Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

誰でもない自分

千葉から友人が帰省していたので、いつものメンバーで夜外出するとのお知らせがあり、

「私は無理だ〜〜〜」と返信したけど、まて、ちょっとまて、

 

逆に夜遅くならいける!!!!

 

ってことで、息子2名が就寝後に参加してきました。

 

 

 

家を出て、子どものおむつやタオルや着替えが入ってるいつものバッグじゃなく、いつだってドロドロのスニーカーじゃない綺麗な靴を履いて、

 

母親でもなく、妻でもなく、誰でもないふつうの私に戻ったのは久しぶりの感じがした。

 

 

最近子連れが見慣れすぎてた友人も、一人の昔からずっと知ってる友人で、

 

何もかもを離れてもとのあたしたちで会う時間って、けっこう大切だよなぁって帰宅する車のなかで思った。

 

 

狭い範囲の自分の社会、子どもや家庭のことしかない話題、

そういう日常から抜け出すのは、まるで水泳中の息継ぎのようで

 

最近のギスギスしている心が少しすっきりしたのが実感できたし、また明日からがんばろうと思えた。

 

 

最近とくに気持ちが疲れていたので、

本人の気持ちはおいておいて、私から見てH氏がいつも変わらずに自由にしていることが心から羨ましいし妬ましいしはらを立てていたけど、

 

あと10年後、息子二人が大人になったとき、釣りや山登り、キャンプや映画、写真や旅行、ほかにもたくさんいろんなことを知ってる彼は、実に息子たちにとっては楽しい存在だろうってことを友人たちと話していて、たしかにそう考えると心のモヤモヤが鎮火したような気がした。

 

 

誰でもない自分に戻る時間

 

母であって妻であるけど、あたしはあたしでしょーもない存在であることを、自分でしっかりと可愛がってあげようと思った。