Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

37歳

誕生日でした。37歳になりました。

 

37歳かぁ〜なんて思ってたら同級生の友人たちから「アラフォー」的なメールが来て、改めてあたしってアラフォーか!とびっくりする。

 

だって10個年下でも27歳でアラサーですよ!?10個下がアラサー!?という気持ち。ちょっと前は10個年下は高校生くらいだったのに・・・うぅぅそれってもう10年も前の話なんですね。信じられない。

 

信じられないほど精神年齢はずっと前からとまってる。自分換算で思うに22歳くらいで新人としてデビューしたときから私の精神年齢というのは成長が止まってると思う。

 

そりゃ知識は増えた。色んな知識が増えた分大人にはなったけれども、驚くほどなにもかわっちゃいないし、相変わらず愚かですぐ忘れるし適当でいい加減で字が下手だしぼけっとするのも変わらないのに37歳なんすね。外から見る37歳はもっと大人かと思ってたんだけどなぁ。字ももっと上手く書けるようになるかと期待してたのにだめだ。

 

このペースで行くと47歳も同じこと言ってそう。え、もうアラフォーっすか、アラフィフっすか的な感じで。とほほほ。3つ子の魂100までって本当だわ。そういう病気にでもならない限り、100歳でも私こうなまんまの自信ある。

 

誤解のないよう言っておくとアラフォーになること全然嫌に思ってません。出産適齢期が過ぎ去ってるのは切ないけどさ。大事な人も私と同じ分歳をとってると思えば楽しささえ感じる。

年上の友人たちの通ってきた道を、わたしも今になってちゃんと踏んでるという気持ち。

 

 

例年のことながら私の誕生日は私以上に家族が盛り上がって喜んでくれるので大変しあわせな気分になっているところです。

 

家族よ、ありがとう。私の年齢はもはやどうでもいい域ですが、家族が私のことで盛り上がってくれるのは1年に今日のみですので、ほんとじーん・・・とした気持ちになる。

 

さて、去年36歳のときに立てた目標は以下。

 

 

増え続けてる体重を元に戻す!

早起きする!

無駄遣いを減らす!などを意識して37歳を迎えたいです。

(2019年の自分のブログより抜粋)

 

 

1と2は実は8月から朝のランニングをしていて、絶対自分でもすぐやめると思っていたので家族にしか言ってなかったんだけど、走るのは案外楽しくて2ヶ月続いてる。

 

朝5時半に目覚ましをかけて、少しダラダラとスマホをいじって6時に出る。

気づいてみたら一日の中で本当に自分のためだけ、かつ健康的に活動するのはこの30分程度の時間しかないんだけど、それが想像以上に楽しくていい気持ちになれるし、毎日の自分がいつもよりほんのちょっと価値あるようなものに感じられるので苦もなく続けられたのでクリア。

体重は大して減ってませんが。

 

無駄遣いに関しては比較できる記録がないため評価できず。しかし全然減ってないことは確か。だってお給料が増えた分ぜんぜん溜まってないもの。

 

いいんです。お金はある程度使うためにあるんだし。

 

 

37歳の目標は

1 読書時間を増やす

2 体重を増やさない

3 自分が似合うファッションに向き合う

 

3点です。まぁ仕事のことは仕事のほうでさんざん目標やら面接やら何やら色々あるのでこの辺で。1と2は説明するまでもないんだけど、3はちょっと最近またクロゼットの整理をして安くポチった服をしこたま捨てて猛省したという出来事があり、

 

この先の環境問題のことを意識しつつ、洋服をしっかり選んで大量に消費する傾向についてはしっかり考えつつ、着てたら気分が上がる服、自由に自分らしくいられる服っていうのを趣味として考えていきたい。

 

私はなんどもいうけど、「クソおしゃれな人」みたいな人になりたいんですよ。

 

歌を上手に歌う人が気持ちよく、自由に見えるように、

私には服を上手に着る人のことも、気持ちよく自由に見える。

 

