Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

ばったりした

今日は先日申し込みをした初心者向けマネー講座へ出席。

大変勉強になりました。講義中はお金はだいじだよ〜〜と心の中でなんども歌った。

 

びっくりしたのは、たまたま隣になった人が、5年くらい前に一度(私が原因で)仲がこじれた友人とばったり同じ席になったこと!!!!

 

流行にのってアドラーの「嫌われる勇気」をちびちびと読んだ私は、

「うん、そうだ、相手の気持ちは私の思い通りにはならない、ようは自分がどうしたいかよね、もうすぐ死ぬとしたら彼女とは仲直りしたいと思う、よし、それで無視されたっていいじゃないの」とか思って、

それまでずっとひっかかっていた友人に「遅くなったけど、出産おめでとう」とラインを送ったのが1ヶ月前。

 

友人からは「連絡ありがとう」とすんなり返信が来て、「あぁよかった」などと思ってたところの再開だったから、あまりにびっくりして、

だって日にちの選択も割とあって、そしてけっこう人数いたし、あらかじめ固定の席だったし、どんな確率でこんなこととか思ったら、「わぁ、ほんと吉本ばななの小説みたいだな」と思った。

 

小説みたいなこと、実際にあります。

 

もてあそんでた元彼にいつのまにか彼女がでてきてて、その彼女とのデート中ものすごーく狭い店の中でたまたまばったり遭遇したり、

 

絶賛片思い中の相手が、道端で他の女の子を口説いて番号交換してるところに遭遇したり、

 

5年間絶縁状態だった友人と仲直りしたいと思っていたところでたまたま申し込んだマネーセミナーで隣の席になったり、

 

ドラマや小説みたいなことは実際にある。へぇ〜。

 

それ考えたらなんでもやったほうが得のような気がしてきた。だってドラマや小説みたいなことが実際にありまくるんだったら、なんでも起きるし起こせるような。

あれ?逆か、実際に起きていることをテーマに書いてるドラマや小説が多いの?どっち??

 

まぁどっちでも。とりあえずびっくりしたけど会えてよかったです。そしてまた会う約束しました。

彼女は高校の同級生なので、「●●くん(夫・今は私の苗字)にもよろしくね」と言ってさよならした。

 

 

ところでこの前本の読み方についてうだうだ書いたけど、

なんだかツイッターで見たけど、今後高校の国語は論理国語と文学国語の選択になることが決まったそうで。

なかなか批判が多いらしいが、私は基本的には賛成です。

 

 

詩とか小説を読んだり理解したりするのは「国語」ってよりも「音楽」とか「美術」に近いし、小説家とかそれ系好きな人は文学部じゃなくて「芸大なんじゃ」とか思ってるんですけどどうですかね。

 

だって、実際に小説評論とか言うけどさ、

絵画とかと同じで、実際にそれを作者がどんな気持ちで何を表現して作ったのかなんて、つまるところ作者にしかわからなくない?

 

それをどのようなことを述べているか答えよ、とかいって、それは設問者の考えを予想せよ、って意味で、作者が答案の設問してるわけじゃないんだから、あってるかどうかんなんて不明じゃない?って思うんですが。

 

夫にそれを言うと「何言ってんの、小説理解だって論理的な回答方法が必要なんだよ」と。

そりゃそうだけどさぁ。

 

そんなこと言ってたらますます「小説・詩」のジャンルは芸術に近い感じしてきた。

 

音楽や絵画の理解だって、論理的な考察や構成についてはの知識は必要だから、それを論理国語でしっかりやって、その上で解釈については選択性にするのは効率的だししっかり学べる気がする。

 

何を言いたいかって言うと、私が「なんとなく良かった」としか感想や説明を伝えられないってのは、論理国語の勉強不足なんじゃないかってことを本日思ったということです。

 

そして機会があればどのように高められるかと言うことについても知りたいので、今度高校の国語の先生に会ったら聞いてみようと思う。

 

 

あ、次男泣いてる。

 

おやすみなさい。今日もいい日でした。

 

ブックマーク貼るのどうすればいいのかまだいまいち…

茂木さんのブログ貼っとこ

https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8399216.html