Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

あなたには、あなたの

先日息子と夫がベッドの上でキャッキャしながらじゃれていて、

 

息子の足が夫の股間にヒットした。

 

 

夫は「ウッッ」と呻き声を上げ、

そのあと「クッッッ」と苦しそうに芋虫みたいに丸まった。

 

小さな息子はキョトンとしたけれど、とりあえずキャッッキャの続きを求めようとしていて、そばで見ていた私に笑顔を振りまいてきた。

 

夫はまだ芋虫のようにうずくまって、「アァッ、クゥッ」などと小さな声をだしている。

 

「だ、だいじょうぶ?」と激しく喜んでいる息子を止めて、一応心配そうな顔をつくって声をかけると、

 

「せっ、せなかっ」と目を(><)こんな感じにしながら訴えてきた。

 

私「え?」

夫「せなかを叩いてッ」

私「は?」

夫「だからッ、背中、ポンポンしてッ」実に苦しそうな様子であった。

 

しかたなしに私は「こう?」と適当に手のひらで背中をポンポンと軽く叩いてみるが、

夫は「ち、が、うッ、グーで!!もっと下ッ!!!」とイライラした様子で指摘し、

「え、えぇ?こ、こう???」と指示通りにやろうとする私の手を払いのけて「もういいっ」と自らの拳で腰のあたりをトントンと叩いていた。

 

私はそれを見ながら、こりゃ出産のときに腰さすってって言っても男にはわからんわなぁ!とぼんやり思った。

 

 

次男の出産から丸4ヶ月が経過し、5ヶ月目に突入した。

 

あの日から夏が終わってもう一面冬景色だし・・・と窓の外の真っ白の銀世界を見て思う。今年の冬はいくら北海道だからって早すぎる到来なんだけど、着てしまったものは受け入れるよりしょうがない。着て欲しくないけど毎月くる生理みたいなものだ。

 

二人育児にも徐々に慣れて、長男も次男の存在に慣れてきたようだし、首が座り、おんぶができるようになったことと、断固拒否していたおしゃぶりをやっと受け入れくれて、一人でチュッチュと眠りについてくれるようになって、気分的にすこしだけ余裕が出てきた。

 

長男と次男をひとりで長時間面倒見ることも可能になってきたし、

おんぶで散歩したり家事をしたりすることができるので、長男のもどかしさも減ったようだ。

 

 

次男が生まれてからのこの数ヶ月はたいへんだった。

 

大変だったなぁって言いたくないくらい大変だった。

 

大変じゃない人たちを羨ましく思ったし、たいへんであることを人に言いたくないくらい大変でした。

 

そんな中でこの本読みました。

 

れもん、うむもん! ――そして、ママになる――

れもん、うむもん! ――そして、ママになる――

 

 

妊娠・出産や出産直後がものすごく大変で孤独でキリキリしていた話がやさしくのってます。

 

私も長男を出産したときに思った、え、み、みんなこんなこと経験して子育てしてたの・・・・こりゃ、こりゃぁまじで大変だわ・・・・って気持ちを、彼女なりの視点で語ってくれる。

 

誰かに理解してほしいって思ってるわけじゃないけど、知ってる人に共感してもらうと楽になる気持ちって確かにあるなぁと。

 

 

私も今だったら二人育児の先輩に「いま本当大変だよね、体大丈夫?」って声かけられたら泣き出しそうだなと読んでて思った。

 

自分だけが大変なんじゃない、自分だけが経験してるんじゃない、自分なんて恵まれてるほうなんだってストレスを緩和するテクニックを適宜使用しているけれど、

 

それでも現状につぶれそうになって孤独を感じる日もあり、

 

しかし子どもは間違いなく愛おしくどんどん成長していくし、

 

なんだかしあわせには間違い無いんだけど孤独な母親が、私以外にもこの世にきっとたくさんいるんだろうなぁ

 

 

 

