Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

生理的な欲求

今日は私が嫌で嫌でしょうがなかった次男の歯医者へ。2歳の次男、初の虫歯治療です。

 

昨日のよるから憂鬱すぎて夜の8時半に就寝。

朝はそのストレスで無気力になり、予約時間ギリギリのくせに防寒タイツとキャミソール姿でクロゼットの床にすわりこみインスタのストーリーをひたすらに見るという謎の行動をとったりもしましたが、なんとか普通に診察・治療が済みました。ホゥ・・・・・・・(長いため息)

 

次男はめちゃめちゃ泣いていましたが、なんとか治療を終えることができこちらとしてもひと安心です。銀歯はまぬがれた・・・・

 

夫に報告すると「ふぅん、やっぱ脅されただけだったか」と。

H氏はこういうものの捉え方をする傾向の持ち主なのである。「そうだよ、さんざん脅されたけどそんなに深くなかったって」と心の中で返答しました。口に出さなかった理由はなんとなく面倒だったから。そういうときもあるよね。すくなくともH氏にはたくさんある。「めんどくせ」って顔でなにも言わないとき。

 

午前中に虫歯の治療が終了したので、午後からは幼稚園(今日は午前保育)を休ませた長男とともに、市内の子育て広場でひさびさのママ友活動に参加しました。ママ活って何って、適当な場所で子供を適当に遊ばせて母たちはくっちゃべる会のことです。

 

夕方まで遊ばせて帰りに寄っ市立図書館のカフェでさらっと夕飯を食べさせて6時に帰宅。子供たちもその時間に就寝!最高!!!!

 

ママ友の旦那さんは美容室を経営してるので毎晩遅く、うちの夫もシフト制の当番制なので「食べて帰ろっか」という感じで寄ったんだけど、5時半の時点で夕飯終了したなんて最高すぎる、車で寝たら夜なにしようか、どうするなんて夢のある話しながらバイバイしました。

子供たちは狙い通り帰りの車の中で就寝して、夜更かし最高!最高すぎる!!最高のひとこと!!ヒュウうううううう!!!って感じの今夜。

 

夫も寝てます、やだどうしよう、なにしよう、ってことでブログ書いてます。まぁ起きててもするやつですが。

 

最近びっちり仕事していたので、久しぶりに土日以外で子どもたちと外で遊んだけど、やっぱり専業主婦でも仕事していてもしてなくても、1日は同じだけ疲れる!!

 

「俺の方が」「わたしのほうが」大変、つかれる、きつい、などと比べることはどうか置いといて、みんな一緒に「おつかれさーん!」って感じで支え合うことは可能でしょうか。

 

 

自分は自分の望んだように、いま持ってるカードでしか人生は過ごしていけないっていうのはただただ言葉通りそうなんだけど、それで他人の目が気になったり緊張したりして、日頃の自分の自意識過剰と敏感具合にほとほと疲れて嫌気がさしてきた。

 

何か発言したら、間違ってなかったか失言じゃなかったか変な人と思われてないかなどと思ったりして、

 

一方でそんなこと気にしてたってしかたないし、だれもその役割を私に求めてない、というのもある程度わかってるんだけど、思うことは止められない。

 

 

けどたぶん、何度も言うけどこんな私ごときの悩み事はきっとありとあらゆる先人たちが思い悩み、傷つき、考慮され、配慮し続けられてるものなんでしょう、というものわかる。

 

このまえ見たNHKのフレディマーキュリーのドキュメンタリーでも本人が言っていたけど、自分のつくった求められる役割を演じてるだけって、

きっとわたしもそのことを自覚する年齢っていうことなんだろう。

 

マズローの基本的欲求に振り返ると、所属と愛の欲求が満たされてるから、承認欲求や自己実現の欲求が高まっとるんかな。成長欲求ということ????他者から承認される欲求等よりも、自分自身でこれだ、これでいいのだ、がんばってるんだって思えない部分があるから、こんな気持ちになってるのかなぁ、、、、

 

 

と感情メモ的な内容ですが、時間も遅くなってきたので眠ることにします。

 

35歳にして、自分は何者でもないってことはもうわかってるんですけど、それでもそのさきに、自分で自信の持てる何かを、得たいという気持ちは変わらないんだよな

 

 

さて、おやすみなさい。最近のあたし自己肯定感低いのかも。そうかもしれない。