Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

父の死

久しぶりのブログです。父親が死んだため葬儀などをしていました。

 

父親と母親が離婚したのは私が5歳くらい、いや、本当はもっと小さかったんじゃないか、とにかく20年以上まえから疎遠だったため、父のことはほとんど知らない。

 

あたしは看護師だから、キーパーソンがいない患者の対応にほとほと困った経験が何度もあるし、一応自分にも居場所が分かる距離に父親が存在してるわけだから、

もしそうなったときには初めての娘としての責任を果たそうと、そう思ってた。

 

それで肺がんになったのが去年の春で、死んだのが今年の冬。

 

けっこうがんばったな、それが正直な感想です。

 

 

はっきり言って、父親が死ぬにあたって、あたしはてんでちゃらんぽらんで、「娘としての責任」とかなんとか言ってるけど、

金銭的に一度もお世話になったことが無い男に葬儀の費用や自宅の片付けをするような気はさらさらなく、ついでに骨になった彼の墓の位置もしらないのに、「墓にいれてくれ」とか頼まれたって、墓にいれるお金も、手段も、ぜんぜん知らないまま危篤の状態まで放置してたことに愕然とした。

 

病院で死に、葬儀社に連絡、普通は自宅に帰るかもしれないけど、私は彼の自宅を知らないため葬儀社に一日ひきとってもらった。

日本の法律では、死亡診断から24時間経過しないと火葬はできないらしい。

 

死んですぐに火葬できるのかと思ってたら違った。

 

病院から葬儀場、葬儀場にて湯灌(ゆかん)、葬儀場から火葬場、火葬直行パックはしめて17万5千円。

火葬直行パックには1日遺体をおいてもらえる6畳の部屋と、夜の間のお線香、百合と菊とかすみ草がはいった花束か1つだけ入っており、あとは死に装束と、質素でシンプルな棺が含まれている。

 

葬儀社の人に、「湯灌のあと、棺にお入れするお花は別料金になりますが、いかがいたしますか」と言われたけど、兄は「私たちだけですので、追加は別にいいです、ありがとうございます」とお断りしていた。

 

 

死者ってゆうか父親だけど、悪く言うのはよくないことだし、だからといって良く言おうとしても、「話がおもしろい」ことと「勝負運が強い」こと以外にはたいして良いところなど見当たらない父親です。あと性欲が強い。

 

自由奔放に周りに気を使わず、自分の好きなことを好きなようにやって、好き勝手に生きて来た人はそれ相応の死がある。自分が与えた愛は人から帰ってくると言うけど、それは本当に本当だ。私はもう、それを自分の目で見たから信じようと思う。

 

父は死んでも私や兄に涙されることもなく、だけどアルツハイマーになって祖父の命日も、死んだことも、他のことなんにも思い出せない祖母を残して死んだ。最大の親不孝を残して。

 

アルツハイマーの祖母は何もわからずに父が死んだことに気づき、心から悲しみ泣き叫び、すぐに死を忘れ、また思い出し、それを延々と繰り返していた。

 

私たちはその都度、「パパは死んじゃったよ」「病気だったんだよ」「おばあちゃんのこと、とても心配していたよ」と目をみて、手をにぎり、ゆっくりと説明するが、祖母はすぐに忘れる。にこにこと忘れ、いきなり泣き出す祖母。時々無言になり目を閉じうとうとしていた。ひどく疲れた様子だった。

 

人の骨は想像していたより白かった。

焼き上がりを見る瞬間は怖かった。

 

「若い人の骨はしっかり残ってる場合が多いです」火葬場の係の人は独特の話し方でそう説明してくれて、私たちはどーんと熱々で出てきた骨を、足下から箸で骨壺にいれていく。

 

祖母は箸で骨をわしづかみ、ぽいっと骨壺に投げ入れていた。

麺棒のようなものでガシガシと骨をつぶしていく兄。泣きながら骨をつかむ祖母。喪主の私はなんだかその光景がコントみたいだなと少し笑いそうになりながら、頭蓋骨を最後にかぶせた。

 

死亡届は火葬の申請をした区役所で行うとすぐにできるけど、違う場所の場合は1週間くらいあとに市町村に提出するらしい。遠方でもいいそうです。

 

入院費の支払い、マンションの片付け、葬儀に17万5千円、納骨にだいたい20万円くらい、これからくるであろう祖母の葬式、

いくらあればいいのか分からないけど、とにかくお金のことは「一銭もいらないかわりに、お金のことについてはいっさい関わりたくありません」と色々を世話をしてくれた人に告げ、

そうすると世話をしてくれた父の友人は、私たちに遺品として「彼がずっとしてました」というプラチナにダイヤの指輪をくれた。それは父と母の結婚指輪だった。センスのいい、素敵な指輪。

 

私たちは祖母の施設の部屋にある仏壇に父親の遺骨をおき、もちろん遺影なんてないけど、そのままぽろんと置いてきた。春になったら、父のいとこがとりにきて、地元にある祖父がはいってるお墓に納骨してくれるらしい。

 

へらへらと無力で疎遠な娘と息子は、祖母に日用品を買うお小遣いなどを少し残して帰宅した。

 

 

父の死に顔を見て、兄は「あんたって、まじ父親似なのね、笑っちゃう」といって笑っていた。

 

「やめてよ、ばか」なんて言いながら、私もそう思った。私は父親似だ。

 

 

あっけらかんと死に、あっけらかんと火葬し、あっけらかんと骨になった父。あの人、人生楽しかったと思うけど、はたして幸せだったのか?

 

楽しいから幸せというのとは少し違う。幸せだから楽しいというのも、少し違う気がする。

 

 

妊婦はお葬式にでると縁起が悪いということも後でしり、私は今回の数日で、いままで知らなかった、色々なことを知ったんだなぁとこのブログを書きながら振り返る。

 

父の死について話す看護師の声、わかりました、ありがとうございました、朝になったら行きます、死亡診断は先にお願いします、という私、電話を切ってなんとなく抱きしめてくれた夫、布団の暖かさ、初めての喪服、父の死に顔はもう思い出せない。

 

 

 

一人前になるまで育ててくれたのは母をその周りの家族。

私はいま、家族のそばにすんで幸せで、夫のことも毎日大好きだし、生きてることに深く感謝してる。

 

金にも女にも生活にもだらしないどうしようもない父親だったけど、一応そこんところだけは感謝してるので、

 

パパ、おつかれさま、もう苦しくないから、飲みたかったお酒とたばこ、いっぱいしてもいいよ、ということなどを思って、今日はおやすみなさい。