二人目の出産の話をすると、

長男の出産と同じように早朝の破水から始まり、陣痛開始から1時間30分かからず産んだ。友だちにはまじで驚異のスピード出産と笑われた。

出産後も元気だったし、夫も「俺が分娩室で携帯いじってたら生まれたよね」というので、すごくあっけらかんとこなしたような気になってたけど、

だけど体のホルモンや創傷治癒なんかで、身体はだいぶんがんばってくれたんだよなぁってことを本を読んで改めて実感した今日でした。

うむ、そう、早いからって楽なわけではないのである。人に言われたからって自分でも楽だったなんて言っちゃダメだよな、痛いのはもちろん表現できないほど強烈に痛いんだし。

 

 

さて、はやりの生姜ココア飲んで寝る。

今日から夫がベッドを解体してマットだけにしてくれたので寝るのがすごく楽です。

やっぱり子どもと寝るには布団ごろごろタイプの寝方が一番楽だわ、なんでか知らんけど。

 

さて、ちょっとヨガしよ、おやすみなさい。

 

また来てね

今日は出産後ひさしぶりに友人二人が遊びに来てくれて、夜ご飯(鍋)をしてデザートも食べ、9時半くらいに帰って行った。

 

子ども達がまだ小さいうちは夜外出するには何かと色々ストレスが多いので、

うちに来てくれて夕飯を食べて帰宅してくれると、私たちもとってもゆっくりできるし、子どもも楽しそうだし、すごく楽しい。

 

こどもの相手をしてくれながらご飯をつくったり食べたりして、ほんとありがたいなぁとじんわり思った。

 

 

私が独身のとき、あっこちゃんときーさまのお家に遊びにいってご飯をご馳走になってたけど、その当時の自分の行動をぜんぜん思い出せない。

 

私は基本的にそんなに子どもが好きではないので、子どもを産むまでは子どもの扱い方もわからず、抱き方もおそらく不自然で、かかわりに不審な点が多かったと思うんだけど、

そんなことも自覚しないままに自然に来客として迎えてくれた友人夫婦のことをふと思って、なんか変なことしてなかった?と聞きたい気分になった。

 

あのときはいつも7時頃におじゃましてたけど、今振り返ってみるに、小さい子どもがいる家庭に7時って、ちょっと常識外れすぎじゃなかっただろうか。

 

何時頃に子どもが食事をして、何時頃に寝て、何時頃に起きるのかちっとも意識もしないでおじゃまして、迷惑じゃなかったんだろうか。

 

いや、ちょっと迷惑だよな、ごめんなさい、子どもについての大変なあれこれ、知らなかったんです、ほんと。

 

 

いつも温かい雰囲気で私の来訪を楽しみしてくれて、いつでも来ていいよって言ってくれて、すっごく楽しかったって言ってくれて、

私はいつもこんな私のしょーもない恋愛話なんかを興味を持って聞いてくれていい人たちだなぁ、くらいにしか認識してなかったんだけど、

 

いまはわかる。

 

環境の異なる友だちが連れてきてくれる色んな話は、

いつもの自分たちの日常からみると、なんだか雑誌や小説やテレビやネットのあふれた情報と同じように知らない世界で、聞いていてすごく楽しい。

 

私たちも、親じゃない自分に返るような貴重な瞬間というか。

 

 

いつでもまた来てね、夜出ることはなかなか難しいけど、来てくれる分にはいつだって来てね、っていつか友人夫婦が私に言ってくれた言葉を、そのまま車を見送るときに思った。

 

 

北海道は今日朝から夜まで雪が降り続け、すっかり真っ白の雪景色。

 

息子はゆき、ゆき、と何回も言って、ざくざくの重い雪を投げたりして夢中に遊んでましたが、

 

さすがに冷たかったようで30分くらいで家に自分で入っていった。

 

今日は冬装備が準備不足で、下のズボンも普通のズボン、靴もふつうのスニーカーで遊んでたのでよく30分も遊んだと思う。私なら5分が限界である。

 

 

明日はホームセンターに息子の雪用のスコップを買いに行って、冬の外遊びに備えよう。

 

