Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

A silent night in winter

ブログをはじめて10年を超えて11年目に突入。

ビールのんでcome away with meをアレクサに流してもらいながら聴いてます。アレクサ最高。

 

書こうと思っていたことを、引っ張り出してこようとすると、まったくわけのわからん、肩肘張ってギスギスして、なんだか大袈裟で独りよがりで高飛車な文章になったりするんだけど、

たまに、自分の底からふつふつと、ぽかっと、湧いてくるような文章が書けるようなときがあって、そういうときは非常に気持ちがいい。

 

思考がクリアになって、自分の皮が一枚むけた感じ。何度読み返してもそうだそうだと肯きたくなるような楽しいことがかけるんだけど、最近なかなかそんな機会が少ない。

 

独身の頃はそれこそ掃いて捨てるほどあったんですけどね。

あれは果たして経験の濃さだったのか、それとも私の波に乗った感性だったのか。

素敵な文を書くためには、読むしかないんだよなぁ。読むか自分で見て経験するしかない。あたりまえだけど。

 

まぁそんな話はいいとして。

 

読むしかないといえば、先日看護学生や新人看護師がみたりする「キラリ看護」という川島みどり先生が書いた本を読みました。

 

川島みどり先生は、いまの日本の看護界では大変有名な先生です。

もうかなりご高齢ですが各地で公演やら執筆やらをされており、かの「いのちのスープ」をつくった料理研究家の辰巳芳子先生ともお友達であられて、

公演で辰巳芳子先生と相談しながらスープとともに夫の最後をみとった、という話にはしびれました。すげぇタイアップだなぁ、的な。

(ちなみに辰巳芳子先生考案のいのちのスープも一度いただいたことありますが「なにこれ超おいしいんですけどいくらでも食べれる病気じゃなくても食べたい」という様子だった)

 

初心にもどりたいときというのは働いているとよくあるって、新しいことに取り組んだ時や、壁のようなものを感じた時、自分の技術の未熟さを実感したときなんかに、「あれ、あたしなんでこれしてんだったけ?」みたいなことが。そういうのを優しく厳しく簡単にそれはそうでしょ、これはこうでしょ、と言われてるような本でした。

川島みどり先生は、自分の仕事の可能性を無限に信じているんだなぁ。ナイチンゲールとたぶん同じくらい。素晴らしいです。みどり先生の後輩でよかった。先にいろいろなことに気づいて取り組んで悩んでくれたから、いまの私たちの様子があるんですね。

まっこておやっとさんでございもした(薩摩弁)

どこの分野にもこのような「ページをめくる人」っていう人がいるんだよね。そしてそうではない人も。

 

一生懸命働く快感を覚えた人は、こんな自分に何か人のためにできるってことを実感した人は、きっと一生働く快感から逃れられないんじゃないか。

一時的に疲れたり、もう心底やだって思ったり、家庭の都合で働かなくなっても、

だけど魂のようなものが満たされない、人間的に成長できないような感じがする、それを満たして自分を乗り越えるために働いてるんじゃないのかね?

 

働く、ということは私にとっては、お金のためだけじゃなくって、映画や本や家族や想い出と同じ、ないと自分が形成されない、楽しくない、十分に満たされない、そういうものなのか、ということについて今さら知る。

 

年明けのこの何日かで、私が働きはじめたときに生まれた小さな子どもたちが、数ヶ月たってやっとまた会えるようになり、お母さんたちの様子も全然ちがうし、継続することってほんと楽しいな〜、と実感した数日間でした。

 

来週はついに東京の旅行で会いたい人たちに会えるのでとても楽しみ。体調管理気をつけよっと。

 

さて、テラスハウス(長野)も4話も進められたし、大変いい夜でした、おやすみなさい。