自分がなりたい自分のイメージをちゃんとファッションで表現できるようになりたい。

その基礎をつくっていきたい、というのが去年くらいから気持ちなので今年は明記します

 

 

ファッションは漫画と同じで趣味だよな!ってな感じで楽しく服選んでいきたいです。

 

 

今年の誕生日は、夫が例年の花束贈呈以外に、温泉GOTO旅行(めちゃめちゃ混んでた)にも連れて行ってくれ、道中寄った古着屋でビンテージのフィッシャーマンシャツを買ってくれた。なんということでしょう。

 

「なかなかいいですよ、似合ってるじゃないですか」とさっそくいそいそとシャツを着る私を見て彼は言う。

 

ありがとう、すごく嬉しい。

 

自分がイマイチ・・?と思ってる服でも、夫が「それいいじゃん」とか「似合ってるよ」と声をかけてくれたものはやっぱり特別な気持ちになるし、大切に着ようと思いました。

気持ちが上る服、似合う服を来たときの気持ちを忘れないように、そういう服を大事にしていきたいな。

 

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北海道は紅葉まっさかり。

最近の靴、お気に入りのやつです。

 

 

 

Switch(NINTENDO)

そういえば、ついに我が家にも任天堂スイッチが来ました。

 

先日長男の誕生日だったんだけど、プラリとショッピングセンターに立ち寄ったらずらりと並んだスイッチ類。えっ、スイッチ入荷してる・・どうする・・・?(ずっと欠品続きなのです)となり、

 

結果「別に将来的に買うことになるならまぁいいか、、」などと夫婦で謎の諦めの境地になり購入して帰った。3万円也。

 

昨日は家族でマインクラフトしたり、スーパーマリオ3したりして盛り上がり、とっても楽しかったです。やっぱりたぬきマリオだよねぇ。かわいい。

 

個人的にゲームがうちにあるのはプレステ以来。

その後はもう高校生になってしまいゲーム離れしてしまった。小さい頃はお兄ちゃんと色んなゲームやったなぁ・・・と遠い思い出。

 

改めてみるとほんとすごいですね。最近のゲームは。映像も構成も音楽も、綺麗だし楽しいしおもしろい。

 

子どもと家にあるゲームの付き合い方には色んな意見や考え方があるけど、映画や小説と同じでゲームにも没頭できる素敵な世界や発見がたくさんあるから、子どもたちにも楽しんでほしいです。

 

ゲームにも年齢制限?適正年齢?なるものがあるらしいから、それは親としてまもって行こうと思います。

 

それはそうと先日職場の同僚4人とランチしていて、なんとなく漫画の話になり、

 私は人生の中で漫画読むのが1番幸せな時間だな、というようなことを言うと、なんか意外だね〜と言われた。

 

昔から嫌なことがあると漫画の世界に没頭して自分を慰める習慣がある。

現実逃避として、ストーリーの中にもぐって沈んでとしてるうちに、自分以外のことに疲れて癒されるので、それを繰り返すのが今でも好き。走ったり筋トレしたり瞑想するのよりももっと、頭の疲れが癒される。

 

前職で一人暮らししてる時は仕事で先輩にクソ説教されたり、自分のミスに落ち込んだり、夜勤明けで昼から夜まで寝てしまったりして、泥水に落ちたみたいな気持ちになったら、近所のゲオによく出向いて、バキやらジョジョやらベルセルクやら読んでいた。

 

考えてみたら、うちは昔親にチャンネル権があって、親にも機嫌と虫の居所があり、リビングに集ってゴロゴロしながら各々好きなことして過ごすような家庭ではなかったし、子どもとして好きな番組はまったく見せてもらえなかったから(恨み節)、

私と兄にとって家での娯楽はほとんど漫画と小説しかなかったのだった。

 

でも漫画や小説の世界への没頭が私を繰り返して救ってくれたことは先ほど書いた通りだし、何かのエンタメの世界ってそういうものだと思うから、息子たちにもぜひとも好きなゲームに触れて楽しい体験してほしいと昨日寝る前に思ったのでした。

