Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

足して10で割ったとしたら

ネットで流し見していた記事の中で、「自分の周りの人間を、10人集めて平均化したのがあなたである」という文を読んでなるほどと思った。

 

自分の周りの人たち10人の平均が私だったら、かなり自分に自身が持てるんじゃないか。あの人もあの人もあの人も、この性根がぐうたらな私を引っ張り上げてくれて日々感謝しています、ほんとです。

 

朝静岡に住む友人から電話がきて、手身近にいろんな近況報告を受ける。

 

 

友人と電話を切ってから、少しぼんやりとして家族という存在が家族に対して残して行くものの大きさに改めてつぶされそうになりながら、

みんなそういう単位の中で生まれて育ってそして生活していることに、私たちはどこまで寄り添っていけるんだろう、みたいなことを考えた。

 

悲しいことは永遠に悲しい。悲しさが薄まったり小さくなったりはしない。ただ少しずつ硬くなっていくことはある。

 

小さくなることはない悲しみの中で、確かな存在だった誰かのことを背負って生きて行くのはどんなに足取りが重いだろうか。

 

もしできるんだったら、

私の10人に入る誰かの10人に私が入るのであれば、

誰かの悲しみも全部みんなで平均化して背負って生けたらなんて、ひっそりと思った。