わかるよね、じぃっと見たら分かるでしょう。

 

ほらね、ダサいでしょ、でも履くよ。

ゴム紐をつけたダサコン履いてるのは私ですよ、見かけたら声かけてください。

 

耐えられなくなったら付属の紐に付け替えればいいだけのことだし。早く雪溶けろ(切実)

 

 

さて、ところで今日は兄がアップルの新春セールで新しいiPad Airを購入したので、古いアイパッドを私にくれたので、慣れないなりに使ってみました。たったこれだけの内容かくのに、ものすごい時間かかった…………

 

アイパッドからこんばんわ。もう眠い。

 

 

せっかくだからと、知育アプリをいれまくる。

視力については心配だけど、しかし遊びながら勉強できる、という謳い文句に私だって弱いのだ。

アレントコントロールしながら上手に使えるといいな。

 

さて、今日はうちに男子3名も遊びに来てくれて、息子たちは遊びまくり私も大変楽しかったです。

おやすみなさい。

 

 

 

A silent night in winter

ブログをはじめて10年を超えて11年目に突入。

ビールのんでcome away with meをアレクサに流してもらいながら聴いてます。アレクサ最高。

 

書こうと思っていたことを、引っ張り出してこようとすると、まったくわけのわからん、肩肘張ってギスギスして、なんだか大袈裟で独りよがりで高飛車な文章になったりするんだけど、

たまに、自分の底からふつふつと、ぽかっと、湧いてくるような文章が書けるようなときがあって、そういうときは非常に気持ちがいい。

 

思考がクリアになって、自分の皮が一枚むけた感じ。何度読み返してもそうだそうだと肯きたくなるような楽しいことがかけるんだけど、最近なかなかそんな機会が少ない。

 

独身の頃はそれこそ掃いて捨てるほどあったんですけどね。

あれは果たして経験の濃さだったのか、それとも私の波に乗った感性だったのか。

素敵な文を書くためには、読むしかないんだよなぁ。読むか自分で見て経験するしかない。あたりまえだけど。

 

まぁそんな話はいいとして。

 

読むしかないといえば、先日看護学生や新人看護師がみたりする「キラリ看護」という川島みどり先生が書いた本を読みました。

 

川島みどり先生は、いまの日本の看護界では大変有名な先生です。

もうかなりご高齢ですが各地で公演やら執筆やらをされており、かの「いのちのスープ」をつくった料理研究家の辰巳芳子先生ともお友達であられて、

公演で辰巳芳子先生と相談しながらスープとともに夫の最後をみとった、という話にはしびれました。すげぇタイアップだなぁ、的な。

(ちなみに辰巳芳子先生考案のいのちのスープも一度いただいたことありますが「なにこれ超おいしいんですけどいくらでも食べれる病気じゃなくても食べたい」という様子だった)

 

初心にもどりたいときというのは働いているとよくあるって、新しいことに取り組んだ時や、壁のようなものを感じた時、自分の技術の未熟さを実感したときなんかに、「あれ、あたしなんでこれしてんだったけ?」みたいなことが。そういうのを優しく厳しく簡単にそれはそうでしょ、これはこうでしょ、と言われてるような本でした。

川島みどり先生は、自分の仕事の可能性を無限に信じているんだなぁ。ナイチンゲールとたぶん同じくらい。素晴らしいです。みどり先生の後輩でよかった。先にいろいろなことに気づいて取り組んで悩んでくれたから、いまの私たちの様子があるんですね。

まっこておやっとさんでございもした(薩摩弁)

どこの分野にもこのような「ページをめくる人」っていう人がいるんだよね。そしてそうではない人も。

 

一生懸命働く快感を覚えた人は、こんな自分に何か人のためにできるってことを実感した人は、きっと一生働く快感から逃れられないんじゃないか。

一時的に疲れたり、もう心底やだって思ったり、家庭の都合で働かなくなっても、

だけど魂のようなものが満たされない、人間的に成長できないような感じがする、それを満たして自分を乗り越えるために働いてるんじゃないのかね?

 

働く、ということは私にとっては、お金のためだけじゃなくって、映画や本や家族や想い出と同じ、ないと自分が形成されない、楽しくない、十分に満たされない、そういうものなのか、ということについて今さら知る。

 

年明けのこの何日かで、私が働きはじめたときに生まれた小さな子どもたちが、数ヶ月たってやっとまた会えるようになり、お母さんたちの様子も全然ちがうし、継続することってほんと楽しいな〜、と実感した数日間でした。

 

来週はついに東京の旅行で会いたい人たちに会えるのでとても楽しみ。体調管理気をつけよっと。

 

さて、テラスハウス(長野)も4話も進められたし、大変いい夜でした、おやすみなさい。