 

 

なんのジャンルでも、たとえば音楽や絵画や小説、ファッション、建築、色んなものは誰かにとって価値のないものでも、みる人、手にする人によってその基準は違うよね。

他の世界を否定せず、多くのものに共感しながら自分の軸で判断できるように成長してほしいと親としては願うばかり。

 

 

to do

連休明けてから謎の忙しさでゲンナリし、眠る前にはスマホいじるHPしか残存してないわたしです。ボナセーラ

 

 

読んでない本とか、撮り溜めてる朝ドラとか、好きな星野源のドラマだとかがわたしを待っててくれてるのに、ついついYahoo記事に出てくるくだらないゴシップや、ショートコミックなどをぽちぽちしてしまって無駄な自分にゲンナリする

 

食べたものが身体をつくるように、読んだものが頭を作るんだとしたら、私の頭の中っていったい…という気持ち。

 

しかし毎日くだらんスマホ記事ばっか見てると思ってたけど、

思えば毎日毎日息子たちが選んでくる絵本は名作ばかりだから、1日2冊はまあまあ読書してることになりますね。それでいっか。いいよね。いいです。

 

部屋はぐちゃぐちゃ

隅にはホコリ

ご飯も適当

トイレも風呂も掃除してない

 

あーあ…って感じの荒れ具合だけど、とにかく私自身が機嫌良くいれることを第一優先として物事を決めてくようにしよう。

 

 

部屋汚くても問題ないけど私が機嫌悪いと色んなことが良くないですもの!

 

さて、おやすみなさい。

毎日何したんだっけ?と思い出さないと思い出せないくらい日々が流れていく。

忙しいとは言わずにせめて楽しいことがたくさんあったと振り返るくらいのことはしたい。

 

 

て思ってたらやり残した仕事のことポコっと思い出してヒイイイイって落ち込んだらするから寝ます。ぐうぐう

 

 

 

SW 2020まとめ

この連休中は夫がすべて仕事でしたので、我が家はダラダラとyoutube中毒な4連休で、内側がちょっと腐りました。

 

しかしやるべき目標は達成。

しばらく洗濯してなかったシーツを洗うと決めてたんだけど、いいタイミングで息子がおしっこ失敗してやらないでいられなくなり、

 

ごちゃごちゃしていた乾物が入ってる引き出しの整理や、七味がこぼれて汚れてた調味料の引き出しの整理や、

いつのまにやら増えすぎたおもちゃの棚をこれでもかというほど捨てさり整理し、

私のギウギウになったクロゼットも、45リットルのゴミ袋一つと半分捨てました。

 

ふぅ〜〜スッキリ〜〜〜

 

 

そして何度となくクロゼットの整理を行い、そのつど「安い服はもう買わない」と心に誓ってるのについつい夜な夜なH&MだのZARAだのGAPだのユニクロだののサイトを見ふけてしまい、結果購入に至ってしまい、

 

クロゼットを圧迫して、

いいことなんか一個もないってわかってるのにこの行為はなんなんですか、いつやめられるんですか。

 

もうそれこそ Don't buy、Just think みたいなタトゥーでもほってもらったほうがいいのではないか。 

 

懺悔しながら捨てました。ごめんね、服に罪はないの。罪なのはわたし。わかってる。

 

服に関しては反省ばかりの私ですけど、アクセサリーは熟考に熟考をかさねて吟味しまくった結果購入に至ったものですので、どれも愛してるし、つけるたびにいい気分になれるものばかりです。

 

そういうふうに服もさ、できるように努力していこうよ、わたし。はい、努力します。

 

 

 

全然関係ないですけど、鎖骨した3センチくらいまで伸びてた髪を、耳下1センチくらいまで切りました。それもすっきりした。

 

