読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

振り返ったときに

夫が所属している会社は、新しく子が生まれた家庭に、「赤ちゃんとママ」というタイトルの月間公報誌が配布される。

 

表紙はだいたいママタレントで、子どもとたまに夫が笑顔でのっていて、その裏に彼女の育児ストーリーや奮闘記がちらっと書かれている。

 

内容は、0歳児向けの病気、怪我、育児の悩み、夫の育児状況、離乳食のこと、季節のトピックスのことなど、

だいたい0歳児を持つ母親なら知りたい情報がまんべんなく乗っていて、どっかの先生の育児のコラムや、ほかのお母さんから投稿された悩み相談まで、なかなか充実していて読んでいて楽しい。

 

毎月毎月H氏と二人、わりと密やかな楽しみにしていたんだけど、先日届いたものについに「1歳のお誕生日おめでとうございます!赤ママはこれで終わりです、ご愛読ありがとうございました、今度は1歳児向けの冊子になります」的なお手紙がついていた。

 

そっか、息子が1歳になったから赤ちゃんとママは卒業なのね〜と少し寂しい気持ちでパラパラとページをめくっていたら、その号にはパックンのコラムがのっていた。

 

パックンのコラムはレギュラーじゃないし、テレビでの彼は知ってるけど、文章で見るのは初めてだったんだけど、その内容がすごく印象的だった。

 

抜粋したかったんだけど読んだらすぐ捨てる習性ゆえ、手元にないので思い出して書きます。

 

パックンには7歳と5歳?くらいの子どもが二人いて、5年前、子どもたちがまだ小さなときに一度赤ママのコラムの依頼をうけて書いたことがあったんだけど、何を書いたのか全然覚えてないし、今回の依頼を受けるにあたって読み直してみた。

 

すると自分でもびっくりするくらいの「きれいごと育児」のことが書いてあったと。「子どもたちは叱らない」とか、「できるだけのびのび育てる」とかそんな内容のもので、あれから5年間たった今、その時の自分はそういう理想や、育児においてのきれいごとを、思う存分、人に語りたかったなんだなぁと思ったらしい。

 

いまは全然違う。子供は家に帰ってきたら速やかに宿題をして、親の言うことをきいて行儀よく食事をし、風呂にはいり、次の日の寝る準備を言われないでもして、就寝前に時間があまれば自分の遊ぶことをしてもいいよ、というところまで育児方針は緩和?されたと書いてあった。

 

5年間で知ったことは、育児は「綺麗」なんかじゃないってこと。

怒りや悲しみ、虫や汚れ、泥やうんこ、鼻水や暴言、嬉しさや笑顔、いろんなものにまみれて、そうやって成り立っていて、綺麗なんかじゃないその全てが楽しいし、それこそが育児の醍醐味だから、いまを楽しんで生活していきたい。

とりあえず今は、5年後はなんて言ってるか、わからないけど。

 

という言葉で締めくくられていた(たぶん)。

 

私たちは夫婦でその彼のコラムを読んで、ふぅん、なんか、いいね、と二人でうなずきあった。

 

私もこの1年、初めての育児に直面して、様々な育児書を読み続け、自分の育児スタイルを見つけるべく、日々奮闘している。

本から、少しの経験から得た知識を誰かに語りたくなるときもあるし、強烈に納得したときにはすぐに息子の生活に取り入れたりすることもある。

そうしてパックンと同様、「のびのび」と「なるべく叱らず」「本人のやりたいように」「こちら側が余裕を持って」「見守る」育児などをしたいと考えていて、

 

私はそのことを、もう育児やしつけの道を進んでいると思っていたけど、実はまだ入り口に立ったばかりなのかもしれないと思った。

 

親として、もしかしたら、きれいごとを語りたくなるようなスタートラインに立ったばかりなのかも。

 

 

そんなことを考えていたら、今年の2月に出産した幼馴染のメールに、

「甘えん坊の息子が鬼のギャン泣きして、30分しても泣き止まないからついに私も泣いた」と書かれていて、つい吹き出した。

 

「あんたも泣いたんかい」と返信すると、

「最近夜も隣で寝ないとすぐ目をさますし、夜の少しの自分の時間だけが癒しだったのにそれすらもないし、たくさんかまって愛情いっぱいで接してるつもりなのに、なんで泣くのと思ったら悲しくなった」と。

 

そんでついに泣きだした彼女を見て、夫がバトンタッチしてくれて、鼻かみながらテレビを見ている、と続いていた。

 

私はなんか微笑ましいなぁと思いながらその光景を想像した。

 

 

かつて私たちは、ふたりしてしょーもない底なし系の恋愛にどっぷりとはまって抜け出させないでいて、

 

会ってない夜は毎晩その男やその男の女のことを呪ったり愚痴ったりして、お互いの傷に薬を塗りあって生きていた時代がある。

 

毎日が先の見えないトンネルにいるようで、進んでも進んでも何が何だかよくわからんし、つまずいて転ぶことにも慣れていて、突き飛ばされてもヘラヘラ笑って幸せだった。

 

 

今でもときどき、洗濯物を干してるときなんかに、あの時のことは思い出すけど、「あーぁ、しょーもな、とほほ」と思う一方で、あれはなんてゆうか、自分の人生の中では、ボロボロになった宝物というか、ある種のとても大事なものだ。

 

あの恋愛も、汗や涙や鼻水や体液や恨みやつらみや妬みや嫉みにまみれて、どうしょうもなかったけど、やっぱり楽しかったし、何もかもがきれいごとじゃないってことを全身で体感できたのは、人生において、なかなか悪くなかったんじゃないかと思うのだ。

 

 

確かに恋愛や夫婦関係においてもキレイごとは目指す方向性として大切だし、

育児ビギナーにおいての目標を掲示することも意義あると思うし、

そしsてパックンが言うように、キレイごとの裏にある、汚くて、ネバネバで、ドロドロのように見えるものの中にほんとの醍醐味があったりもするから、

 

息子の夜泣きも、うんもよだれも自分に関するいろいろも、振り返ったときにいい思い出になるように、自分たちなりの全力だして頑張れたらいいな、と思う。