じっと鏡の奥を覗き込むみたいに、ぽっかり穴の空いた歯茎を眺める。
ぽっかりと空いた穴は、まるでどこまでも続く洞窟の入り口のようだ。
しびれる唇を変な形に歪ませて、下の先をその穴の中につっこもうと動かしてみると、鈍い痛みが口の中に響いたのでやめた。
ふぅん、こんな風になってんだ
隣の歯についている赤い血をぺろりと舐めると、血の味がする。
小さな頃から怪我をするとぺろりと舐めて、自分の血の味を確かめてきたけど、誰かの血の味は、私の味とは違う味がするんだろうか。
処置中、思いの外全身に力を入れて、集中していたらしく、終わりましたと体を起こされたときには、足の裏にぐっしょりと汗をかいていた。
痛みに耐えるのは集中力がいる…
いや、痛みは耐えるというより、受け入れるものと言ったほうがしっくりくる…
麻酔や処置、続く出血、いろんなもので頭がぼうっとして、そんなことを考えながら処置台の上で体育すわりをして休んでいたら、「今日はもう終りです、おつかれさまでした」とあっさり言われたので軽くショックを受けた。
え。うそ、もう終りなの、そんなあっさり。
今日は固いものは食べられないよと夫に言われたけど、1時間ほどして、試しに母が揚げてくれたヒレカツを食べて見ると全然平気である。
もぐもぐと夕食を食べ、ちゃちゃかと片付けをしていると「痛みに強いね」と、夫は驚いているようだった。
「これからさ、抜いた穴が、どんどん小さくなっていくんだけど、食べたものがそこにつまって、なかなか取れなくなるんだよね、それが俺、すっごく嫌だったなぁ」
夕食のあと、ヨーグルトにチアシードをまぜて食べていた私は、夫の言葉を思い出しながら、
こんなに小さな、ぷちぷちとしたチアシードが、この奥歯の、奥の奥の、まっくらな穴の中に落ちてしまって、誰にも気づかれず、歯茎のしわや、小さなポケットにひっかかって、入り口が閉じてしまうことはないんだろうか
そうしたらチアシードは私の口の中の、奥の歯茎の中にしっかりと埋もれて、いつか芽が出たりして…
ヨーグルトの紙のパックの壁についた残りをスプーンで薄くこそげ取りながら、私はそんな想像をして、また舌を左の奥の穴に突っ込んでみる。
まぎれもなく、よく知っている私の血の味がした。
ちょっといきなりなんだっていうと、つまりは親知らずを抜いたよってことです。
出産もわりと平気だった私は、親知らずなんて全然平気かと思いきや、けっこうつらい体験だった。下の歯を半分くらい削られたのが痛かったんだよ。キィイィィィンって音に伴うひんやりとした痛み。
抜くときは、ぶっとい毛が抜けるみたいな感じで案外気持ち良かったです。私のそういうところはけっこう変態的だと思う。自分の身体から何かが抜けていく感覚はたまらない。
血を飲みすぎて胃が気持ち悪い。顔もそんなに腫れてないし、痛み止め飲んで早く寝よう。
そういえば先日、美容室でシャンプーをしてもらっているときに、「休みの日に色々用事が重なって予定通り進まなくなることがつらい」と美容師さんが言っていた。
「みなさんどうやって、時間回してるのかなって思っちゃう。」そういうこという人は、忙しい自分が好きだから、別に誰かの回答なんて期待してないんだろうなぁと思いつつ、
私も言いたがりなので、「私は1日の用事をふたつクリアできたら上等って思って活動してるので、超ダラダラですよ」と(特に聞かれもしないのに)教えてあげた。
「ふたつって、どういうのがふたつなんですか?」
「洗濯と、掃除とか。買い物と、掃除とか。洗濯と買い物とか。お出かけと掃除とか。そんな感じで全然がんばらないですよ、私自分に何も期待してないんです。」としょーもないと自覚しつつも威張っておいた。
そうしたら先日、大学の友人とドトールでばったり会って、子どもの月齢もちかくて、近況などを話していたら、「色々とできなくて余裕なくて、人と比べてつらい」みたいなことを言っていたので、「ふへぇ〜!」と驚いた。
私、人と比べてつらくなったこと一度もない!!!
いや、それは嘘だ。
恋愛ではあった。
周囲の女友達はなぜみんな彼氏がいて、結婚の雰囲気があって、みんな幸せそうで、みんなキラキラしているのに、なぜ、なのになぜ私だけが…と仄暗い海の底から這い上がれないずたずたの気分のときはあったけど、
だけど仕事や勉強、生活態度、金銭面、そのほかもろもろ、人と比べてみじめな気分になったことはない。
それは私が鈍感で、そして自分にぜーんぜん期待してないからだ。
そのばったりあった友人の話を聞きながら、自分に期待しないって大事だなぁ、と思ったし、
「あんたねぇ、もっと力抜いたら?うちらにそんなに色々できないよ、1日息子の面倒を無事にみれただけでもはなまるだよ」と声をかけたかったが、そんなことを言える間柄でもなかったことが心苦しかったです。
さて。寝るか。
ストレッチもめんどくさいけど、今日も吉瀬美智子さんが超絶美しかったから、少しでもお近づきになれるように嫌々やるか…