同じ頃出産した友人が、
長男は夜泣きが激しくちょろちょろしているから夫に似ていて、次男はおとなしくてぼーっとしているところが自分に似ている、などということを話していたのが妙に印象に残っていて、
では、うちの息子がけっこう大人しくて、ニコニコしてる割にぼけっとしていて、ついでに甘えん坊で超絶かわいいのは、遺伝なのかと疑問に思った。
いや…
違うでしょ…
それって大人の思い込みじゃないの…
H氏に「性格って遺伝するの?子どもに親からもらって生まれたものは10%程度って育児書的なものに書いてあったけど、そのパーセンテージってどうなの」などと質問してみると、
答えのないような適当な愚痴みたいな質問だったんだけど、
「俺は性格は遺伝すると思う。競馬を見てたら確実にそうだ」と意外な回答がきた。
おぉぉ。なんかさすが。
んじゃあながち彼女が言ってた性格の遺伝は間違いなんかじゃないのか。
気性の荒い馬の仔は気性が荒く生まれるように、ぼけっとした穏やかな性格も遺伝すんのかね。
だとしたらここだけは遺伝してほしくないわ…ってところってどこだろ?
口だけで実行しないとこ?適当な理由をつけてすぐ諦めやすいところ?それって気性とかじゃなくて、完全に後天的な育ち方に由来するものかな?二女の特性じゃなく?
なんてことを考えて堂々めぐり。こういうのを「考えてもしょうがないこと」って言うんだよな。
そうそう、この前読んだ「育育児典」に、
ひとりふたりと、数を数えられるようになることよりも、「あっ、だれだれちゃんがいない!」なんてパッとわかる感覚のほうを大切にしたい、的なことが書かれているのを見て、ハッとしたことがある。
ちーが生まれて、とりあえず私の親としての目標は、高校生くらいになるまでに、ある程度の英語で会話できるようにしたいって思って、それにはどのようにしたらいいのか
?とか考えてたけど、
それってそもそもが的がずれてる。
英語を話してほしいって、私がそう思うのは、
彼が生きて行くであろうグローバル社会に備えるためでもなく、就職に有利なわけでもなく、誰かにかっこつけるためでもなくて、
ただ単に、他の国へ行ったり、日本じゃない他の文化の人たちと話したりするのは楽しいからって理由だった。
だったら、別に英語を話すってことが結局の目標なわけじゃなくて、この世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があって、いろんな暮らしがあって、どんな形でもいいから、そういうのに触れて一緒に楽しく遊べるようになってほしいってのが目標なんだ。
いろんな国や地域の文化に増える機会を増やすこと、たくさんの人と触れあるのってすっごく楽しいってことを私たち自身がしっかりと行えば、自然と息子もそれに習うようにできてるんじゃないかなぁって思った。
だから結局、まずは子どもよりも自分なのよね。
なんでもそうか。まずは自分だよな。
明日はおばあちゃんと母と息子と温泉に行きます。
母はもう少しで誕生日なので、還暦のサプライズを少し仕込んである。
ひさしぶりにゆっくり温泉にはいれそうなので、楽しみ。
岩盤浴ついでにマッサージもしちゃお〜