昨日の記事を書いたすぐあとにフェースブックをチェックしたら、
「どうして自殺はダメなのか 自分にはそんなに悪いこととは思えない」みたいな内容のポストを見かけた。
げっと思ってコメントを見たら、
案外他の人からも「個人の自由だから、それしか選べないほど切羽詰まってるんだったらしょうがない」「選択はある程度自由」みたいなコメントがついてて、まじかよ、ゲゲ…少なくとも自殺は自由と思ってる人と家族と友人にはなれないわね、と思いながら就寝。
自殺がどうしてダメかって?
そんなの何の解決にもならないし、そもそも自分の命が自分のものだけだと思うのが違う。ものすごく自己中心的だし、ものすごく無責任だ。
命は自分のものだけど、自分だけのものではないでしょう。
私の命は母のものでもあるし、H氏のものでもあるし、兄のものでもあるし、友人のものでもある。
誰かの死と接するたびに、人とつながるってことは、命をみんなで分けるみたいなことだよなぁって前々から思ってた。
人の中で自分は生きてるってゆうか、自分の中で誰かは生きてるというか。
それを勝手に奪っていいわけあるか!
人って社会的な生物ってこと、知ってる?
もののけ姫の中で「生きてりゃなんとかなるっ」ってオトキさんが言うけど、ほんと、死んじゃダメ。
今つらくても、自分で死んじゃダメです。
食事中にH氏にあんたどー思う?と聞いてみると、
「へ?ダメに決まってんじゃん」と一言いってテレビを見ていた。よかった、そうよね。ありがと。私もそう思うよ。
話は違うけど、今日は2月に死んだ父親の保険やら銀行の手続きを大幅にすすませた。えへん
「残ったお金で財布くらい買えるかなぁ」と兄からのんきなメールが来る。
この前のお盆に、母と犬のお墓の掃除とお墓参りに行ったら、急に父の初盆であることを思い出した。
「そういや、パパ初盆じゃん」と母に言うと、
「墓の場所はハッキリ覚えてないけど、墓地は知ってるから行ってみる?お参りくらいしてやるか」と言われたので、しぶしぶ足を運んだ。
父が5月に納骨された(北海道は雪があるので、春になって納骨することもあるらしい)町外れにある墓地は、えっとこれって見つかるの?ってくらいの広さがあったんだけど、
母は10年以上前に祖父が死んだときに一度お参りに来たことがあるらしく、案外すんなりと見つけられ、墓の掃除とお参りだけ簡単に行った。
もくもくと墓の掃除をしているとなんだかムカムカしてきて、
あんだけ人に迷惑をかけ、誰のことも信じられずに意味分からんことばっかりほざいて死にやがって、ほんと腹立つ、ほんと腹立つ、ほんと腹立つ!!!
なんであたしがあんたの墓まで掃除しなくちゃ行けないのよ、ほんと腹立つほんと腹立つほんと腹立つ!!!死ぬこと分かってたんだから、死ぬ準備くらいしとけよ!荷物の整理くらいしとけ!!ギリギリまでデリヘルに金つかってないで、はした金あるんだったら受取人くらい指定してから死ね!!!
ばーちゃんのことだけ残してあんな風にぶざまに死にやがって、ばーちゃんの葬式代くらい残せよボケ!!
人のこと信用しないで死んだ後も意味わからん怪しげな人にお金とられてアホか、ほんと腹立つほんと腹立つほんと腹立つ!!!!
私はそんなことを思いながら黙々と墓の掃除をした。
墓石を蹴り飛ばしてやりたい。いや、ダメだ、墓にはじーちゃんもいるし、さすがにモラルに反する。くそ、あほか、ほんと腹立つ。
トリのふん、枯れ葉、泥よごれ、一枚しか雑巾なかったから、すぐに手がまっくろになった。ちっ、くそっ、なんであたしが。
父の墓に行って来たことを夫に報告すると「おぉ、あんた、エラいじゃん」と言われたけど、私が「墓石を蹴り飛ばしてやりたいくらい、心から腹がたった」と言うと笑っていた。
「それでも行くのがエラいね」と。
そんな父の後始末を、めんどくさいことばっかりだったので放置してたんだけど、昨日から取りかかって、今日はやっと先が見えた。
まだ施設で生きている(ひどい認知症)おばーちゃんが死んだときのお葬式代くらいは残りそうなので、残りを兄と分ける。ルイヴィトンのお財布が買えるくらいのお金にはなりそうだ。
もともとなかったはずのお金だし、貯金とかで残してても悪い気がはいってきそうなので、楽しくパーッとつかってやろうと今日決めた。そう決めると、墓石をけり飛ばしたいほどの憎しみやモヤモヤが少し薄れて、気が晴れた。
よし、楽しいところへ旅行へ行こう。それであの人にまつわる嫌な思いをチャラにしよう。
ということで、なんとなく「死ぬこと」がテーマになった日。行動量としては悪くなかったです。おやすみなさい