やっと次男が1歳になった。
まだまだまーだまだ赤ちゃんだけど、とりあえず1歳になったことは私にとって大変喜ばしい事実。
この一年、1歳から2歳の長男と、新生児の次男を抱えて、先の見えない生暖かいトンネルとゆっくりと進んでるような気持ちだったけど、
最近一番しんどい時期はいつのまにか過ぎ去って、少し先の明るさが見えたきがする。
次男も長男も、みんな合わせて全部かわいい。
これから二人の未来が、彼らの望むような楽しい道であることを母は祈ります。
先日、夫のH氏が「知り合いの酪農家さんが牧草地にするために山を8ちょう」切ったから、捨てる木勝手にもらっていっていいってさ、俺もらいにいってくるわ」と私に言った。
9月に建設予定の我が家、薪ストーブを設置する予定になっているんだけど、それが決定してから夫から切り出される話題の半分は薪や薪ストーブに関連したものとなっている。
それをきいたとき、「山を八丁?ちょうってなに?」と質問したが、「8ちょうは8ちょうだよ」などとはぐらかし、詳しい広さは答えてもらえなかった。
とにかく夫は農家さんがくれる木をもらいに出かけて行き、その夜マダニに噛まれたのである。
その夜私はこども2名と寝落ちして8時半に就寝しており、9時すぎに夢うつつに夫が外出から帰宅して、そしてシャワーを浴びている音を聞いた。
あ、H氏かえってきたんだぁ・・なんてぼんやりしたあとにまた眠りに落ちしばらくたったときに
「U子、ちょっと、ちょっと、ちょっときて・・・」という控えめな声でうっすら目をあけると、黒のTシャツを着ている夫がドアを半開きにして立っていた。
夫が寝ている私を起こすことは滅多にないので、私は何が大変なことが起こったのではないかとピンときてすぐに起きた。
息子たちはぐうぐうすうすう寝ている。
メガネをかけ、明るい部屋の光に目を細めながら、「どしたの?」と聞くと、
「この前さ、ちょうどダニに刺された人の話してたじゃない、それでさ、ちょっとさ、俺、ダニにかまれちゃったみたい」
冗談かと思った。
「え?うそっ」
「ほんと、ふふふ、でもね、なんかダニ、死んじゃったみたい」H氏はほんのり笑ってそう言うのである。
「えっ?死んじゃった?」
「あのさ、死んじゃってるのよ、スプレーかけたら死んじゃった」
「えっ?スプレー?」
起き抜けで夫にダニに噛まれた話をされて怪訝な顔をしている私の前に、H氏は「ほら、ここ」と黒のTシャツをめくっって腹を出した。
私は鼻を近づけてじっと見た。
その腹の中腹部、ちょど心窩部と呼ばれる部分の右側に、確かに2mmか3mmの米粒程度の大きさの黒い虫が、ちょこんとぶら下がっている。
「ほ・・・ほんとだ・・・・ダニだ・・・・」私はそのとき初めてダニを見た。
「ね、ダニでしょ」
「うん、超ダニじゃん・・・」
夫は風呂上がりに上半身裸でふんふんとくつろいでいるときに、なんだかかゆいなぁと思ってダニが噛み付いている部分をさわり、なんとなく指先に違和感を感じて、そのときに初めてダニを確認したらしい。
「あんた風呂はいって体洗ったのに気づかなかったの」
「うん、全然気づかなかった、裸でテレビ見てなかったらもっと気づかなかったと思う。」
私は「へぇ〜」と思った。
その後1時間程度の時間をかけてインターネットでダニに噛まれた際の対処方法などについて調べてみたが、どうもすぐに皮膚科に行け、ペットの場合は獣医に見せろ、絶対に自分で引き抜くな、としか書いてないらしい。
「あ、あんたも病院に行ったほうがいいんじゃないの・・・」と言いながらまじまじとその部分を観察してみると、
1センチほどに膨れ上がるという噂のダニは2-3mm程度の小ささで、素人の私がみる限りではそんなにH氏の血は吸っていないようだ。
ダニにかまわれているらしい周囲の皮膚にも腫脹や発赤は見られず、痛みもそんなにないようで、とにかくいますぐ病院に行かなければならないという様子でもなさそうだった。
「でもさぁ、どうするの、これ、普通に抜いていいの?ピンセットで?」心配そうにダニを見つめる私にH氏は説明をする。