バーンと金髪に近い色にしたいところだけど、今の私おかたい職業というのもあり、地毛でしばらくいってるんだけど、これはこれですごく楽。

頭頂部がプリンにならないのってすごく楽!高校生のときには愚かにも茶髪にしてたし、大学のときは逆に黒染めしてたんで、地毛はほんと久しぶり。そこそこ気に入ってます。いいもんですね。

 

 

そしてついにこの連休で6歳になりたての長男が自転車に8割くらい乗れるようになりました。とても嬉しい。

 

「いいぞいいぞ」的なムービーを撮影しながら、初めて彼が寝返りするところをムービーに写してるシーンを思い出した。

 

あのときも「いいぞ、がんばれ、いけるいける、がんばれ」という思いで見守った。

 

彼は「ぴえん、ぴえ〜〜ん」みたいな感じの声を出しながら初めての寝返りをしたけど、

6歳のいまも「ふぇ〜〜ん」みたいな情けない弱音を吐きながら自転車に乗っていた。成長したけど、変わらないのね。がんばったね。

 

普段生活していて、誰かしらのアウトプットに触れる機会や、自然に触れて美しいものを見たりしたとき、心が高揚したり、激しく揺さぶられたり、ここが私の最高だなってところまで感動するのって、よっぽどのことがないと出会えないけど、

 

子どもたちとの生活は、ほんと心が震えるくらい感動することが定期的にあって、その出来事に触れるたびに私は驚いてしまう。

 

「すごいもん見たな」とか「すごい気持ちになったわ、今」とか、「いいもの見たな」って心のそこから。

 

この先こんな気持ちになることが、何度与えられるかわからないけど、そのつど感動できる自分でいたいし、感動を息子たちに伝えられるような存在でいたいですね。しみじみと。

 

 

夫への食事の支度が苦痛すぎて「結婚するのとしないのを負担で比べたとしたら、だんぜん結婚したほうがうんたら、だってあたしは独身時代毎日玉うどんにめんつゆでわかめと卵いれて食べて満足だったし」とか最近思いつめてたけど、

 

まぁ彼がいなかったらできないことも多いので、ってあたし何書いてんだろ。そんなこと書く予定ではなかったはずなのに。つい日常的に溜まったグチがこぼれてしまった。ふぅ〜

 

 

ということで、そのような連休でした。家の掃除・整理と息子の自転車練習できてよかったです。おわり。

 

反省としては敬老の日の存在を自分たちの祖父母にばかり思いを馳せてて、息子たちにとっての祖父母のことを考慮しなかった点。明日むりやり手紙と似顔絵を書かせなければ。おやすみなさい。

おうちのなかみ

スマホをいじりながら長風呂していたので、試しに人から見た私はどんな身体なんでしょうと疑問に思って画面に映した結果、激しく落ち込んでおります、私です。みなさん、こんばんは。

 

今日たまたま同級生と大学の話になり、久しぶりに卒業アルバムなんて引っ張り出してきて見たら、

 

自分の様子が案外変わってないような感じでしたので少し安心しました。思い返してみれば高校の時は何もかも意味不明な感じだったけど、大学生からのいまは大きな変化はどうやら無さそう。

ファッションの好みや傾向も、ほぼほぼブレもなく私が出来上がっている。良かった。たぶん。

 

 

その頃からダメなところ全般的に全然変わった様子なんてないけど、しいて言えば家が前よりきれいになったこと。断捨離しましたので。昔は汚部屋に近い状態でしたので。

 

そして一度部屋が片付くと、汚い状態がとてもストレス。なんとなく最近毎日に追われて部屋が片付かない。細々としたゴミが散乱していてイライラする。靴下がいろんなところから出てきてもう嫌な気持ち。

 

この連休はいらないもの片っ端から捨ててやろう。それだけが楽しみ。

気を抜くとすぐモノって増えるし、心の疲れが部屋にでる。リセットしたい。

 

