「これからの正義の話をしよう」という本が数年前に流行して、ミーハーな自分もがんばって半分くらい読んだけど、
なんせ内容がものすごく重くて重くて、少しずつしか読めずに途中で断念。
だけどイスラム国関連のニュースを見ていて、あの時の本を完読していればよかったなぁと後悔した。
では今読めばいいじゃないのと思うんだけど、なかなかそういうこともできず。
いや、でも、がんばって読んでみようかな。
最近ニュースが荒れてますね。死亡された(とされている)湯川さんには心からご冥福をお祈りします。
仲の良い夫婦に初めて子どもが生まれた時に、「親になるってどんな気持ち?」って聞いたことがあるんだけど、
テレビでいじめや子どもが傷つけられたりするニュースが他人事じゃないし、見ただけで涙でそうになるよ、と友人は笑っていて、へぇ、そんなもんか、なんて思ったんだけど、その話はすごく印象的だった。
今までにない感情だよって、それってどんな気持ち?
それから5年経って、私もそれを深く実感してる。本当だった。悲しいニュースは今まで以上に悲しいし、心配ごとも倍に増える。
息子が育つ世界は、いつだって平和で、いつだって明るくて、いつだってあたたかなものであってほしい。きっとみんながそう思って生活してるはずなのに、どうしていろんなそうじゃないことが起こるんだろうね。
女は10ヶ月も長い間に大事に大事にお腹のなかで子どもを育てて、超がんばって産んで、がんばってちっちゃな命を大切に育ててきたはずなのに、どうして一体、なんでそんなの全部なかったみたいに殺しあったりするんだろう。
誰かの手で、一生懸命育てないと人なんて育たないのに、どうしてそんなこと忘れちゃうんだろう
正義って何かしら
人が生まれてきたときから大切にしている宗教をバカにしてもいいのか。
バカにしてるわけじゃなくて「風刺」してるだけだからいいのか。
「風刺」していたら人を傷つけるようなことを書いてもいいのか。
一部の人が深く侮辱されたと感じても、それが「民意」ならいいのか。
表現の自由という信念のもとに誰かを悲しませてもいいのか。
人がどんぱち殺しあってるのを知っていてそこに行って殺されることは自己責任なのか。
人質を危険なところに助けにいって死んでしまうのは自己責任じゃないのか。
自己責任であるなら、首を切られて写真を公開されることはしかたのないことなのか
いじめられるほうにも原因はあるから自己責任?
知らない男性についていってレイプされてしまったのも自己責任なの?
私は違うと思う。
誰かの尊厳や権利を暴力的に奪うことが正しい理由なんてひとつだってない。
彼がシリアに行ったとしても、あんな無残な姿て殺されていい理由にはならない。
せめて後藤さんは無事に帰国できることを祈ろう。
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: マイケルサンデル,鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/11/25
- メディア: 文庫
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