次男は抱っこ紐の上からH氏の大きめジャンバーで覆って雪が降ってる外に出た。

 

雪の降り始めは音が静かで、とにかく色んなところが白く眩しく、

冷たい雪と風に濡れながら下を覗くと、次男はすぐにスヤスヤぬくぬくと眠っていた。

 

深く息を吸い込んで、しあわせの匂いするなぁと思った。

 

 

 

 

生まれ変わったみたいに

長男と次男を寝かしつけて、遅く帰宅した夫に食事を準備した。

わぁ〜、すごーい、おなかすいたー、いただきまーす、なんて言ってテレビ見ながらもぐもぐご飯食べてる夫を見ながら、ソファにどさんと腰を下ろした。

 

「はぁ〜〜〜〜」

ついため息がでた。

 

「なんかさ、思うけど、主婦ってさ、じみ〜〜な仕事だよね、毎日毎日誰にも褒められず、誰にも評価されないで、朝起きて、食事の準備して、片付け、掃除、洗濯、着替え、オムツ交換、授乳、それ終わったらまたご飯、授乳、片付け、ご飯、シーツ変えたり、布団干したり、トイレ磨いたり、だけど誰にも褒められないし、自分だけが色々知ってて、同じことを毎日繰り返して、何年も何年もやり続けることは、本当に想像以上に大変なんだと最近思うよ、まぁなんの仕事でもそうなんだろうけどさ。」

 

本当にそう思ったので、人ごとみたいに言葉が出た。

人ごとみたいに言えたから、すごくサラリと言葉にできたことに言った私も驚いた。

 

H氏は箸を半分咥えたような顔で私を見て、それから少し目を大きくして、

「うん、俺はさ、ほんっっっっっっっっと感謝してるよ、U子ぉぉぉぉっぉ、ありがとうっっってさっ!毎日ほんっとありがとうっ!!!」と言った。

 

私はわらって、

「いや、なんかほんと唐突に思ったの、それ」と言ったのだった。

 

 

 

毎日毎日同じ毎日を繰り返して、長男や次男の世話をしていると、何もしてない時間が「暇な時間」になっていって、スマホばっかり見たりして、毎日が「暇つぶし」になっていって、自分が何をしてるのか見失っていく。

 

結婚前に恋人がほしくていきあたりばったりの恋愛ばっかりしていたとき、先の見えない長いトンネルを小走りしてるように感じていたけど、

今は先の見えない、明るい迷路をうろうろとダラダラと笑いながら歩いているようだ。

 

生きてる意味が誰かのためとか、役割とか、そういうのは考えてもよくわからないけど、

あたしは息子を産むために生まれて今まで育ってきて、人柱的役割ってゆうか、そういう運命ってゆうか、

そういうのって生物としてはあるべき姿だけど、だけど他になんかしたいことなかったんだっけ、どんなこと思っていたんだっけ・・・・

 

 

ぼんやりと「なりたい自分になる!」みたいな言葉が頭の中に浮かんで、「?」と思った。

 

なりたい自分になる!

 

 

なんかいざ書いてみると美魔女やパワフルなオヤジをめざすそっち系の中年がSNSに書き込みそうな言葉だけど、

今の自分がなりたい自分ってどんな感じなんだっけ?

 

あれやこれやと思考をめぐらせても浮かばない。

ちょっと前なら少しくらい出てきたような気もするんだけど、ちっとも浮かばないのである。

 

うーん、こりゃ、わたしゃこれ、思考停止しててやばいんじゃないか、

暇つぶしの毎日で人生おわっちゃうんじゃ・・・と不安になった最近です。

 

 

誰に頼まれてもいないのに勝手にやり続けてしまうことが本当に自分が好きなことなんだとしたら、

本当に本当に好きで心が熱くなるのことがあるんだとしたら、それを職業にしていなくても、自分の中でもとても大事にしていけるんだとしたら。

 

わたしが好きだからやってるってことを大事にしてないと、

息子たちにも自分が大好きなものを大切にしなさいって言える自分でいられないかもとふと思った。

 

