Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

ゆれる

小さなことなんだけど、あれ?いつもと違う?なんか変…って思うことの裏に、

 

よくよく掘り下げて思い出したり考えたり振り返ったりすると、案外違う原因のことが隠れてたりするよね、って経験ありませんか。ありません。私はあります。

 

 

自分の中で考えないようにしようと決めたことや、解決したことにして未解決のままに放り投げたこと、あとは無意識のうちに考えるのをやめてたこと、

 

そういうのって全部、実はあとになって自分に返ってくるのかも。

 

 

ここ1週間の私は家事に対して無気力です。

もともとそんなに気力あるほうじゃないのに、よけいに低迷。模様替えだけはなんとかしようと思うけど。それは好きだから。

 

なんだろ?なんでだろ?と掘り下げてみると、実は家事や生活と全然違うところに原因が転がってたりして、改めて自分の傾向に気づいたりしました。

 

なるほど、私は何かあると、無気力になるのか。

 

 

 

結婚してたって良いことばっかりじゃない。

 

そんなのはお互いそうで、「結婚してよかった」と心から思える晴れの日もあれば、

寝顔を思いっきり蹴り飛ばしたくなるような雷雨の日もある。

 

雷雨の日には出来る限り外出を控えたりするみたく、できるだけ危険(害)がないようにくらせる方法を自分で発見しないといけないのよね。

 

 

 

バイブル(良妻賢母の本)には、

夫はあなたをわざと傷つけるようなことや、人格を疑いたくなるようなひどい言葉を浴びせることがあるかもしれません

 

けれど責めてはいけません。それも人間の弱さ、一部だとして受け入れましょう

 

あなたが傷ついたり縮こまったりおびえたりせず、自信をもって堂々としていましょう、と書いてあった。

 

 

まじか…

 

そんな風にいつかなれる(慣れる)もんなんだろうか…

 

どれだけ美しいものや美味しいものや素晴らしい音楽やアートを見たとしても、そういう成長はげんなりするほど遅い。

 

でも自信。

確かに何か言葉に傷ついたり腹を立てたりするのは、自分の中にきちんとした自信がないからだよなぁ。

 

相手のことを受け入れることと同じ分だけ、自分の中にちゃんとした自信をもつことは大切な気がする。

 

一つのことがぐーんと距離を縮めてくると、そのことだけがフォーカスされて、すべてが残念みたいな結果になりがちだから、

私の人生には別に それだけがすべてではないこと、発言に固執しないことをもう少し意識してコントロールできるようになれたらいい。そうすれば楽だ。

 

 

相手に何かを言われても、ゆさぶれない自分が欲しいです、神さま…

 

 

 

さて…

 

せめてヨガして寝よう。

 

今日は木のポーズをちょっと長くやろう…