バイト先のオーナーと、
「好きなこと仕事にしてお給料がめちゃくちゃ少ない貧乏と、全然好きじゃないことやってるけどお給料がものすごーく高い仕事、どっちがいい?」なんて話をしていて、
「俺は好きなことしてるほう。てゆーか、今そうだし」とあっさりと答えていた。
先日、ネットで哲学者の人の対談コラムを読んでたら、
「自分は哲学者として好きなことやってるからそれで十分、他の名誉も、地位も何にもいらない。イチローだって好きなことやってるんだしお給料は300万くらいでいい、逆に消防士さんと看護師さんには年収1億円くらいあげたい」みたいなことが書いてあった。
いや、消防士や看護師だって好きでやってるんじゃ…と思ったけど、事故現場なんかにルンルン気分で出向いていって、火事をみて目を輝かせてる人がいたら変質者だし、
看護師だって人がバタバタと死ぬ場面に、別に好きで関わってるわけじゃない。
仕事は好きだけど、色々と難しい問題があるその辺の世界。
先生たちはお給料も高いし地位も高いから、それで言うと理にかなってる?なぁ、ということかしら。
考えてみたら今の私もそうだ。
看護師をやめて、時給800円ちょっとのアルバイトをしている。
オーナーと「一番嫌なのは好きでもない仕事して貧乏なやつですね」という結果になった。
好きなことやったってやらなくたって貧乏なら、好きなことやったほうがいいのに、なかなかそうもいかないみたいですね。
私は、看護師の仕事は好きだけど、今の仕事は毎日楽しいし、行くとある程度スッキリするし、めんどくさ〜って時はあっても看護師やってたときみたいに、明日やだなぁとか憂鬱になることなく、
めちゃくちゃ忙しくて腰が痛くても、「まぁ、忙しくて大変だったとしても誰か死ぬ訳じゃないし」と思うと冷静になる。
看護師や消防士が忙しいとき、それはつまり、だいたい誰かの死に追われてる時だから、そりゃしんどいよな。
7年しっかりつとめた病院をやめてちょうど1年。
自分の仕事を客観的に見て、人生で大切なものが色々と入れ替わった一年だった。
結婚してるし、すでにお腹で一人の人がむくむく温々育ってるし、あらま、一年で、こうも変わるのか、と苦笑いしてしまうくらいに。
横浜の家でぐだぐだしょーもないこと話して、「彼氏ほしー」だの「どうやったら恋人できるんだ」だの嘆いてた日は、ほんとつい最近のことだったのに、分からないよな、運命。
そういえば昨日は遠い親戚のお通夜に出席しました。
東京から、フィアンセを連れて来たいとこに「ゆーちゃん、子でもできたの」と笑われた。
叔母のお母さんが亡くなったのだ。今年2回目の喪服。
駐車場で兄は「なんか今年は喪服ばっかりね」と一言つぶやく。
肺がんでなくなった、穏やかなその人の祭壇を見ながら、
これから私は、きっと新しく出会う喜びや、これから新しくつないでいく絆よりも、今まで当然のように、当たり前につないできたものを、離さなくちゃいけない機会のほうが増えていくんだろうな、とぼんやり思った。
85歳でなくなったその人は、「枯れるように死にたい」と言っていたらしい。その通りに、2月に肺がんが発見されて、それから2週間前に肺炎で入院して、モルヒネを使って周囲から見ると「穏やかに」なくなったらしい。
別の治療をしているつきそいの叔母に、なくなる数日前までも「私は大丈夫だから、あなたは家に帰ってきちんと寝なさい」と言っていたらしい。
そういう話は、本当に、宝石みたいだなと思う。
誰かの心にずっと残る、キラキラした宝石みたいだ。