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Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

鈍感者の言い分

私が鈍感であることについては、自分の中では有名な事実だ。

 

大雑把でマイペース、そう言い換えてもいい。

 

前の職場でも誰と誰がつきあってるだとか、誰と誰の関係が微妙だとか、誰と誰はどうのとか、そういうことについて自らやんわりと認識したことは一度もなかったし、

 

色々と自分の意見をはっきりの述べて周囲を引かせたこともあると思う。

 

もしくは自分の興味、やりたいこと、意見、自分の進むべき道などについて誰かの目線を気にして意見や行動を変えたことなど一度もないし、

 

言いたいことは言う、やりたいこともやる、自分の人生なんですもの、という様子が毛穴から滲みでている姿で過ごしてきたと思う。

 

ついでにいうと痛みにも鈍感で、盲腸で腹膜炎を起こすくらい我慢したし、指を骨折したときも気づかなかったし、出産もいたたた・・・うーんうーんなんて言ってる間にすぐ生まれた。

 

さらに言うと便意にもうとい。

 

 

自分の中身や周囲に対して鈍感であること、大雑把であること、マイーペースであることは、

私自身が生まれ持っている宝物だと思っている。

 

 

 

最近「気にする方の人」から、そういうの鈍感な人たちはもうちょっと気にして欲しい、もしくはよく気にしないで生きていけるよね〜、みたいな話を聞き、

 

「あぁあたしってほんと鈍感だなぁ・・・・」となどと再々再々再々再々再確認した出来事がふたつあった。

 

 

具体的には「子どものカゼがちゃんと治りきってないのに集団に入れる人いるけど、あれやめて欲しい、うちの子にうつるじゃん」「他のおうちに連れて行って子どもの手垢がベタベタするの気になるから気をつけてる」みたいな話で、

 

私はその話を聞きながら「ええっ、そんなの全然私も気にしない!!!!」と少し衝撃を受けた程度の小さい出来事だ。

 

いや、小さくない。これは小さくないことなのだ。

 

熱なんてなければ、そんなの全然気にしない「鈍感」な私の言い分はこうだ。

風邪をひいて体調を崩す。熱が出たので会社を休む、もしくは学校を休む、社会に出たらそんなことはたくさんある。

インフルエンザや他の感染症みたいに、何日間の出勤・登校謹慎命令が明確になっていない場合には、仕事もしくは学校を休む期間は個人の体調の回復具合に完全にまかされていて、

「鼻水がとまるまで」だの「食欲が戻るまで」だの言ってる暇なんてないし、

むしろ熱ないし元気なんだからさっさと行けよ、みたいな判断が多いと思う。

 

どんなウィルスや細菌に感染しているのかも不明なのに潜伏期間や感染期間を推測するのは不可能だし、なかには1ヶ月くらい感染力が継続するものだってある、

 

つまり風邪を予防することなんて個人の抵抗力や感染予防対策を高まるしか方法はないのだ。

 

その上子どものときに多くのウィルスに感染しておくとのちの免疫強化に繋がるため、小さい時にたくさん風邪をひいておくほうがのちに有利とまで書いてあるものもある。

 

決められた予防接種をうっていて、明らかに診察時に集団を避けるような指示がない場合に、自己判断して「人にうつつ可能性があるから自粛してほしい」というのは無駄な配慮だ。

 

明確な根拠が明らかにされていないのに、「そうだったら困る」という理由だけで相手にそれを求めるのはちょっと横暴だと思った。

 

 

 

「もうちょっと気にして欲しい」「こういうの気になるから自分も気をつけてる」みたいな話のはじっこには、いつもなんだか鈍感な人たちを少しバカにするような雰囲気があるような気がして、

 

気にしてない人が劣っているような、気にしている自分が配慮ある人間みたいな、

小さい頃からなんども言われた覚えがある、「あんたは鈍感だもん」「あんたは鈍いから」「どうせ気づかない」などという言葉をぼんやりと思い出して、私はなんだか少し腹がたった。

 

そこは鈍感なんじゃない。それぞれの考えがあるんだってば。

 

 

 

私の大雑把でマイペースで鈍感で雑な部分というかそれが私の半分以上を占めてると言っていいと思うけど、そういう人に私の言い分はどんな風にうつるんだろうか。

 

正論を話したとしても分かり合える気はしないし、

「風邪がうつるから治るまで集団にいれるのは遠慮して欲しい」という意見には、ただそれだけじゃなく、

 

子育てや生活、思想や信念、いろんなもの相違を示しているよなぁと思った。

 

 

私側の配慮としては、世の中には自分の正論や根拠を述べたとしても

「なんかやだ」「そういう問題じゃない」という反論にならない意見で返されそうだから、

 

そういう人と交わる時は「うちの人たち風邪ひきなんだけど大丈夫?」と一言聞くようにしよう

 

 

けどそう言われたら「からあげにレモンかけて大丈夫?」ってきかれたときみたいに、本当は「レモン嫌なんだけどまあいいか」みたいな返事でされそうだし、

 

つまりはやっぱり「うちは風邪引き終わったばっかだから自粛するわ」と自ら意見をまげて述べることになり、

 

そう考えるとそうやって誰かの目を気にして意見を変えたりしたくないし、本心と反対のことをし続けることは苦痛になるので

 

やっぱりこれは小さな問題じゃないんだよなぁと長々思ったはなしでした。

 

本心と違うことは一個もやりたくない。

やりたくないことはやらない。そう思ってないことはそうしない。

そういうのを捻じ曲げていくと、何がなんだかわからなくなるんじゃないか。そう思いませんか。

 

築地の問題で移転反対派の人が「安全だと示されてもそういう問題じゃない、信用できない」みたいなこと言ってたし、

 

安全は数値で示せるけど安心は示せない、全然関係ないけど、なんだかこれも同じ種類みたいな、そういうカテゴリーのことだよな。

 

 

私の大雑把でマイペースで雑で鈍感な部分を嫌に思う人は、私はその「気にする」繊細な心に不快な引っかき傷を残すタイプだと思うのでできるだけ住み分けして生活していたい。

 

これからこどものイベントなどで普段は関わりない人々と付き合うこともあるかもしれないので心がけよう。

 

そして私の大雑把でマイペースで雑で鈍感な部分を許容してつきあってくれている友人たちに感謝したい、アーメン

 

 

 寝ます、おやすみなさい