先日Twitterで、塩村議員に対してのヤジのことで、「擁護したことを後悔した人たち」みたいな内容のまとめが流れて来た。
塩村文夏に同情したことを後悔している皆さんのお言葉 - Togetterまとめ
読んでえ、え、えぇぇぇ、と思った。
だって都議会でとばしたヤジと、彼女が過去にどういう人物だったのか、現にいまどういう人だったのかは全く別の、まるで別問題のことなのに…
そりゃ美人の議員の過去が「うぅ、残念」みたいな内容でがっかりしたってゆうのは一意見として分かるけど、そんなら次は選挙で票を入れないってだけの話だし、
それは彼女が議員としてどうか、さらに議会みたいな代表の場で、あんな下劣きわまりないヤジをとばされていいって話には絶対ならない。
そういう話の流れから、おなじみ佐々木俊尚さんのTwitterで、
https://twitter.com/sasakitoshinao 「セクハラ」自体を認識してない人々がこのご時世にいるってことにも衝撃だった。
「私たちのような男からしたら、職場で女の子のお尻をさわったり、卑猥なことを言うのがセクハラという認識で、あの発言がどうしてセクハラになるのか分からない」とか、まさかの発言も男女問わずに多くて…。
ちょっと、おっさん!それセクハラじゃなくて痴漢です!!
極端な意見ってゆうか認識はおいといて、
私は現時点では妊娠してるし結婚もしてるし、子育てはとりあえず1年間は母乳育児などを完遂しようと目標をおいてるけど、それは他者の意見ではなく私の意見だ。
誰に言われたからでもなく自分で選んだ選択肢のうちの一つ。
だけどここでH氏がもしもし万が一、
「女なんだから家で子育てしてるの当たり前だろ」とか、
「母乳で育児するのは当然だろ」とか、「女なんだから働かないで家にいて家事もするなんて当たり前だろ」とか、
「女なんだから家事はあんたの仕事でしょ、家事をしっかりできるなら働いてもいいんじゃないの」などと言ったら私はとても嫌な気分になると思う。
嫌な気分になるだけならまだ軽い。
嫌な気分になって、もしかするとH氏のことを軽蔑して、嫌になるかもしれない。これだけ大好きだけど。
幸いにもうちの夫は言わないけど、そのくらい2人の選択肢にとって、「相手の人生を尊重するために、2人で協力する」ってスタンスは、本当に大事なことだと思ってる。
結婚しても夫にしばられず、好きなことをできるってことに勝る幸せなんてない。自由に生きてきたのに。
私が働かないで家で家事をする道をがんばりたいと思い、経済的に貧困になったとしても私が家事を分担してがんばるのか、
私が働きながら子育てをがんばりたいと思ったら、時間的に協力して分担するのか、それは私の選択肢であって、H氏が私に命令することではない。
もし夫が自分は家事と育児を分担したいから私に働いてほしいと願えば私は最大限の努力をするし、
もしくは子どもができても自分は十分に働いていたい、仕事の分量は減らせない、どうしても協力できないのであれば、私は私の道を選びながら、別の道を検討すると思う。
お互いがお互いのやりたいことや人生を尊重して、「自分がどうするのか決める」ってのが、基本的でとっても大切な考え方だと思う。夫婦のありかたとして理想だ。
今の私たちは、男女が理由にならずに、自分の人生は自分で決めることが当たり前で、他者にうんぬん言われることじゃないし、迷わず生き方を選択できる社会の中で教育を受けてきた。
それが結婚したとたん、自分の選択肢がなくなって、「妊娠」「子育て」「家事」を望まないでも押し付けられて、そんなことされたらすぐ離婚するし、子も産めないに決まってるのに。
でも「セクハラ」が何かを知らない日本の世の中のなかで、
これがきっかけで「へぇ、それって女性に言っちゃダメなんだ」とか「今の世の中はこれがセクハラになるのか」とか、「性役割を他の人が押し付けることがハラスメントなんだ」と理解することがあれば、小さいかもしれないけど、私が今後も一国民として、女性として、応援していく内容だよな、と思いました。
最近で一番身近で、興味深い内容。
これって自分のこの先10年の人生を決めるのに、とても関係ある気がする。
最近は腹の子も元気でばしばし内側から胎動を感じるし、昨日ははじめての「母親学級」だった。市が開催しているやつ。
年齢別にテーブルが分けれられてるらしく、「歳が近いお母さん同士、ぜひお友達になって帰ってくださいね〜」と言われたけど、気になるはかわいい子。
となりの女の子が優木まおみ似でめっちゃかわいかったのよねぇ。もちろん話しかけました。えへん
しかしながらスケッチャーズのラメラメのスニーカーを履いていたのが気になってしまった。でもかわいいからいい。
徐々に妊娠も進んでるのね。
息子にも自分の人生を自分で選択できる強さと自由を持ってほしい、なんて世の中を考えてるみたいなことを言ってみる。