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Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

髪の毛

今の私は、私自身が記憶している中で一番ブスであると思う。

 

鏡見るのも憂鬱だ。

 

原因は明らかである。食欲がとまらずに体重が減少しないことと、産後の抜け毛のあと再度はえてきた髪の毛が3〜5センチ程度のところまで成長してきており、どうにも髪の毛がまとまらない。ぴょんぴょんと跳ねまくっている。

 

長男を出産後には髪の毛をショートカットにしたため目立たなかったが、今は鎖骨下あたりまで伸び放題の有様なので目立つのである。

 

あ〜ブスだなんて卑屈になって辛かったので、昨日美容室に言って久しぶりにカラーリングしてきました。

 

前回美容室に行ったのは次男を出産する前のことでしたので5月です。なんとまぁ。

 

 

髪の毛の色が少し整うだけでブス度が5%くらい減少しました。5%ってでかいわよね。

 

 

というだけの話です。

 

 

「ロングに伸ばそうかなぁ」と夫に伝えると「え〜〜似合わないんじゃないの」というので、

「じゃあショートにしようかな」と言うと「え〜ショートも似合わないんじゃないの」と。

 

「じゃあ何が似合うのよ」と尋ねると「そんなこと俺に聞かれてもわからないよ」と言われたので白い目で見ておいた。

 

 

友人も「あんたはどんな髪似合うんだろうね」と。私が一番知りたいってば

 

 

 

さて、おやすみなさい。

 

一同元気で暮らしてます。

 

 

 

鈍感者の言い分

私が鈍感であることについては、自分の中では有名な事実だ。

 

大雑把でマイペース、そう言い換えてもいい。

 

前の職場でも誰と誰がつきあってるだとか、誰と誰の関係が微妙だとか、誰と誰はどうのとか、そういうことについて自らやんわりと認識したことは一度もなかったし、

 

色々と自分の意見をはっきりの述べて周囲を引かせたこともあると思う。

 

もしくは自分の興味、やりたいこと、意見、自分の進むべき道などについて誰かの目線を気にして意見や行動を変えたことなど一度もないし、

 

言いたいことは言う、やりたいこともやる、自分の人生なんですもの、という様子が毛穴から滲みでている姿で過ごしてきたと思う。

 

ついでにいうと痛みにも鈍感で、盲腸で腹膜炎を起こすくらい我慢したし、指を骨折したときも気づかなかったし、出産もいたたた・・・うーんうーんなんて言ってる間にすぐ生まれた。

 

さらに言うと便意にもうとい。

 

 

自分の中身や周囲に対して鈍感であること、大雑把であること、マイーペースであることは、

私自身が生まれ持っている宝物だと思っている。

 

 

 

最近「気にする方の人」から、そういうの鈍感な人たちはもうちょっと気にして欲しい、もしくはよく気にしないで生きていけるよね〜、みたいな話を聞き、

 

「あぁあたしってほんと鈍感だなぁ・・・・」となどと再々再々再々再々再確認した出来事がふたつあった。

 

 

具体的には「子どものカゼがちゃんと治りきってないのに集団に入れる人いるけど、あれやめて欲しい、うちの子にうつるじゃん」「他のおうちに連れて行って子どもの手垢がベタベタするの気になるから気をつけてる」みたいな話で、

 

私はその話を聞きながら「ええっ、そんなの全然私も気にしない!!!!」と少し衝撃を受けた程度の小さい出来事だ。

 

いや、小さくない。これは小さくないことなのだ。

 

熱なんてなければ、そんなの全然気にしない「鈍感」な私の言い分はこうだ。

風邪をひいて体調を崩す。熱が出たので会社を休む、もしくは学校を休む、社会に出たらそんなことはたくさんある。

インフルエンザや他の感染症みたいに、何日間の出勤・登校謹慎命令が明確になっていない場合には、仕事もしくは学校を休む期間は個人の体調の回復具合に完全にまかされていて、

「鼻水がとまるまで」だの「食欲が戻るまで」だの言ってる暇なんてないし、

むしろ熱ないし元気なんだからさっさと行けよ、みたいな判断が多いと思う。

 

どんなウィルスや細菌に感染しているのかも不明なのに潜伏期間や感染期間を推測するのは不可能だし、なかには1ヶ月くらい感染力が継続するものだってある、

 

つまり風邪を予防することなんて個人の抵抗力や感染予防対策を高まるしか方法はないのだ。

 