「俺も調べてさ、タバコの煙をあてると嫌がって出てくるとか、ハッカ油を塗ると嫌がって離れるとか、虫除けスプレーをかけると出てくるとか色々書いてあって、とりあえず虫除けスプレーかけてみようと思ってかけたら死んじゃったの、ダニは噛まれたら口のところからセメントみたいなやつで皮膚と結合するようなもの出るらしくて、それでなかなか取れないんだって」
「去年も何人かダニに噛まれて死んだってニュース覚えてる?ほとんどが西日本だったみたいだけど、でもだからといって北海道だから大丈夫ってことじゃないよなぁ」
私はH氏の話をききながら、また「へぇ〜」と思っていた。
「でも皮膚科行ったほうがいいんじゃないの、自分でやるの怖くない?」と言う私にH氏は「これちょっとキモいけど見て」と行って、ユーチューブでダニを抜く動画を見せた。
そうして「犬もダニに噛まれたら病院いって抜くわけでしょ、病院行って抜くのって獣医ってことでしょ、獣医ってことは俺じゃん、だから抜いてみようかと」と言うのであった(H氏は酪農の牛や馬など大動物の獣医)。
俺じゃんって・・でも抜いたこともないくせに・・・と思って2回続けてその動画を見たが、
それは確かにきもかったけど確かにH氏の腹から今まさにぴょこんと出ているダニと同じような外見のダニが、ピンセットで割と簡単に抜かれる動画で、
「あ、これならできるかも」という感じに思えた。
「俺これやってみるからちょっと見ててよ」と言うので、わかった、見てる、と返答し、私はH氏のそばで見守った。
H氏は「じゃあ抜くよ」とか言いながらダニをネイルのストーンを置くときに使用するようなピンセット(主に我が家では私は鼻の脂を取るときか洗面台の排水溝のゴミをとるときに使用してる)でダニの胴体をしっかり掴み、ぐっと皮膚を伸展させて垂直に引っ張った。
そうするとダニがついてる皮膚は2センチくらいにょーんと伸びたあと、ぱつん!という感じでH氏の腹の部分から外れたのだった。
「わっ、ぬけたっ」と私はいい、すぐに準備していたティッシュの上においてもらってまじまじみると、うん、なんだからうんうん、たぶん、頭ついてるね、ちぎれてないよ、抜けた抜けた、とれた、よかった!という空気が流れ、
H氏の顔をみると「うん、だいじょうぶそうだなっ」と言って爽やかな表情でダニを見つめていた。
「あんた腹膜炎になって自分でオペするブラックジャックみたいだね、かっこいい」と言うとH氏はまんざらでもない顔をして、「へへっ、抜けだでしょ?」と少年のような顔で笑っていた。
この度H氏は、別に山じゃないんだけどっていうような場所で木を切っただけ、といっていたが、やはり山じゃない場所でも木があるところにダニは生息することが明らかになったし、
長袖長ズボン、カッパに長靴というスタイルで作業していたらしいがダニにかまれたので、首の部分もガードしないとダメだという反省点が浮き彫りになった。
「ダニ怖いね、感染症で死ぬ場合もあるし、潜伏期間は6日とか書いてあるからほんと心配」「もし変なウィルスに感染したら8人に1人は死ぬらしい」「治療法はない」「治療法はないけども一応なんのダニに刺されて死んだのかはわかったほうがいいからダニは捨てないで取って置くほうがいいかも」などということを話して、
とりあえず7日経つがH氏は元気でいきているし、2mm程度の蚊に刺されたような傷が残っていたがそれも瘡蓋になってほとんど痛みもないらしいので、まずは安心してよさそうだと思う。
それからH氏はそれがトラウマになり、ちょっと黒い何かが体についてたり落ちてたりするとダニかと思って「びくっ」となると話してのでそれが後遺症と言えると思う。
その後H氏の実家で「この前H氏、ダニに噛まれたんだよ」と家族に報告すると、
お義母さんは「かわいそう!昔遠足でパンツの中に入って噛まれちゃって家に帰った子いたよ〜〜〜〜!!!」と言い、
お義父さんは「死ぬんだぞ、ダニは!気をつけろよ!!!」と言ってきたその2時間後くらいに「Uちゃん、あのな、俺も実はな、変な話、玉をダニに食われたことあるんだぞ」とカミングアウトしてきた。