たいして主婦の才能もない私ですが、掃除と片付けは好きです。

料理はすごく好きだったはずなのに、毎日強制的にさせられ感が強くなって嫌いになりかけている…。自分だけのぶっ辛いものとか作るのはワクワクすんだけどねえ。嫌すぎて今日もお弁当買いました。

 

やらされると嫌いになるという世の中の方程式ですね。

 

さて、明日も仕事だし寝るか。連休連休。

 

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これはおうちの形してるお気に入りのライト。相変わらずかわいいな〜と思って撮った

 

 

おやすみなさい

 

わたしへの性教育

先日中学生むけの思春期の性教育の講義を聞く機会がありました。

 

「日本の性教育」と言えば世界的にも大幅な遅れをとっていて、どこがどう遅れてるのかは詳しくよくわからないけど、とにかく具体的なことを何も教えないまま一番先に赤ちゃんを作るためには「精子」と「卵子」が出あうところから始まる、というのが現状らしい。

 

精子卵子がどう出会うかは明らかにされていない。どうしたら精子が出るのか、卵子とであるのか。卵子と出会うためにはどんな工程が必要なのか。

そこは学校じゃなくて家族におまかせ、という感じ。「そんなの誰かに習わなくても自然に身に付けるものでしょう」的な。知らんけど。

何年か前にそれじゃダメでしょ、ということで具体的な性交の方法や詳細についてもしっかりとした知識をつけようという動きがあったらしいけど、お役所のほうで「まだ早い」とかいう謎の理由で頓挫したとかしないとか。

 

若年の妊娠も後をたたない。高齢化の世の中だし、10代の若者たちがたくさん赤ちゃんを産んでくれるのは社会としてはいいことなのかもしれないけど、実際問題核家族化・若者の貧困・シングルマザーの貧困・虐待・児童相談所の慢性的な人手不足などなど、10代の若者たちが健全に子育てをしていくのには世の中が辛すぎる。

 

性教育とは全然違う話だけど、今の日本で高齢者を救うサービスはなんとか割と整っていて、家族がいない、仕事もない、家もない高齢者だったとしても救う道はなんとかある。福祉だったり、介護だったり、生活保護だったり、最低限の生活は営んでいけるようになってるけど、小さな子だとなんなんだ。辛くても苦しくても、救うサービスは全然ないし、助けてくれる手だってものすごく限られてる。

 

ということで若者が勉強したり自分の生活を保持しながら子育てしていくには社会の限界があり、まぁ結局のところ望まない妊娠を増やさないためには性教育をしっかりしていきましょう、とそんなところの話で。

 

中学生向けの性教育の内容は、男性器・女性器の成り立ち、生理の管理方法や生理痛はどうして起こるの?精通ってなに?という一般的なところから、

ある中学生が恋人同士になり、セックスに興味をもって性交した結果、正しい避妊方法がよくわからなくて結局妊娠したかもしれない、めっちゃめちゃ不安だった、みたいなストーリーも交えて、

性講話の結論としては直接的ではないにせよ、「中学生だとセックス早いからもうちょっとよく考えようね」という話の流れになっていた。

 

講話を聞いた帰りに、職場の同僚と「てゆうかさ、中学生でも高校生でも、セックス自体は別に悪くないわけだし、好きだったら触れたい、触りたい、気持ちいいことしたいってのは普通なわけだから、でもセックスしたら妊娠する可能性あるし、よ〜〜〜〜〜〜〜く考えてセックスしなさいよ、もしセックスで避妊失敗したらこんな方法もあるから親や保健室の先生に相談しようねってところまで言った方がよくない?」などとブツブツ言いながら帰宅した。

 

そんなこんなで、望まない妊娠や性感染症を避けて、お互いの同意の上での性交自体は問題ないわけだから、だったらそういう年齢って何歳くらいになるの?などなど、ひとり帰宅後もぶつぶつと考えていた(ちなみに日本の法的な性交同意年齢は13歳で低すぎるって問題になってるくらいなのに)んですが。

 