その上子どものときに多くのウィルスに感染しておくとのちの免疫強化に繋がるため、小さい時にたくさん風邪をひいておくほうがのちに有利とまで書いてあるものもある。

 

決められた予防接種をうっていて、明らかに診察時に集団を避けるような指示がない場合に、自己判断して「人にうつつ可能性があるから自粛してほしい」というのは無駄な配慮だ。

 

明確な根拠が明らかにされていないのに、「そうだったら困る」という理由だけで相手にそれを求めるのはちょっと横暴だと思った。

 

 

 

「もうちょっと気にして欲しい」「こういうの気になるから自分も気をつけてる」みたいな話のはじっこには、いつもなんだか鈍感な人たちを少しバカにするような雰囲気があるような気がして、

 

気にしてない人が劣っているような、気にしている自分が配慮ある人間みたいな、

小さい頃からなんども言われた覚えがある、「あんたは鈍感だもん」「あんたは鈍いから」「どうせ気づかない」などという言葉をぼんやりと思い出して、私はなんだか少し腹がたった。

 

そこは鈍感なんじゃない。それぞれの考えがあるんだってば。

 

 

 

私の大雑把でマイペースで鈍感で雑な部分というかそれが私の半分以上を占めてると言っていいと思うけど、そういう人に私の言い分はどんな風にうつるんだろうか。

 

正論を話したとしても分かり合える気はしないし、

「風邪がうつるから治るまで集団にいれるのは遠慮して欲しい」という意見には、ただそれだけじゃなく、

 

子育てや生活、思想や信念、いろんなもの相違を示しているよなぁと思った。

 

 

私側の配慮としては、世の中には自分の正論や根拠を述べたとしても

「なんかやだ」「そういう問題じゃない」という反論にならない意見で返されそうだから、

 

そういう人と交わる時は「うちの人たち風邪ひきなんだけど大丈夫?」と一言聞くようにしよう

 

 

けどそう言われたら「からあげにレモンかけて大丈夫?」ってきかれたときみたいに、本当は「レモン嫌なんだけどまあいいか」みたいな返事でされそうだし、

 

つまりはやっぱり「うちは風邪引き終わったばっかだから自粛するわ」と自ら意見をまげて述べることになり、

 

そう考えるとそうやって誰かの目を気にして意見を変えたりしたくないし、本心と反対のことをし続けることは苦痛になるので

 

やっぱりこれは小さな問題じゃないんだよなぁと長々思ったはなしでした。

 

本心と違うことは一個もやりたくない。

やりたくないことはやらない。そう思ってないことはそうしない。

そういうのを捻じ曲げていくと、何がなんだかわからなくなるんじゃないか。そう思いませんか。

 

築地の問題で移転反対派の人が「安全だと示されてもそういう問題じゃない、信用できない」みたいなこと言ってたし、

 

安全は数値で示せるけど安心は示せない、全然関係ないけど、なんだかこれも同じ種類みたいな、そういうカテゴリーのことだよな。

 

 

私の大雑把でマイペースで雑で鈍感な部分を嫌に思う人は、私はその「気にする」繊細な心に不快な引っかき傷を残すタイプだと思うのでできるだけ住み分けして生活していたい。

 

これからこどものイベントなどで普段は関わりない人々と付き合うこともあるかもしれないので心がけよう。

 

そして私の大雑把でマイペースで雑で鈍感な部分を許容してつきあってくれている友人たちに感謝したい、アーメン

 

 

 寝ます、おやすみなさい

 

 

 

 

 

ZOZOの古着いいですよ

息子と寝落ちからの復活パターンで深夜活動しています、こんばんわ、私です

 

 

本日の昼食時に、夫がキーボードにラーメンの汁をこぼし、Macのキーボードが天国に召されました。なのでエレコムの安いキーボードでブログを更新しています、すごくやりにくい。

 

夫はとほほほほ・・・みたいな感じで落ち込み、何度も「ださいよねぇ」など「打ちにくいよねぇ」などと私に同意をもとめてきたが、傷ついていた様子だったので「そぉねぇ」くらいの返答をしておいた。

 

そしてもし私が逆の立場でパソコンを閲覧しながらラーメンの汁を彼のMacにこぼしてキーボードをこぼしたんだとしたらなんと罵られただろうということを想像してゾッとしました。

 

誰かが何か失敗したときに、ついつい一言いいたくなるけど、責めたり罵ったり怒ったりしないというのは私のなかの注意している項目でもあります。

 

