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Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

言葉の向こう側

昔まだうちの兄がアメリカに住んでたとき、

「こっちの人は英語話せない人のこと足りない人と思ってるから」みたいなこと言っていて、なんとアメリカ人は最低だなぁと思った。

 

そうしてそれから何年かして、私がヨーロッパとアメリカへの旅行に出かけたとき、

その先々でなるほど英語もしくはそこの国の言語を話せない人はどうやら思考も足りて無い人、というか理解しあえない人と認識されてるらしいな、というふうに感じる扱いをうけたことが何度かあった。

 

でもその時の自分は完全に英語は人と仲良くなったりコミュニケーションをとったり何かについて議論したりするものではなく、

日常生活で必要の会話や、旅行に関して必要な単語や意味だけを認識して理解できていればよかったので、たとえ英語が理解できないことによるそのような体験があったとしてもどうでもよかった。片言の英語を、めんどくさそうに対応されることに少し傷つくことはあっても、だからといって相手に腹を立てたりするようなことではなかった。

 

ある時旅行中に、片言しか話せない私が、ユースで同じ部屋だったカナダ出身の女の子とオーストリアのハルシュタットに行って湖のほとりで迷子になりかけたとき、偶然居合わせた日本人の個人ツアー客に助けてもらったんだけど、

そのとき日本人と日本語をペラペラと話し、トラブルから救ってもらえるように対処する私を見て彼女はとてもとても驚いた顔をしていいて、「え、この人こんなに話せたの?全然話してなかったのに」と書いてあるみたいだった。

 

 

 

なるほど、人は、話したり口にすることだけを考えたり思ってたりするんじゃないのか・・・・。

 

当然だ。だけど改めて思うと違う視界になっていた。

 

 

言葉にすることができない思いを、言葉にできないから飲み込んでいるのに、

見てるこっちは口にしない思いについて瞬間的に考えるのはけっこう難しい。

 

もしかしたら考えてなくて口にしないことなんてほとんどなくて、

どうやって表現したら、言葉にしたらいいのかが分からなくて、表現したいけど何らかの理由でそれができないから口にしないことのほうがずっとずっと多いのかもしれない。

 

 

 

何を急にあんたって、

 

最近息子の口数がぐぐっと増えて、

いろんなことを自分から話したり、私についての質問をしてくれるようになったのを見て、「へぇ〜!今までそんなこと思ってたんだ!!言葉にできるようになったんだなぁ、今までもきっと、何も言わなかったけどそう思ってたんだなぁ」ってことがよくあるので、

そのときの息子の心境を察するに、

英語でなんて言うのか分からなかったから飲み込んでたけど、あのとき本当はもっとこうしたかったし、実はこんなことを思っていたんだよって心の中の私と重なったよって話です。

 

 

加えて最近読んだ雑誌の育児相談コーナーに「子どもにはできるだけなぜ?という質問をしないようにしましょう、なぜ?という質問に対して上手に答えるのはかなり高度の質問です、なにか起こった時になぜそうしたのか?と尋ねられると責められたような気持ちになり、なかなか本音を言いだせません、なるべくなぜそうしたかをいつ、どこで、何を、どうしたのかという質問から汲み取れるような会話になるように気をつけてみましょう」みたいなことがちょっとうろ覚えなんだけど書いてあり、

 

そうかそうか、なるほどね、ふむふむ、と思ったのもあります。

 

 

 

日常生活に必要なことを話すのは案外簡単。私の極めて未熟で極めて適当な英語のように。

 

だけど、自分で考えたこと、気持ちを口にしたりすることは、意識してみるとずっとずっと難しいんだなぁ、ってことを思った最近の出来事。

 

言わないからって何も考えてないって思ってしまうのだけは気をつけよ。

 

 

 

ひとつ言葉を覚えると、ひとつ子どもたちは私から手が離れていく。

 

失礼にも読んだ本も作者の名前を忘れちゃったけど、心がけていきたいです。

 

 

もしかしたら認知症でもう何にも覚えてないおばあちゃんも、話すことが難しくなったけど、心では違うことを思ってるのかもしれないよね、

 

 

さて

おやすみなさい。