Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

わたしへの性教育

先日中学生むけの思春期の性教育の講義を聞く機会がありました。

 

「日本の性教育」と言えば世界的にも大幅な遅れをとっていて、どこがどう遅れてるのかは詳しくよくわからないけど、とにかく具体的なことを何も教えないまま一番先に赤ちゃんを作るためには「精子」と「卵子」が出あうところから始まる、というのが現状らしい。

 

精子卵子がどう出会うかは明らかにされていない。どうしたら精子が出るのか、卵子とであるのか。卵子と出会うためにはどんな工程が必要なのか。

そこは学校じゃなくて家族におまかせ、という感じ。「そんなの誰かに習わなくても自然に身に付けるものでしょう」的な。知らんけど。

何年か前にそれじゃダメでしょ、ということで具体的な性交の方法や詳細についてもしっかりとした知識をつけようという動きがあったらしいけど、お役所のほうで「まだ早い」とかいう謎の理由で頓挫したとかしないとか。

 

若年の妊娠も後をたたない。高齢化の世の中だし、10代の若者たちがたくさん赤ちゃんを産んでくれるのは社会としてはいいことなのかもしれないけど、実際問題核家族化・若者の貧困・シングルマザーの貧困・虐待・児童相談所の慢性的な人手不足などなど、10代の若者たちが健全に子育てをしていくのには世の中が辛すぎる。

 

性教育とは全然違う話だけど、今の日本で高齢者を救うサービスはなんとか割と整っていて、家族がいない、仕事もない、家もない高齢者だったとしても救う道はなんとかある。福祉だったり、介護だったり、生活保護だったり、最低限の生活は営んでいけるようになってるけど、小さな子だとなんなんだ。辛くても苦しくても、救うサービスは全然ないし、助けてくれる手だってものすごく限られてる。

 

ということで若者が勉強したり自分の生活を保持しながら子育てしていくには社会の限界があり、まぁ結局のところ望まない妊娠を増やさないためには性教育をしっかりしていきましょう、とそんなところの話で。

 

中学生向けの性教育の内容は、男性器・女性器の成り立ち、生理の管理方法や生理痛はどうして起こるの?精通ってなに?という一般的なところから、

ある中学生が恋人同士になり、セックスに興味をもって性交した結果、正しい避妊方法がよくわからなくて結局妊娠したかもしれない、めっちゃめちゃ不安だった、みたいなストーリーも交えて、

性講話の結論としては直接的ではないにせよ、「中学生だとセックス早いからもうちょっとよく考えようね」という話の流れになっていた。

 

講話を聞いた帰りに、職場の同僚と「てゆうかさ、中学生でも高校生でも、セックス自体は別に悪くないわけだし、好きだったら触れたい、触りたい、気持ちいいことしたいってのは普通なわけだから、でもセックスしたら妊娠する可能性あるし、よ〜〜〜〜〜〜〜く考えてセックスしなさいよ、もしセックスで避妊失敗したらこんな方法もあるから親や保健室の先生に相談しようねってところまで言った方がよくない?」などとブツブツ言いながら帰宅した。

 

そんなこんなで、望まない妊娠や性感染症を避けて、お互いの同意の上での性交自体は問題ないわけだから、だったらそういう年齢って何歳くらいになるの?などなど、ひとり帰宅後もぶつぶつと考えていた(ちなみに日本の法的な性交同意年齢は13歳で低すぎるって問題になってるくらいなのに)んですが。

 

そしてその流れで、最近ネットや口コミで話題の「おうち性教育はじめました」って本を読んだんだけど、そこに私的な回答が書いてあって。

長い前置きになったけど、そこについて書きたかったんですよ、わたしは。

 

 

「おうち性教育」には、挿入を伴う性交は、たくさんの愛情表現の中のひとつのカードであって、関係性の最高峰、最高に蜜な状態を示すわけじゃない、

 

セックス=最高の愛というのは周囲からの先入観である

 

愛情を伝える方法は、挿入やオーガズム以外にもたくさんあって、ハグやキス、言葉でのいたわりなどなど、挿入を伴った性交でなくても、愛情を確認する方法はたくさんある、ということが書いてあって、

 

これまで私の中で挿入を伴う性行為こそが「最高に密着した関係」としか認識してなかったので、ちょっと衝撃でした。

 

たたた、たしかに。

 

友達がデートして親密な雰囲気になったと聞けば「どこまでいったの?」と嬉々として質問して、「いれてない」と言えば「あといっぽだったのにぃ〜!」などと冷やかしたし、「いれてなければセーフ」みたいな話も何度となく話題にあがったと思う。

 

そんなこんなで、セックス=もう近づけないほど親密、みたいなことを無意識にずっと認識してたけど、

よくよく考えたらセックスしたからって親密なわけじゃ全然ないし、してないから親密じゃないってわけでもないわけで。

相手と自分の関係性ってゆうやつは、そもそもセックスの有無のみで語られるような単純なものじゃないって言うのは、大前提として思ってたはずなのに。

 

セックス至上主義みたいな考えって、あたし、誰から影響受けたんだろ・・・

 

 

 

好き=やりたい気持ち=性欲=支配欲、愛とか恋とか、そもそもそんなんじゃ全然ないのにね。

 

中学生の性教育を改めて聞いて、自分の性への歪んだ認識が少しほどけた。そういうのは気付くまで歪んでることに気づかないっていうけど、ほんとそうですね。

 

過去の自分を振り返り、自分の歪んだ性への意識で、誰かのことを傷つけたり、不快にさせたりしたことはなかっただろうか。もしあったらごめんなさい。誤っていた色んなことを謝りたい。

 

そんなことを考えて眠りに落ちたら、夫じゃない男の人とのデートで「性交しなくても愛情を確認する方法はある」などと言ってる夢を見た。くぅぅ、あたしって・・とほほほ。という話でした。

 

 

それにしても歳とるにつれて、過去のどうしようもない自分の発言や態度を振り返り、もう発狂しそうになることがちょいちょいあるんだけど、

あれは自分が成長して少しはまともになってる証拠なんだろうか。そうだったら嬉しい。そうじゃないと救われない。

 

 

 ということで、みなさまも、興味ある方はぜひ一度図書館で借りるなどして読んでみることをお勧めします。

 

 

 

いいタッチわるいタッチ (だいじょうぶの絵本)

いいタッチわるいタッチ (だいじょうぶの絵本)

  • 作者:安藤 由紀
  • 発売日: 2016/02/20
  • メディア: 大型本
 

こちらの本は息子たちに100万回くらい読み聞かせしたい絵本。