Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

The NEW

最近わたしに変化がありました。

 

 

先日カフカヤマモトさんの新刊を立ち読みしていて、ふととなりに平積みしてあったこちらの本をちょっと読んだ。

 

母がしんどい (中経☆コミックス)
 

 田房さんはいま私が月購読してる有料マガジンサイトCakesで毒親育ちの漫画を連載中で少し読んだことがあったのでついでに、という感じで。

 

毒親に育てられた田房さんは、ふと編み物をしてみたいな〜〜なんてなんとなく思って、

しかしながら以前にもそういう気持ちになって毛糸を買ったけど途中でやめた過去があり、

また毛糸なんて買ったら、その時のパートナーに「そんなのどうせ失敗する」とか「趣味が悪い」とかなんとか言われて、やる前から挫折したような気持ちになるんだけど、

 

でももうパートナーとは別れていたし、別に途中でやめてもいいやぁみたいな感情で気軽に取り組んだら、初めてひとつ作品を最後まで作れて感動し、

 

そのことを通して、そうか、別に初めても途中でやめてもいいんだ、自分の好きなことを自分の好きなタイミングで、自分の好きなようにやっても誰に何か言われる権利なんてないんだ、ってことに気づいた、という話がとても印象的だった。

 

私も何かやりたいとか、何かをやろうと思った時に周囲からいろんなことを言われる。

 

主に夫。

夫のことは愛してるが、夫のものさしや世界観で私のやるべきことややらなくちゃいけないことが決められているんだとしたら窮屈で吐き気がする。

 

何かやりたい、やってみたい、やめなよ、どうせ途中でやめるんだから、

これやってみようかな、やめたほうがいいんじゃないのくだらないし、

 

何度言われたかわからない。

 

私はその都度「なんでやったこともないあんたにそんなこと言われなくちゃいけないのよ、やるのはわたしなの、あんたじゃないの、あほくさ、モラハラ、最低」なんて倍返しにしてやったつもりだが、当の本人には私が放った言葉の暴力は負け惜しみくらいにしか聞こえてないようだった。

 

そう言われると士気も下がる。

ホリエモンくらいになると「バカはほっとけ」的な感じで自分の道をただひたすらやり通すんだろうけど、普通の精神だと「もういいわ」みたいになってしまうことも多くないのだった。

 

そうしてそんな感じで立ち読みから帰宅し、子どもたちと遊んで過ごしているある日、

 

ふと、ころころスロープ作ってみよ、私にもできるかも、と思い立った。

 

NEW くみくみスロープ (リニューアル)

NEW くみくみスロープ (リニューアル)

 

 去年のクリスマスにサンタが息子にプレゼントしてくれたやつだが、玉転がすのは楽しいけど、設備を作るのがとても大変で難しい。

 

説明書をみながら一生懸命つくるんだけど、子どもたちにあっち壊されこっち壊されそういうストレスもかなりたまるし、

どっちがどっち向きなのか、どっちをどうすればいいのか考えることが多くて、いつもつくってとせがまれても「お母さん無理だからお父さん帰ってきてからやってもらおう」ということにしていた。

 

当然息子は「お母さんできるの?」なんて面白半分に聞いてくるんだけど、

「お母さん本気でやるわ、だから応援しててね」とか本気で言ってとりくむこと30分。

 

説明書がややこしい。もっとわかりやすく書いてくれよ。

部品がなんか足りない、おい、なんでないんだ、これはどこだよ、

 

なんてやってるうちに、突然強烈に嫌になってきた、もうめっちゃめんどくさい、よくわからんし、何回やっても変なところに玉落ちるし、どうなっとんじゃこれは、

 

はいはい、H氏にまかせよっかな、もういいや・・・・

 

 

 

まて。まてまてまて。まてよ、君、待ちなさい。いつも君、この辺で諦めてるよね?わかってるでしょ?鉄棒時代の逆上がりもここで諦めたからできないまま終了したんだよね?そのあとマット運動もそれがひっかかって不得意だったよね?

なんかさ、最初から自分に期待してないんだよね?できないって初めから決めてるよね?

 

おぉ久しぶりに聞いた、内なるもう一人の私ポリス!!!

 

ふむ、確かに。私ポリスの言う通り、いつもここらへんで諦めてるんだけど、今日はまだきらめない!!やりきる!!もう何がなんでもやる!!めらめら!メラメラ!めらめらだってばこんちくしょう!

 

そんな感じでころころスロープの大回転バージョン(一番でかい)やつは完成し、私は感動した。な〜〜んだ、私にもできた!一度もできたことなかったけど。できた。

 

 

何事もできないことなんてない。できないことはあるかもしれないけど、できなかったとしてもチャレンジしたことは悪いことじゃないんだ。それは本当に紛れもなくそうなんだった。

私が途中でダメだこりゃ、と思ったもの(ABCクッキングのパン作りとラテンパーカッション講習とフェルトマスコット作り)も、やってみた結果ダメだったんだから意義があるじゃないの。

 

 

いろんなことに取り組んでみよう。別に誰にも迷惑かけないんだし、自分でやるんだからいいじゃない。誰かに「やっぱりダメだったね」と言われても無視しよう。その人の小さい器にコインでも入れてあげたらいいじゃないの。

 

 

ということで本日は大量にガーデニングの本とDIYの本とファッションの本を図書館で大量に借りてきて、ホームセンターで木材を切るにはどうしたらいいのかさんざんうろうろして疲れた、という1日でした。

 

 

疲れたのと新たな取り組みで胸をおどらせてる私はさっそく帰宅してすぐのH氏に「あのさ、庭どーする?庭のこと考えてる?あたしね、庭にあじさいとコデマリと白のライラックを植えたいんだけど、どうしようか?どうやってつくる?DIYできるよ?ほら、本借りてきたよ!でもこれさあ〜〜軽トラで土とか一緒に運ばないとできませんよ??」という感じで話だした。

 

H氏は「え、庭って・・?薪棚あるから置けないけどどうすんの?」と怪訝な顔で言われ、

「いや、薪棚のとなりだよ、庭は広いんだからどうにでもなるじゃん、花くらい」という私に、

「そっちは薪のコンテナおくし、庭はトラック入れるようにしておかなくちゃいけないし、動線に花なんか植えるのやめてよ、しかも絶対あんなの自分じゃできないよ、土柔らかいから砂利いれないとダメだし、無理だから、自分たちでは。」なんてことを言われた。

 

え…そうなの…?と、テンションが急降下しだんまりする私に「相変わらず意味わからんこと言ってんなぁ、お母さんは」と追加で息子たちに話しているのが聞こえてきた。

 

…H氏のよくないところは性格だよな・・・と再確認したのであった。いや、分かっている、分かっているのだ。分かっているのだ、いろいろと。

 

むすっとしている私に、まあせっかく借りてきてくれたんだから、読むだけ読むか、とポツリとつぶやいていたが、

やる前から無理だなんて言わない、わたしはどんなときも絶対に、それはタトゥーにして彫ってもいいわ、まじで、なんてことを思った。

 

こんどH氏の小さい器にコインでもいれてやるか。

 

 

まぁそんなことはさておき、夫のくだらないつぶやきはさておき、いろいろ取り組んで行こう、

そして今まであんまり向き合ってこなかったファッションの話は次回。

 

息子たちが起きたんです。くそう、ではおやすみなさい。