抱きしめたふりして、抱きしめてもらってた〜
愛してたふりして、愛してもらってた〜
ハナレグミが「おあいこ」の冒頭で歌ってるけど、私は息子を抱きしめる時にいつもそう思う。
そこは「ふり」じゃないけど、
息子を抱きしめるとき、寝かしつけて添い寝するとき、抱っことせがまれて抱き上げるとき、いつも、これは本当は、私が抱きしめてもらっていて、そして寝かしつけられてるんじゃないか
植えた種にジョウロで水をかけるようなイメージで、頭のてっぺんからじゃばじゃばと溢れる愛情をかけるふりして、
実は私が息子からの無限の愛情を頭のてっぺんから受けてるんじゃないんだろうか。
これこそが愛だぞ、こんちくしょうなんて言い切れる、いままで体験してこなかったような、明るくて、優しくて、暖かい気持ちを、日々最高値で更新してもらって、
そうやって一緒に笑って生きる毎日は、もしかしたら、もしかしたら、この地球上で、最も、一番、尊くて、そして創造的で、価値あるものに溢れてるんじゃなかろうか。
息子をうんで1年と半年が過ぎて、日々は目まぐるしく過ぎていく。
なんだか毎日あれやこれやと過ぎてしまって振り返ることもあまりなかったけど、もうたそがれ泣きをする息子をおんぶして料理することもないし、眠くて泣いてる息子に授乳することもないし、動けない息子をベビーカーに乗せておさんぽすることも、いつの間にかなくなってしまった
やっと最近、北海道も少しずつ暖かくなってきて、今日の最高気温は10度。
道路の雪もほとんど溶けてなくなって、もう少ししたら桜が咲く準備をはじめると思う。
ということは、息子にとっては2度目の春が来て、春が終わると予定ではもう一人の天使が生まれてくることになってるし、
息子がふんだんに私たちの愛情を独り占めして受ける日々は、あと2ヶ月ちょっとという彼にとってのカウントダウン。
最近は1日3回くらいさんぽに行きたいと主張するようになって、
「ぶーぶ!」「かーか!」なんて言いながらヨチヨチと進む彼の背中をそっと支えながら、きっとすぐにあっという間に大人になってしまうこの人を、自分の手で育てること、
もしかしたらそれが私が生まれてきた本当の意味なのかもな、とぼんやり思った。