 

自分も好きなことを続けよう。暇つぶしじゃなくて、ちゃんと好きでやってることを、自分の意思で続けるんだ、流されんじゃなくて、やってるって自覚をしっかり持たないと。

 

 

そういうわけで、寝かしつけで寝落ちしたり、めんどくさかったり、ダラダラしたり、ゾゾったり、インスタ同じの更新しまくって暇つぶしたり、なんだか暇つぶしに忙しくて久しぶりの更新になりましたが、最近の私の地味な近況でした。

 

こういうのって誰でも少なからず葛藤があるのかなぁ

少なくともH氏にはないようだ。ちっとも。全然ないようです。

先日も車の中で「俺は毎日好きなことやってるし遊んでるから人生が楽しいよ」と言っていた。

 

へぇ、あっそ、そりゃよかったね。

 

 

別に誰にも頼まれてないけどずっとちまちま書いてる私のブログ

これからも大切にちまちまと書いていきたい。

 

 

あ、そういえばその最近の「プチ自分探し」の中で、出産前にバイト先のレストランのオーナーに誕生日に「自己啓発本」みたいな本をいただいたんだけど、それに書き留めた自分お夢や目標について書いたやつを3年ぶりくらいに見返したら、

いまと全然違うことを思っていて、

 

大切なものもまったく違って、

感じてることの優先順位も、え?ってくらい変わっていて、

 

あたし、子ども産んでから生まれ変わったみたいに変わったんだな、と少し驚いた。

 

妊娠出産授乳育児で変わるものは、体型だけじゃなかったのか。

 

親になることでの自分の変化に伴って、考え方や環境についての変化はいろんな方面に散らばっていってて、過去の自分と今の自分、これからの未来についてのギャップに馴染むのは、もしかしたら誰もが時間がかかるものなのかも。

 

 

 

知らない世界を知っていくことは、いつだって楽しいよね。

 

見たこともなかった景色をみてると思えば、生活がちょっと違うよな

 

 

さて、おやすみなさい

 

 

 

中途半端に

毎日ブログ更新しようと途中まで書いてるんだけど、

 

なんせこの時間に次男がちょこっと覚醒するため途中で寝室に行っては寝落ちする、ということを繰り返してます。

 

さぁ。今夜はどうか。

こんばんわ、私です。

 

 

2歳の息子の絵本が増えて、小さなカラーボックス1個の絵本棚に収まり切らなくなってきたので、絵本のためのバッグを購入しようか心から悩んでいた。

 

常に何かを買おうと悩んでいる、それは私。

 

 

BOOK TOTE SMALL - TEMBEA

 

テンベアのブックトートはとてもかわいい。

ものすごくかわいい。

こんなの絵本入っていたらかわいい。

絵本が必要なくなっても、図書館から借りて着たよみかけの本を入れたり、車の中の物入れに使用したり、玄関でスリッパ入れに使用したりと色々と使用方法もありそうだし、なによりかわいい

 

けど、まぁ、例により高いんですわ、これ。

 

一万円。

 

いまの私に本を入れるためのトートバックに一万円が払えるか。払っていいのか。

 

お前、そんな金もってないだろう、と頭の隅の私が夜な夜な囁き、

 

今日意を決して諦めた。

 

私にしては賢い選択だと思う。

 

そうしてニトリのカゴをかいました。

 

そうしたらそれがけっこういい感じ。大きさも、あ、長男が起きた・・・

 

 

また今度、とほほ

 

 

 

 

冬ですか

あ、もう11月か・・・・

 

カレンダーを見ていて思った。

 

 

北海道はそろそろ冬が来たようで、最近の日中の最高気温も15度程度、最低気温は5度以下だ。

 

さみぃ〜

まじさみぃ〜と言いながら紅葉でにぎやかな色になった道を息子と手を繋ぎながら歩く

 

公園で遊ぶ子ども達も寒いようで、すぐ抱っこしてと言うし、すぐにおうち帰るとどうにも乗り気では無い様子。

 