なぜなら私はよく色々と失敗するので、そのつどずーーーーーんという気分になるし、加えて誰かにそれをとやかく言われたところで改善する見込みがないということは自分が一番知っているからです、えへん。別にいばるようなことじゃないか。

 

 

そうそう、いきなりですが、最近ゾゾの古着で買い物してます。

 

専業で子育て中だと、自分の服を買うのにも罪悪感というか背徳感があり、自分でもらったお給料で何か買う時が一番気持ち的にもスッキリするけど今は収入がない、買いに行くタイミングもない、

なのでちまちまと安い服(主にユニクロなど)を買っては捨てを繰り返してたんだけど、

 

やっぱり着道楽の欲は満たされず、しかし高い服を自分の貯金から購入してもよだれや鼻水や食べこぼしですぐに汚染され、クリーニングに出す手間もカネも惜しいし、

そうなるとやっぱりガシガシ洗えて捨てる時に涙がでない安い服・・・ということになると気分的に高揚しない、しかし気分があがる服も着たい、というループにはまっていた。

 

ゾゾの買取は断捨離したときやブランド物を手放したい時なんかによく買い取ってもらっていて、ふと自分の売ったアイテムどうなってんだろうと検索してみると、

 

えっうそこれ新品みたいじゃん!レベルの洋服が、当然ながらものすご〜〜〜〜く安く売ってる!!

 

古着なら汚くなっても鼻水ついてもゲロにまみれても惜しく無い!!!って感じで大変気軽だし、素敵な服も購入できて、いろいろと満たされました。

 

自分が好きなブランドならさんざん試着したしある程度サイズ感も把握できているのでちょうどいい。

けど返品はできないので、ものすごい吟味が必要です。

 

 

 

独身時代で着ていた服や持っていた小さいバッグ、買ったのはつい最近のことと認識してたのに、いつのまにか全然似合わなくなっていた。

 

あんなにときめいてたケイトスペード、もうダメだよな・・・と思いながら友人に確認のメールをすると、「うん、もうダメだね」との返答。そうだ、娘だった時代はいつのまにか終了したらしい。

 

リップとSuicaとお財布だけいれておくリボンのついた小さなハンドバッグ、さよなら。

 

売りに出したことを伝えると、友人から「ひとつの時代がおわったね(笑)」とメールが着て、ほんと時代はあっという間の出来事だったなと苦笑いをした。

そしてちょうど今年20歳の義理の妹が「ハワイ行ったらケイトスペードのハンドバッグ欲しい」と言っているのを聞いて、なんだかちょっと羨ましくなりました、この先もものすごく楽しいことたくさんあるんだよな、この人。

楽しいことあるのは、まぁもちろん私もですが、青春は終了した実感ある。

 

 

ゾゾで古着買って着てますって大きな声じゃなんとなく言いたく無いけど、いいですよ。

 

外で活動するときのアウトドア用の薄いジャンバーとか、ちょっと着たいだけだからそこまで高くなくてもいい、だけどダサいのは嫌なんだよなぁ、ユニクロでもいいんだけどって時に、ユニクロと同じくらいの値段で買えるので、嫌じゃ無い人にはおすすめしたい。

 

さて、ストレッチして寝よう。おやすみなさい。

 

 

Someone like me

昨日の夜、突然生理がきた。

 

一年半年ぶりの生理だ。

 

長男を出産したときは産後四ヶ月で完璧で定期的なやつがきてガックリきたが、今回はさすがにちょっと遅くて安心してたのに、こうゆうのって突然くんだよな。

 

下着を汚している血液を確認し、なんとも言えないような気分になって脱衣所で着替えた。

 

夫はリビングで寝ている。

 

脱衣所から出ると薄眼をあけて私を確認したので「生理きたよ」と言うと、めんどくさそうに布団にくるまってしまった。

 

 

二人の息子と、夫と、わたし。

 

毎日のこと、くりかえし、何気無い日々が消費されている。

 

むせかえるような生活の匂いが自分からしてくる。

 

夜、かぞくがみんな寝静まっている中、YouTubeマルーン5のPVをちいさな音量で流し、あまりの華やかさで胸が踊る。あぁ、アメリカだなぁ、アメリカに旅行していたのは本当に自分なんだっけ?なんてまた不毛なことを。

 

大人になるということは、こういうことなのだ。

 

