今日は長男の幼稚園の親向けのワークショップがあってですね、松の木でクリスマスリースを作成しました。
リースの出来については、わたしってセンスないのねとほほ、という感じでしたが、
せっかく作ったので子どもが、それも小学生の低学年の子どもが作ったみたいな無骨なリースを玄関にかざりました。一応クリスマスっぽい様子にはなっている。
明日はアドベントの1週目で息子はろうそくに火を灯すらしい。なんてかわいいんだ。聞いただけでかわいい。ちょっと考えるだけでかわいいことが容易に想像できる。
まぁかわいい息子の天才的かわいいさ(想像)についてはいいとして、リース作りの帰りに参加していた年少クラスのママさん数人とランチしたんだけども、とっても楽しかったです。
息子つながりで人のつながり広がっていくのとても嬉しい。
そのときに「どんなときにイライラするか」「どんなときにイラっとして(感情的に)怒ってしまうか」みたいな話になり、
私は人やものに危険を与える場合を除いて、わざとやってない失敗についてはなるべく怒らないように心がけている、と言うと驚かれた。
「ジュースこぼされたときとか、ついイライラして、ハァ〜〜〜〜ってなっちゃう」と言うママ友に、
私は今まで生きてきて、つまらない失敗、具体的には忘れ物、遅刻、割れ物、不注意、確認不足、紛失、そういう類の失敗がほんとうに多い、
その都度親から、いまは夫から、「やると思った」「またなの」「いいかげんにして」などと言われて、心から不快な思いをしてきたこと、
子どものときは「自分が悪いんだ」と思っていたけど、それは大人になっても直らなかったこと、誰にだって同じようなことはあるはずだと今はわかること、
しかし考えてみれば、誰かを危険な目に合わせたり、仕事で大きなミスにつながったり、ひどく困ったことにはならなかったこと、
それは親や夫の忌々しい助言の効果ではないことは確かだと思うことなどをごくごく簡単に話した。
みんなは「わかってるんだけど、つい口から出ちゃうんだよねぇ」なんて感じでその場は終了したんだけど、
帰宅し、家族が寝静まって一人になり、その時の会話を振り返っていると、ふつふつと親に対して強い感情が湧いてきた。
大人になった今でも失敗について口悪く咎められることなどは、親だからといって許されることじゃない・・・・
しかし還暦過ぎた母親にそのようなことを今更求めても、彼女自身35年間私に同じことを言いつづけているんだから修正することは不可能であろう、悪気がないことだけはわかる、
親に何かを今更求めることは無理なんだからだったらできることは、
本当は私が、私自身が子どものとき、失敗したときにどうやってしてほしかったのか、親になんて言ってもらいたかったのかを自分で考えて、子どもにやっていくしかない。
そうやって繰り返していくうちに、
失敗して数々のシーンで親に罵られた自分のことも、同じように癒してあげられる、というか慰めてあげられるんじゃないか、ということまで風呂につかって考えた。
ジュース自分でこぼすことなんてあるじゃん、料理中に醤油倒しちゃったり、つい不注意でコップ落としたりさ、
そしたら「がーん」って思って自分で拭くでしょ、片付けるでしょ、
そこで誰かに「なにやってんのよ!ほんといつも鈍臭いんだから!」とか「またやってんの、いい加減にして」なんて言われてたら人生嫌になっちゃうよね、
子どものときはわからないけど、大人になってから親のこと嫌いになっちゃうよ、
大人になって大好きだった親を嫌いになっていくのは、けっこう自分の中で辛いことなんですよ、
だから、ついそういうこと、言いたくなる気持ちわかるけど、私からのお願い、わかってるから、反省してるから、そういうことで怒らないであげて、慰めてあげて、そこはほんとお願い、ということをいまいちど振り返り、
小さなころの小さなことの積み重ねは、全部全部今の自分になってるんだなってことを再確認した今日でした。
ジュースこぼしたら「これで拭いてね」と対処の方法を教えてあげる、
コップ割れたら「ここ危ないよ、掃除機持ってきてね」と取り乱さずに対処する、
忘れものしたら困らなかったか話を聞いてあげる、なくし物をしたら一緒に探してあげる、そういう子どものあたしが本当は親にしてほしかったことを大事にしてほしい。
さて、もう2時か。なんか辛くなってきた。寝ます。
こんなに大人になってわかること、意外とたくさんあるよな。おやすみなさい。