お義父さんとお義母さんはどうやらダニは柔らかいところがすき?らしく、睾丸をダニに噛まれた際は痛いし腫れるし最悪で、ほんとそういう場合は病院に行かなくちゃダメだ、ということを教えてくれた。
そのような一連の経験で私が思ったことは、
もし私が家に帰ってきて風呂上がりに自分の腹からダニの体がぴょこんと出ているのを発見したら
「ぎやあああああああああ!」とまず叫ぶのは間違い無いだろうし、
そのあとH氏をパニックになって叩き起こし「とってぇ!!!!!とってとってとってとってっぇぇぇぇxw」と泣き叫び、直ちに自分のK自動車を飛ばして救急外来に飛び込むだろうし、間違いなく涙は出るだろうと思った。
しかしH氏は冷静にダニを腹からぶら下げたまま、対処方法について検索したり、対処したり、なんだか色々けっこうすごいし、私ってこういう人と結婚したんだなぁとしみじみ思ったし、
私は絶対にダニにかまれたくないし、息子たちにも噛まれたくないので、できるかぎりの予防をしようと思った、
というだけの話です。
今は私が住んでる市内でダニ発生しまくってるらしいので、みなさまもお気をつけあそばせ。
ということでおやすみなさい。
本日が夫が出張中で不在のため、息子二人がすやすや寝ているベッドをそろりと抜け出して、
ケンタッキー2個食べながらブログ更新。最高。最高すぎる。
最近めっきり書いてませんでしたが、みなさんいかがお過ごしでしょうかボンジュール。
私はといえば大きな変化はありません。夕飯時の炭水化物を抜くようにして2キロくらい落ちた、ということくらいでしょうか。
2キロくらい落ちた、というと「まぁ」などとお思いかもしれませんが、もともと3キロ増えていたところの2キロ落ちた、ですので安心あそばせくださいね
このレビューの一番新しいレビュー書いてるのが私ですことよ。
ブログ書かない代わりにレビューなんぞを書いてました。もう趣味ってゆうか、楽しいです、レビュー書くの。
先日高校の国語の先生のご自宅にお邪魔する機会があって、
高校の友人3人とうちの次男の4人で行ったんですけれども、
友人ふたりは高校のアルバムなど懐かしそうに舐めるように見て、あれはあーだのこーだの、誰はあーだのこーだの話し合って楽しそうで、
彼女たちは高校を卒業してすぐの大学時代から、何度もなんども楽しかった高校の思い出について反芻して自分の心の宝箱の中にそっとしまって、そして取り出しては懐かしんで楽しんでいるみただけど、
私の中で高校生の思い出は「青春」というラベルを貼ったコンテナにぎゅうぎゅうに詰め込んで、隙間から甘酸っぱくて顔から火が出そうなくらい恥ずかしい匂いしてこないように上にのってぐるぐる巻きに梱包して、心の奥底に沈めてあるのにも関わらず、
人のリュックサックから私の思い出もボロボロと出てくるから本当に恥ずかしくて耐えられなかったので次の会合は欠席しようと決心したところです。
まぁそんなときに、高校の先生に「私ほんと、太宰じゃないけど自分の過去について回想するとき、恥の多い人生でしたって思うよ」みたいなことを言って、
「お前太宰すきなの?」と聞かれたので、「好きだよ、太宰ってゆうか、人間失格が」と答えて、「先生、誰が好きなの?一番オススメしたいのは?」という質問をすると「宮本輝けっこう好きだぞ、これは宮本輝本人からもらった本だから貸せないけど、いいよ、読んでみると」と先生の本棚から1冊おすすめしてもらったので、
さっそく読んだのが先ほどの「錦繍」だった。
錦繍を読んで、誰かに何かを伝えること、自分のためだけでも書きたいときに書くことは、いろんな面で大切なことかもしれないって思ったので急に更新しているのであります。
文章を書くのはおもしろい。一番は自分にとって。
しばらく漫画と情報雑誌みたいな本しか読んでなかったので、美しい文章に触れていこうと思った。
それはそうと、私はよく過去の愚行がフラッシュバックして「グワッ!!!」って超ダメージ受けるときあるんだけど、それって全員がそうなの?
