Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

他人のあたし

久しぶりにフェースブックに家族の写真をアップした。

 

友人たちへの近況報告みたいな感じであるが、こんなにも満たされていて幸せの絶頂にいる私がSNSなんて更新するのは自慢じゃないのか…と毎回思うが、しかし事実なのは仕方がありません。

 

幸せなのは事実なのです。

 

幸せなわたしの投稿にいいね!がつく…ついていく…

 

ファックユーって言われてもしかたない行いだわ、ほんと。

 

幸せな友人たちの近況報告を、クリーンな気持ちでお祝いできない過去の自分を思い出し、誰かわたしのSNSをみてどうか不快な気分にならないような写真を選びました。たぶん。

 

具体的に言うと、小さい子ども2人もいるのにイベントごと頑張ったりこぎれいにしたり、お化粧して仕上がりの良いやつ、などの写真ではなく、

 

寝起きですっぴんですごい疲労感で子どもたちの朝食を食べさせてる写真などをアップした。

 

 

過去好きだった人やデートしてた男性たちから、こいつも老けたな…とかこいつもおばさんだな…とか、こいつ太ったな…とか思われても、もう現役引退したからいいです。

 

 

最近読んだ本の中に、出産前の自分ももう他人だと思った、という内容が書いてあって、それは本当にそうだと思った。

仕事も含めて今まで普通にしていたことをピークに考えてたけど、それはたまたまそれができる環境だっただけで、今はもう違う。

 

子どもが生まれて3年と半年、これまで過去の自分にやや固執してなにかと考えてたことも多かったんだけど、

ちがうのね、あたしは過去の自分とは違う自分になって、そしてその中でできるだけやる気だして生きていけばいいのか、と妙に腑に落ちた。

 

虹の中にいるときは虹がどこにあるのか分からないって言うけど、

あたしの虹はとっくの間に一回消えて、また違う虹の中にいるんだってことをよく自覚しました。

 

 

あれ?なんか少し愚痴っぽくなったみたいな書き方?になっちゃったたけど、

 

それは今日はiPhoneから更新していて、思考がタイピングに追いついてないからです。たぶん。

 

さて。寝よう。

明日も雪かあ。早く春にならないかなあ。