あんなにお外ばっかりいってたのに、今は全然、ほんとにぜんぜん、お外に行きたいって言わなくなってしまった。

 

私の母は「またそのうち言うようになるって」と言ってたけど、

毎日3時間以上もお外で遊ぶ生活はまじでしんどかったけど、いざいざそれがなくなるとやっぱり寂しいような。結局のところ、贅沢な悩みってことですね。

 

 

家のなかで息子は電車を走らせたり、車をはしらせたり、カーズやニモやトーマスのDVDを見たり、シールを貼りまくったり、クレヨンでぐちゃぐちゃ書いたりしています。

 

そういう時間も大事にしたいんだけど、家にいると自分がだれた気分になってすぐに眠くなってくるし、むにゃむにゃ眠い、お母さんはまじで眠い、もうダメだなんて言ってゴロゴロしていると「あぼぼ〜、かーしゃ、あぼぼ〜〜」と可愛い様子で私を起こしにやってきて、

 

なんせ眠いんで、

「ちょっと眠い、おかーしゃは眠い、ちーくんも寝よう、ほらねんね、ねんねよ〜〜」なんて言って嫌がられている。

 

そんなんでダラダラしてるしおやつも食べてるんで、大樹が2キロくらい戻らない。

もうすぐ5ヶ月だってのに戻らない。体型も戻らない。

お腹はえっと、あたし、まさかまさかだけど妊娠してないよね?なんかお腹出て来たんだけど・・・?というくらい出ている。

 

そろそろ本気でダイエットしないとなぁと思ってる最近です。

 

なんでもない夜。

ずっと毎週楽しみにみてきた真田丸がついにクライマックスで毎週ハラハラする。

 

日本史、もっともっとしっかりと授業きいておけば楽しかったのかなぁ。

 

大人になってもっと楽しく授業ききたかったって思うことは多いんだけど、だからといっていま高校生に戻ったところで、興味はもつのかは不明。

 

 

あ、次男おきた。

おやすみなさい。

 

 

言葉の向こう側

昔まだうちの兄がアメリカに住んでたとき、

「こっちの人は英語話せない人のこと足りない人と思ってるから」みたいなこと言っていて、なんとアメリカ人は最低だなぁと思った。

 

そうしてそれから何年かして、私がヨーロッパとアメリカへの旅行に出かけたとき、

その先々でなるほど英語もしくはそこの国の言語を話せない人はどうやら思考も足りて無い人、というか理解しあえない人と認識されてるらしいな、というふうに感じる扱いをうけたことが何度かあった。

 

でもその時の自分は完全に英語は人と仲良くなったりコミュニケーションをとったり何かについて議論したりするものではなく、

日常生活で必要の会話や、旅行に関して必要な単語や意味だけを認識して理解できていればよかったので、たとえ英語が理解できないことによるそのような体験があったとしてもどうでもよかった。片言の英語を、めんどくさそうに対応されることに少し傷つくことはあっても、だからといって相手に腹を立てたりするようなことではなかった。

 

ある時旅行中に、片言しか話せない私が、ユースで同じ部屋だったカナダ出身の女の子とオーストリアのハルシュタットに行って湖のほとりで迷子になりかけたとき、偶然居合わせた日本人の個人ツアー客に助けてもらったんだけど、

そのとき日本人と日本語をペラペラと話し、トラブルから救ってもらえるように対処する私を見て彼女はとてもとても驚いた顔をしていいて、「え、この人こんなに話せたの?全然話してなかったのに」と書いてあるみたいだった。

 

 

 

なるほど、人は、話したり口にすることだけを考えたり思ってたりするんじゃないのか・・・・。

 

当然だ。だけど改めて思うと違う視界になっていた。

 

 

言葉にすることができない思いを、言葉にできないから飲み込んでいるのに、

見てるこっちは口にしない思いについて瞬間的に考えるのはけっこう難しい。

 

