Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

永遠、それって

小さい頃に母から買ってもらった絵本は大量で収めてもなかなか収まりきらないほど大量にあった

 

はずなんだけど、従兄弟たちの間を転々としている間に行方不明になっていた。

 

先日祖母と叔母の家、つまりは母の実家から大量に発掘されて本日うちに連れてきました。

 

何度も何度も繰り返し読んでもらったもう友だちみたいな絵本たち。

 

想像よりもすごい量だった。とりあえず1/4くらい持ち帰ることに。

 

息子たちも新しい絵本が導入されてテンションぶち上がり、手洗うのもジャンバー脱ぐ(今日の気温は9度、さむ)のも歯磨きも全部スキップして読んで読んでと訴えていた。

 

そうかそうか、そんなに楽しみか、わかるぞ、母も一日中ゲームオブスローンズのこと考えてますからね、そういうエンターテイメントに出会うの楽しいよね、と思いながら用事をすませて寝る前に読んだ。

 

 

大人になって読み返すと、自分が記憶に残って大好きだった絵本がいかに完成されて完ぺきな絵本だったのかよく分かる。  

 

 

ところで先日ひどい風邪をひいて声が出なかったんだけど、それでもヒイヒイと聞きにくい声で夫と話したことなんですが、

 

高校生くらいのときに齋藤孝先生の声に出して読む日本語という本が大流行して、

 

私は高校生くらいのときはよく読書していた子どもで、勉強はしなかったけど毎日毎日何らかの本(漫画も含む)を読みまくっていた。

 

そんな中でちびまる子と齋藤孝先生がコラボしたこども向けの声に出して読む日本語に、山頭火ランボー川端康成梶井基次郎夏目漱石福沢諭吉ニーチェから寿限無、などなどの作家の紹介と有名な一文、そしてその解説がのっており、

 

それがらおもしろくてその本を暗記するまで何度も読んだ。

 

その本の中で齋藤孝先生は、なにかの文、たとえばランボーのまた見つかった、何が、永遠が、海と溶け合う太陽が、という詩を覚えるということは、

 

あなたが海と溶け合う太陽を見たときに、永遠だ、ランボーだと思い出して、その作家とつながる瞬間をもてるということは実に素晴らしいことだ、みたいなことが書いてあった。

 

読んだときは分からなかったけど、そのことについては今も強く感じる。

 

海と溶け合う太陽を見ればランボーを思い出すし、ひとりで咳でもすれは尾崎放哉を思い出すし、夏の日白いカーテンが風で揺れるのを見るとグレートギャツビーを思い出す。

 

小説でも漫画でもアニメでも映画でもいいから、

ふと、自分の住んでる世界から一瞬で誰かが作った世界とつながる経験があるということは、もしかしたら自分がふだん意識している以上にステキなことなんじゃないか、というような、ことをかすれた声で夫に語った。

 

夫はふんふんと聞いて、うん、わかるよ、わかる、それはほんと大事だよな、と言っていた。

 

何突然て、息子たちにも繰り返し繰り返し読んだ絵本が、大人になっても現実とつながる瞬間や、その土台になってるとしたらいいな、と思ったということです。そんだけ。

 

さて。ゲームオブスローンズの時間だ。

 

昨日は子どもたちと寝落ちしたため見れず。なんて日だ、と朝起きてまず思ったこと。