そしてその流れで、最近ネットや口コミで話題の「おうち性教育はじめました」って本を読んだんだけど、そこに私的な回答が書いてあって。

長い前置きになったけど、そこについて書きたかったんですよ、わたしは。

 

 

「おうち性教育」には、挿入を伴う性交は、たくさんの愛情表現の中のひとつのカードであって、関係性の最高峰、最高に蜜な状態を示すわけじゃない、

 

セックス=最高の愛というのは周囲からの先入観である

 

愛情を伝える方法は、挿入やオーガズム以外にもたくさんあって、ハグやキス、言葉でのいたわりなどなど、挿入を伴った性交でなくても、愛情を確認する方法はたくさんある、ということが書いてあって、

 

これまで私の中で挿入を伴う性行為こそが「最高に密着した関係」としか認識してなかったので、ちょっと衝撃でした。

 

たたた、たしかに。

 

友達がデートして親密な雰囲気になったと聞けば「どこまでいったの?」と嬉々として質問して、「いれてない」と言えば「あといっぽだったのにぃ〜!」などと冷やかしたし、「いれてなければセーフ」みたいな話も何度となく話題にあがったと思う。

 

そんなこんなで、セックス=もう近づけないほど親密、みたいなことを無意識にずっと認識してたけど、

よくよく考えたらセックスしたからって親密なわけじゃ全然ないし、してないから親密じゃないってわけでもないわけで。

相手と自分の関係性ってゆうやつは、そもそもセックスの有無のみで語られるような単純なものじゃないって言うのは、大前提として思ってたはずなのに。

 

セックス至上主義みたいな考えって、あたし、誰から影響受けたんだろ・・・

 

 

 

好き=やりたい気持ち=性欲=支配欲、愛とか恋とか、そもそもそんなんじゃ全然ないのにね。

 

中学生の性教育を改めて聞いて、自分の性への歪んだ認識が少しほどけた。そういうのは気付くまで歪んでることに気づかないっていうけど、ほんとそうですね。

 

過去の自分を振り返り、自分の歪んだ性への意識で、誰かのことを傷つけたり、不快にさせたりしたことはなかっただろうか。もしあったらごめんなさい。誤っていた色んなことを謝りたい。

 

そんなことを考えて眠りに落ちたら、夫じゃない男の人とのデートで「性交しなくても愛情を確認する方法はある」などと言ってる夢を見た。くぅぅ、あたしって・・とほほほ。という話でした。

 

 

それにしても歳とるにつれて、過去のどうしようもない自分の発言や態度を振り返り、もう発狂しそうになることがちょいちょいあるんだけど、

あれは自分が成長して少しはまともになってる証拠なんだろうか。そうだったら嬉しい。そうじゃないと救われない。

 

 

 ということで、みなさまも、興味ある方はぜひ一度図書館で借りるなどして読んでみることをお勧めします。

 

 

 

いいタッチわるいタッチ (だいじょうぶの絵本)

いいタッチわるいタッチ (だいじょうぶの絵本)

  • 作者:安藤 由紀
  • 発売日: 2016/02/20
  • メディア: 大型本
 

こちらの本は息子たちに100万回くらい読み聞かせしたい絵本。 

秋の風に

急に秋っぽい風吹いてて、あぁまた夏は来年だなって、そんな気持ち。しかし毎年のことながら、いきなり冷たくなるんですね、君は。すごい変わり身の早さ。まるで夜の際の夫のようです。

 

こんばんは、夏も大好きだけど、最近になって秋も好きです、わたしです。

 

読書の秋とか言うんで、またなんとなく読みたい気分になり、積ん読してあった本をちらほら読んだりしてます。

 

正職員になって半年くらいが経過し、なんとなくこの生活に慣れてきたかと思えばそうでもない。毎日余裕なくって、毎日忙しい。毎日いっぱいいっぱいの余裕ない生活の中で、子どもたちの生活を支えようと必死な割に、向き合うのもしんどくて寝かしつけたあとはスマホいじって寝落ちする毎日。