どこにいたって、誰といたって、どうやって過ごしていても、生活の基盤が自分の色にどっぷり浸かって行くことこそが、地に足がついた生活、そうなのかも、などと納得させるようにつぶやいてみる。

 

 

布ナプキンをセスキソーダにつけておく琺瑯のバケツを準備しながら、なんか生理きて自分に戻った気がする、と思った。

 

 

夫婦のベレー帽

先日のことです。

 

インスタグラムやファッションスナップなんかでベレー帽をかぶっているのを見て、

「ちょっといいなぁ」と思った私。

 

産後の抜け毛が落ち着いたとおもったらすぐに生えてきてくれたいま、ボサボサに収集がつかない。ボサボサの究極をいくボサボサだ。

 

ベレー帽あったらボサボサも緩和されそうだし、つーか帽子でかくれそうだし、どうかなぁなんて考えて、

 

となりでネットサーフィンをしているH氏、つまり夫に

「ねぇねぇ、私ベレー帽買おうかと思ってるんだけどどー思う?」と尋ねた。

 

夫はそれを聞いた瞬間、少しえっというような顔をして、にやりとして、

 

「やーーめーーーなっ!ぜったいぜぇぇぇったいやめな!!」と強く言った。

 

「やめときな!絶対!ぜったいに似合わないから!!」と強く言いながら、口元は少し笑っていた。

 

「ちょ。ちょっとちょっと、あんた、なんでまだかぶってもいないのにわかるのよ、かぶってみなきゃわからないでしょうが」と言う私に、

 

「いや!わかる。それくらいはわかる。絶対にあんた似合わない。あのね、ベレー帽はさ、でかい女は似合わないの!あんたは顔もでかいし、身長もでかいしさ、でかい人はベレー帽似合わないってわかる!あっ、そうだ、俺検索してあげるよ、でかい女、似合わない、(カチャカチャとキーをたたく)、おっほらっでてきた、なになに、あれっ、ベレー帽はでかい顔を小さく見せるって・・・、あらま、あんたよかったね、でも身長でかい女の子とは書いてないけど、とにかく似合わないと思うからやめたほうがいいと思う!!」ということをものすごく早口で言った。

 

私は思わず笑ってしまい、「ちょっとあんた、ほんとびっくりするほど口悪いけどさ、もうわかった、ベレー帽はもうわかったし、あんたのとことん悪い性格のこともよーく理解できた」とだけ言ってその話は終了した。

 

H氏は「俺はほんとうのことをハッキリ言っただけだ」と言ってネットサーフィンの続きをしていた。

 

その後、私はその会話をたびたび思い出しては、あいつなぁ・・・・と苦笑いしながら、ふつふつと疑問が湧いた。

 

どうしてまだトライしてないことを、あーやってコテンパンに言われなくちゃいけないんだ、

 

私がやろうと思ったこと、やりたいと思ったこと、欲しいと思ったものなんかを、

H氏の範囲を超えない範囲で制限されて、

それって自由って言えるの?自由って何?自分がやりたいって思ったことを、いつだってチャレンジできることを言うんじゃ無いの?

あたしはこれから一生、ベレー帽もそうだし、ミニスカートもそうだし、ハンチング帽子もそうだし、キャスケットもそうだし、テーラードジャケットや、ヒールの靴や、それらH氏が「別に好きじゃ無い」ものの範囲で選択し続けて、

 

それって何よ、あたしって何よ!?!?!?!?!?!?

 

などということまで考えた。

 

ムカムカする。

 

なんであんなに言われないといけないんだ。あたしの人生ってなんなんだよ?

 

あーなんか腹たってきたなぁぁぁ!!なんて一人でメラメラ怒りながらパソコンに向かっていた深夜、

 

いや、まてよ、何事も人の立場にたって考えるのが必要だった、一方的にムカムカしちゃいけない、

 

そうだ、私ならなんて言うだろう、

私が思う、絶対にベレー帽が似合わない人・・・・

その人に相談されたら・・・・・

 

母・・・・

 

母が「ねぇ私ベレー帽買おうかと思うんだけど」っていきなり相談してきたらどうだろう

 

おそらく「えっ、なんで?なんでベレー帽?テレビで見たの?違う帽子にしたら?」と少し驚いて言うだろう。とりあえず否定する。チャレンジしてみなよ!とは言わない、どうしてかというと60歳を超えた母(冬はいつもノースフェースのダウンを着ている)にはたぶん、似合わないからだ。

