Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

New DOOR

今まで何度となく、新しい扉を開けたときの向こう側の世界について考えてきた。

 

いま自分が知ってる世界からとなりの扉を開けて、

やってこなかったことをやってみたとき、知らなかったことを知ったとき、意図的にしろ、運命的な必然にしろ、

とにかくやった後とやる前の自分の世界を比べてみて、その扉の向こう側に広がる世界の広さにびっくりしてきた。

 

「うはぁ、こっちの世界は、こんな感じになってたんだぁ」何度もそう思ってきた。

 

一番古い記憶だと、高校生のときにインターネットに出会ったとき、

それからmixiという名前のSNSに出会ったとき、北海道の田舎から横浜に上京したとき、ひとりでバックパック旅行にでかけたとき、深い恋愛を経験したとき、読んでみたかった本を読んだとき、新宿2丁目に行ってみたとき、お〜い、竜馬がきっかけで日本史が好きになったとき、あとは結婚生活も、出産子育ても、それで言うとメルカリも、看護師から転職したときも、他にもいろいろなこと全部に「へぇ〜!こっち側ってこうなってたんだ」という感じで。

 

出産直後から、急に眠気が自分に属さず「眠いときに眠れない、死ぬほど眠いけど授乳しないと乳が出ない」と朦朧とする頭で授乳してたときも「こんな風になってたんだ、子育ての世界、みんなこんなことやってたなんて、すご・・・」と思ったし、

歴史の扉をあけたときも、以前の旅行で宮崎のグラバー園ではハートの石を見つけただけでグラバーさんが誰かも興味なかったし、京都をぷらり旅したときも尿意におそわれて気が気じゃなかった思い出しかないし、山口県と北九州の港に立ったときもフグのことしか考えてなかったし、いろいろと自分を恥じた。

歴史を知らないと景色も見えない。

 

それと一緒で、最近の家族の出来事といえばポケモンGOを始めていろんな現実の世界をポケモンの世界を通してみるようになり、

息子たちと世界地図を見ながらエッフェル塔を指差して「あそこはたぶんジムじゃないか」とか話したり、「あそこの公園ストップたくさんあるから行ってみるか」とか色々と自分の街を回ったり、

小さな子どもから高齢者まで、日本だけじゃなく世界中のひとたちが同じようなイベントやバトルで盛り上がってるのに家族で参加する感覚は、

ポケモンの世界の人ってこうなってんだ、オンラインゲームの楽しさってこれなんだ!」という新しい発見だった。

 

職場のお昼休みにぼんやりとポケゴーを開いたら、裏の大きな郵便局に伝説のポケモンが卵から生まれるところで、急いでお弁当を片付けて駆けつけたら、見知らぬ仕事中の姿をした大勢の男性が並んでバトル待ちしてたりして、日々ポケモンGOを通して新しい発見がある。

 

ポケモンゴーはまぁいいとして、とにかく物事はトライして何かに通ずる扉を開けないと、向こうの世界のことはわからない。

 

自分がまたみてない世界を見てみるって、ほんと楽しいよなぁ、

いまこの瞬間にも、私が開けてない扉の向こうには、めまいするほど広くて深くて面白い世界がどこまでも続いて広がっていて、

何を開けるかはまだわからないってのは、なかなかドラマがあるし、わくわくするよな、ということを思ったという話。

 

 

今日先日うけた来年度の正職員の就職試験の1次結果が発表されて、合格してました。ホッ・・・・

 

久しぶりに確立とかグラフとかの問題を解いたり、何かにチャレンジしてるって実感がわりとあって刺激的だった。何はともあれ良かったです。

 

来年は「そっかこっち側こんなんなってんだ」ということがたくさんあるだろうか。

 

新しい言葉や言い回しを知ると、自分がどんな気持ちなのかを表現する幅が広くなるように、

自分が変わると視点もかわるし、いろんな扉のいろんな世界をとりあえずやってみるのはほんと大事なんだな、と改めて感じた最近だった。

 

ベルセルク読んだときも思ったなぁ「こんな世界あったのか・・・」という感じで。

 

今後開けてみたい扉としては、「裁縫」「手話」「ギター」です。いつになるやら。

 

あなたの気になる扉はなんですか?

 

さて、今日から息子たちは長い夏休みなので、仕事の頻度はダウン。ビーサンのあとめっちゃつくまで隙あらば日焼けしたい。