もしかしたら考えてなくて口にしないことなんてほとんどなくて、

どうやって表現したら、言葉にしたらいいのかが分からなくて、表現したいけど何らかの理由でそれができないから口にしないことのほうがずっとずっと多いのかもしれない。

 

 

 

何を急にあんたって、

 

最近息子の口数がぐぐっと増えて、

いろんなことを自分から話したり、私についての質問をしてくれるようになったのを見て、「へぇ〜!今までそんなこと思ってたんだ!!言葉にできるようになったんだなぁ、今までもきっと、何も言わなかったけどそう思ってたんだなぁ」ってことがよくあるので、

そのときの息子の心境を察するに、

英語でなんて言うのか分からなかったから飲み込んでたけど、あのとき本当はもっとこうしたかったし、実はこんなことを思っていたんだよって心の中の私と重なったよって話です。

 

 

加えて最近読んだ雑誌の育児相談コーナーに「子どもにはできるだけなぜ?という質問をしないようにしましょう、なぜ?という質問に対して上手に答えるのはかなり高度の質問です、なにか起こった時になぜそうしたのか?と尋ねられると責められたような気持ちになり、なかなか本音を言いだせません、なるべくなぜそうしたかをいつ、どこで、何を、どうしたのかという質問から汲み取れるような会話になるように気をつけてみましょう」みたいなことがちょっとうろ覚えなんだけど書いてあり、

 

そうかそうか、なるほどね、ふむふむ、と思ったのもあります。

 

 

 

日常生活に必要なことを話すのは案外簡単。私の極めて未熟で極めて適当な英語のように。

 

だけど、自分で考えたこと、気持ちを口にしたりすることは、意識してみるとずっとずっと難しいんだなぁ、ってことを思った最近の出来事。

 

言わないからって何も考えてないって思ってしまうのだけは気をつけよ。

 

 

 

ひとつ言葉を覚えると、ひとつ子どもたちは私から手が離れていく。

 

失礼にも読んだ本も作者の名前を忘れちゃったけど、心がけていきたいです。

 

 

もしかしたら認知症でもう何にも覚えてないおばあちゃんも、話すことが難しくなったけど、心では違うことを思ってるのかもしれないよね、

 

 

さて

おやすみなさい。

 

ファッションの独り言

夫の運転で遠出のお出かけするときは、コンビニに降りたりちょこっと買い物したいときにいつものオムツやら着替えやらウェットティッシュやら飲み物やらごちゃごちゃと入ってるリュックとは別に、

 

昔ローズバッドで購入した巾着型のポシェットを使っていたんだけど、その紐もボロボロだ。

 

昔は小さいバッグが好きで、巾着型の小さいバッグとかハンドバッグとかをよく使ってたんだけど、母親になってみればハンドバッグほど役に立たないものはない。

 

邪魔だし入らないし高いし、子育てにおいてのいいところはほぼ無いと言っていい。

 

 

だけど出先ではまたちょっと用途は異なる。

 

貴重品だけ出しておきたいときがなかなかの頻度であるし、でかいリュックをいちいちしたからかき分けて財布を取り出すのは時間もかかるし、なんとなくどうしてか惨めな気分になるときもあるし、

 

クラッチバッグ的な気軽さと気分でバッグを持ちたいときもあるのだ。

 

 

ということでどうしよっかなぁ〜とちまちまいつものようにゾゾったりバイマったりしtる私です。眠いんだけど諦めたくはないって思う自分。

 

 

「所帯染みた」という言葉がある。

はっきり言って恐ろしい。

 

私は所帯染みることに怯えているのだ。

 

ことバンクによれば、所帯染みるという言葉の意味は「考え方、態度などが、所帯持ち特有の生活臭を帯びて、はつらつとした感じがなくなる。」と書いてあり、

 

調べながら、あぁそうそう、そうそうそうそう、そうなるのがほんとに嫌なのと思い、先日イオンのおもちゃ売り場で、

 

子どものおもちゃ遊びコーナーを2歩くらい下がったところでじっと待つ母親、私を含めて4名いたけど、

 