 

幼馴染に「ねぇベレー帽どう思う?」聞かれたら・・・・

「えっ・・・・まぁ・・・試着してみたら・・・・とにかく試着してみたら」と言うだろう。あからさまに傷つけるような言い方はしない。人として当然のことだ。

 

夫だったら

「おっあんたベレー帽なんてかぶって、ついに手塚目指す気?」と言う。そんなことは本気ではないと思うが一応傷つけない言い方(私的に)を目指したい。

 

兄ならどうだ、

「ねぇ、ベレー帽買おうと思ったらどうする?」なんて万が一にも聞かれたら、

「やめなっ!絶対やめなっ!!あんた顔でかいんだからベレー帽なんてはいんないよ!よっぽど個性的なキャラめざしたいなら別だけど、そうじゃないならやめな!」

そう半笑いで答える、とほほ、あたしもH氏と一緒じゃん、とほほほ、だってにーちゃん絶対ベレー帽似合わないんだもん・・・・

 

あれ?そうか、私とにーちゃんは似てるんだった、そんなにオシャレじゃ無いのに目指しているところも同じだ、

 

にーちゃんにはたぶんベレー帽は着こなせない、それは私ときっと同じ?

 

そうかそうか、それにしてもH氏の口と性格の悪さはちょっと置いといて、私ってベレー帽似合わないのかもねぇ、ちょっと他の人にも聞いてみよう、などと色々と思った翌日、

 

母に「ねぇ私ベレー帽似合わないと思う?欲しいんだけど」と言うと「うーん、あんまり似合わないんじゃない、ピンとこないかな」と苦笑いで控えめに言われ、

 

兄に同じ質問をすると「あんた絶対へんだからやめな、ブスはああゆう帽子へんだよ」などと言われ、

 

横浜の同期に同じ質問をすると「うーん、ちょっと似合わないかなぁ」とメールで返信が来て、

 

H氏が言った「俺は本当のこと言っただけだ」というコメントがぼんやり浮かんだ。

 

 

 

私は全員にベレー帽が似合わないと言われたことや、

なんでそもそも自分でベレー帽が欲しいと思ったんだっけなぁなんて考えながら、

 

本当のことをハッキリ言ってくれる人との生活は、しあわせなんだろうか、不自由なんだろうか、安心なんだろうか、安全とも言えるんだろうか、なんてこと思った。

 

 

 

そうして昨日、夫が連れて言ってくれた北海道東川町の、暮らしの住まい設計というオシャレなお店で、

 

すっごくおしゃれでかわいいニットの帽子を発見して、H氏に「これ買おうと思うんだけどどう思う?」と聞くと、

 

「うん、いいんじゃない、U子に似合うと思うよ」などと言ってもらえて、私はルンルン気分でそれを購入し、その車の中でかぶって家に帰ったのであった。

 

 

夫婦の間でそういうことがあったという、ただそういう話です。

 

 

手の隙間からするすると

深夜です、こんばんわ、

 

さきほどけっこう自分的にはおもしろい記事がかけたのに、更新寸前でWi-Fiが不調になってフリーズしてて飛びました

 

がーん・・・・

 

一度勢いで書いた内容は、同じようなテンションで更新できない。ふぅ。

 

 

 

ふてくされてゾゾのコーディネートやキッチンインテリアの雑誌読んでプラプラしてます。

 

 

ゾゾのコーディネートランキングは着こなしなどを参考にさせていただいていますが、

冬の北海道に住んでいるこちらとしては足元が素足やヒールなどは全く現実的でなく悲しみを通り越して冬に怒りを感じる有様です。

 

さむい。さむい。

 

男性のコーディネートの投稿もあるんですね。

素敵だしおしゃれだけど、いくらかっこよくて素敵でも、私服コーディネートをモデル風に更新している男性とはおつきあいできないなぁとぼんやり思う。

 

おつきあいできる、できない、セックスできる、できないで男性のことを見ることはもうほぼなくなったけど、

ネット上の人なら見れるんですわ、不思議と。でもだいたい「できない」なんだけど。

 

さて、寝よ。しょんぼり

 

 

明けてます!