 

がんばろうと思ってたことも、やろうと思ってたことも、勉強しようと思ってたこともたいして進まず、「なんだか時間がすぎていく」感じで、明日もまた仕事なんですけど。

 

休日は遊びたいし、家族の時間も必要で、

しかしそればかりだと色んなことが進まない、というのは言い訳か。

物事に取り組まないことの言い訳だけだったら、やらない理由を言うだけだったら、そんなの昨日も一昨日もやってきたんですけど、という有様で嫌になっちゃうね。

 

先日仕事の月刊誌を読んでたら、もともと結婚前に住んでた横浜の同職3年目の子が載っていて、学生時代の志も優秀、在学中の取り組みも素敵、現職を得たあとの職場での取り組みや、今後の展望、そしていまのプライベートまでも充実しまくりちよこだった。

 

思わず前の職場の同期に「めっちゃキラキラしとる」なんて記事を送ったりして、

「キラキラ具合がやばい」「すごい」なんて同意を得る一方で、「この人だってさ、めっちゃキラキラしてて素敵だけどさ、子ども産んだらあたしたちと同じジレンマに陥るよね」なんて意味不明な悪態を心の中でついたりして、

色んなことがうややましく眩しく思えて、

 

そういえば、なんだか最近こういう人見てないな、という気にもなった。

 

前の職場は都心に近いのもあり、志があって、夢にむかってガンガン突き進んだり、自分の目標をしっかり見据えて取り組んだり、プライベートも、仕事も、まじでVERYに出てきても全然おかしくないですね、てゆーか先月号とか出てませんでした?という感じの人が周りにも、友人にも、友人の友人にも、いたはずなんですけど、

あれ、最近、見てないですね?

 

いやもちろん、VERYに出るのがすごいとかそういう話ではなく、ただ、そういう自分の目標をしっかり決めて、ちゃんと自分の計画でコツコツ過ごしてる人、そういう人は素敵だし、応援したくなる。

 

あたしなんて、あたしなんて減量減量いいながら体重は増していく一方だし、自己研磨したいなんて言って研修参加しても、やる気はあるんだかないんだか、といういつもの感じだし、

素敵でいたいとか思っても自分が自分を素敵とかちゃんと思ってないし、、、、

 

 

とかいううじうじした気持ちになり、

 

とりあえずやってみたいなとか、やったら素敵だなとか、面白そうだなって思ったことをちゃんと1回でもいいから取り組んでみよう、地味に、誰にも言わず、ということでブログに書いております。

 

毎日幸せで元気なんですけど、それとこれとは別の問題。

プライベートがクソでもある意味で仕事が自分を救ってくれたように、

プライベートがめちゃんこ充実しとっても、仕事がクソじゃ意味ないんじゃ、という感じ。

 

クソな仕事にするかどうかは、ほんと自分次第の現場なんだ・・ということを重々理解し、今日は寝る。

 

ってゆーか、素敵でいたいって何さ、あたしが言う、素敵なあたしって何よ!?ということは何歳まで考え続けるようになるのでしょうか。別に人の評価じゃないんすよ、自分が自分のことを許せっているかって話で。

まだもうちょい大丈夫だなってところギリギリで生きたい。

 

 

全然関係ないけど、すごいかわいいカップを買ったんです。自慢しよう。

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ブルックリン在住の日本人陶芸家の作品でして、数年前からホームページやインスタグラムを見まくってて、

しかし毎回毎回販売会はすぐに完売。

インスタによれば、お店は早朝から長蛇の列みたいな感じで北海道だし諦めてたんだけど、ちょっと勇気出して通販してみたらどうかな!?と思って買いました。

 

もうほんとかわいくて素敵だし、こんなに毎日楽しくなるならもっと早く買えばよかった。

 

値段が理由で迷ってるものは買え、値段が理由で買おうと思ってるものは止めろ、ていうのはほんと買い物の極意だよな。心から買ってよかったです。