その4名はほとんど同じような格好をしていたことを思い出した。

 

洗いやすいコットン素材の服に、汚れたりシミになっても惜しく無い値段のもので、首にぶらさがられたり服のなかに頭や足や手をつっこまれたりしてもそうそうひどいことにならなそうな形で、

 

おそらく同じような道具がはいっていそうな大きなカバン、

 

走り出したこどもを捕まえられるようにいつでも走れて運転しやすい靴、

 

ボサボサ隠しのニット帽子、ジーパンやチノパン、体温調整しやすいパーカー、子供がねたときには布団代わりにもなったりして、

 

そういうのは幼子を抱える母親のユニフォームと言っていい。

 

 でもその子育てのユニフォームそのものが所帯じみてるってわけじゃなくて、要は「わりと綺麗にしてたい」って気持ちをなくしたときからそれが自分の体にじんわりとにじむんじゃないか。

 

支援センターでおしゃべりするママ友はほとんど同じスタイルで、

それは毎日楽で効率的で経済的だからみんなそっちの方向に行くわけで、

それは山登りの人がヒールはいてないし、ひらひらのカットソー着てないのと同じことで、

 

もちろん私もそっちの方面になんならスキップしたくらいにして進んでるんだけども、

ちょっと一瞬くらい、クラッチバッグの気持ちになりたいときもあり、

 登山してたってかわいいものは身につけたいわけで、

 

だから何って、

 

つまり、欲しいと思ってるのはセリーヌのトリオです

 

服や小物はただの単価ではなく、そのものを何回使えるのかじっくり考え、その上で一回の値段はいくらいになるのかを考えるといいと言う。

 

トリオはだいたい10万円。

高い。

無職ってゆうかふつうの専業主婦には辛い値段だ。

働いてたらボーナスで決心して買う値段だ。

 

だけどドライブのたびに持ち出して、それに加えてあの形なら子ども達が小学校に入学する際の持っていくカバンにも使えそうである。

 

そのようなフォーマルの場に行くときはみんなキャンバストートというわけにはいくまい。

結婚式御用達のクラッチバッグというわけにもいかないし、最近ちょっと流行してるルイヴィトンのスピーディーみたいなバッグについてもイマイチであろう。

 

最近の授業参観はみなさんカジュアルでジーンズなどもOKという話をきいたことがあるけど、まさかジーパンにリュックサックって感じでもないだろうし、

 

そうかんがえると、子育て中にはいまいち必要性もないオシャレバッグだけども、黒だったらけっこう使えるのかもねぇなんて感じで検討中です。

 

来年の誕生日までに買えるといいなぁ〜、えへん。

 

 

ママ友に「ちょっと財布と携帯とハンカチくらい入るカバン欲しいんだけどオススメない?」と聞いてみると、

 

「グレゴリーのウエストポーチは前でも後ろでもしょえて、腰につけたら子どもを抱っこするときすごく楽みたいよ、インスタで見た」と教えてくれたので、

 

「あら、それならH氏いまでもよくそのバッグ使ってるから借りてみようかなぁ、でもさ、あたしさ、なんつーかもっとオシャレ感求めたいんだわ」というと

 

「えっ、あなた乳幼児の男の子ふたりの母なのに、まだそんなこといってるわけ?」と言って笑われたので、

 

「そうだよ、そこは捨てきれないところなんだってば」と答えておいた。

 

 

 

あと雑誌とか見てると冬でもカプリ丈のズボンって出てるけど、あれって誰が着るのかなぁ。

あの足でてる部分って寒いよね?北海道じゃまじでその部分冷たい通り越してかゆくなるからそのズボンは無理だわ〜と思いながら見てます。

 

カーティガンもフラットシューズもとっくのまに適温は過ぎ去った。日中は15度、よるは5度だって。

 

もう冬は毎日ユニクロのカシミアセーターとジーンズでいいわ。ほんと毎日それでいい。

 

 

さて、寝よ。おやすみなさい。独り言でした。