慣性の法則、というものがある。

 

高校の物理が6点だった私でも知っている有名なあれだ。

 

止まっているものに力を加えなければ止まっているままだし、

動いているものに力を加えなければそのまま動いている法則、それが慣性の法則

 

それはものだけでじゃなくて人にも当てはまる。

 

止まっているところから動き出すにはけっこうなエネルギーがいるし、

動いているところから止まるには意識的な休息が必要で、

動いている途中で何かを片付けることはスムーズだけど、一度止まってしまうと再度動き出すことは難しい。

 

外から帰宅して座る場所、テレビの前やソファ・ベッドの上から一度休憩してしまうと動きだすには難しいが、帰宅してそのまま用事、例えば宿題などに取り組むことはそこまでエネルギーを要しないらしい、

 

学生などは、帰宅後にどこに座るかで、学力に影響が出るとか出ないとか、

 

 

いきなり何って、ブログ放置してましたってことです、放置したまま1ヶ月が過ぎているのは慣性の法則によるもの、しないことをしないでいるには簡単なのよねメリークリスマス、よいお年ををすっとばして明けましておめでとうございます。

 

 

気づいたら新年明けて10日以上も経過してるってまじか。早い。早すぎる。

 

年末はクリスマス前にインフルエンザに長男が罹患し、そのまま私にスライド、そして次男に感染し10日以上外出禁止で年末を迎え、

その後も咳や鼻水がいっこうに改善せずに体調優れぬなか、ノロノロと新年を迎えた直後に長男が胃腸炎で発熱、それが私にスライド、そして次男に感染し、つでに母と夫までも体調をくずし、

 

なんだかもう散々でした。

 

 

初詣では「みんな健康でありますように」と当然お祈りしましたし、

一応七草がゆも食しましたので、なにとぞ今年は病気の少ない一年でお願いしたいです。

 

 

年末もインフルエンザ旋風により心身ともにいろいろあったけど元気でやってます。

 

 

今年の新しいこととしては手帳をつけはじめた。

気になっていたほぼ日手帳

糸井重里ファンの私はずっとあこがれていましたが、1日一ページってどーなの?そんな書くことないしなぁなんて思ってモレスキンをつかってたんだけど、

 

仕事やめてスケジュール管理をしなくなってからモレスキンの手帳は書くことがなくなって、ここ3年は手帳を買うこと自体やめてしまった。

 

スケジュールも書くことないんじゃ、余計に何にも無いのかなぁなんて思いながら買ったほぼ日手帳は、何にもない毎日だからこそ書くことはそれなりにあって、なんだか楽しくつけてます。

 

適当に夕飯の内容や、ちょっとぽつり思ったこと、お姑さんのすきなビールの銘柄や、もらったお手紙、アマゾンで注文したものなどなど、なんだかほんとに適当なことをちょこちょこと書いていて、買ってよかったなぁと言う感じ。ほぼ日手帳使っている人のことも親近感わくし、これから一年よろしくお願いしますね。

 

 

今年は「一皮剥きたい!2017」をスローガンにダイエットします。

マイナス5キロ。とりあえず三月までにマイナス1キロ。

 

じりじりとなりたい自分と本当の自分の差がひらいている気がして、少しでもその差を小さくするために、今年はちょっとだけ自分のことをがんばってみようと思います。

 

みんなも目標きめたかな

 

 

そういえば年末に、ツイッターで「もし自分がもう一人いたらどうしますか?」という質問が流れてるのを見て、

 

わたしがもう一人いたら・・・と真剣に考えた。

 

 

私がもう一人いたら、

ちょっとめんどくさいので、少し嫌な気分。

だってちょっと押し付けがましいし、めんどくさいことをいろいろ言ってくることもあるし、

それがいい時ならいいけど、嫌な時だってあるしねぇ、嫌な時、嫌だって言ってるのに私しつこいし、しつこいのはすごく嫌そうだからめんどくさいよ

まぁ悪い人じゃ無いんだけど、あんまりすごーく親しくはしたくないかなぁ

 

などとぼんやりと考えているところに、

 

 

「その回答は自分が自分をどう思っているかそのままの答えです」と書いてあり、

 

うっ、まじでそのままじゃん、と思った。

 

 

リアル友人の皆々様、ほんとこんなしつこくてめんどくさい私と友人でいてくださりありがとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

 

2016年は次男がうまれてほんとなんか忙しくて、ただただ忙しくて、ほんと忙しいとしか言えない1年だったけど、

 

振り返って風のようにビューンと過ぎ去ったこの一年のことを、暖かい気持ちで懐かしく思えるように、未来の自分に期待したいと思います。

 

 

おやすみなさい。