それとも恥の多い人生を送ってきた私だけ???
ほんと高校時代を含め、過去の自分の所作振る舞いやら言動やら思考やらすべてに「ほんとすみません」って謝りたい気分だし、
別に卑屈になってるとかじゃなくて「お前もアホでブスのくせに何言っとるんじゃ」って感じでマジで突っ込み欲しかったけど誰も突っ込んでくれたかったことにも恥ずかしくて顔から火がでそうだし、
なんだか様々な恥ずかしいことや自分のアホさ加減について認識するたび、
「みんなほんと、こんな私と友達でいてくれてマジでありがとうね」ってところに行き着くんだけど。
うわ、長男と次男が同時に泣いてる、最悪だ、
ということで、さて、寝ます。また明日。
今の私は、私自身が記憶している中で一番ブスであると思う。
鏡見るのも憂鬱だ。
原因は明らかである。食欲がとまらずに体重が減少しないことと、産後の抜け毛のあと再度はえてきた髪の毛が3〜5センチ程度のところまで成長してきており、どうにも髪の毛がまとまらない。ぴょんぴょんと跳ねまくっている。
長男を出産後には髪の毛をショートカットにしたため目立たなかったが、今は鎖骨下あたりまで伸び放題の有様なので目立つのである。
あ〜ブスだなんて卑屈になって辛かったので、昨日美容室に言って久しぶりにカラーリングしてきました。
前回美容室に行ったのは次男を出産する前のことでしたので5月です。なんとまぁ。
髪の毛の色が少し整うだけでブス度が5%くらい減少しました。5%ってでかいわよね。
というだけの話です。
「ロングに伸ばそうかなぁ」と夫に伝えると「え〜〜似合わないんじゃないの」というので、
「じゃあショートにしようかな」と言うと「え〜ショートも似合わないんじゃないの」と。
「じゃあ何が似合うのよ」と尋ねると「そんなこと俺に聞かれてもわからないよ」と言われたので白い目で見ておいた。
友人も「あんたはどんな髪似合うんだろうね」と。私が一番知りたいってば
さて、おやすみなさい。
一同元気で暮らしてます。
私が鈍感であることについては、自分の中では有名な事実だ。
大雑把でマイペース、そう言い換えてもいい。
前の職場でも誰と誰がつきあってるだとか、誰と誰の関係が微妙だとか、誰と誰はどうのとか、そういうことについて自らやんわりと認識したことは一度もなかったし、
色々と自分の意見をはっきりの述べて周囲を引かせたこともあると思う。
もしくは自分の興味、やりたいこと、意見、自分の進むべき道などについて誰かの目線を気にして意見や行動を変えたことなど一度もないし、
言いたいことは言う、やりたいこともやる、自分の人生なんですもの、という様子が毛穴から滲みでている姿で過ごしてきたと思う。
ついでにいうと痛みにも鈍感で、盲腸で腹膜炎を起こすくらい我慢したし、指を骨折したときも気づかなかったし、出産もいたたた・・・うーんうーんなんて言ってる間にすぐ生まれた。
さらに言うと便意にもうとい。
自分の中身や周囲に対して鈍感であること、大雑把であること、マイーペースであることは、
私自身が生まれ持っている宝物だと思っている。
最近「気にする方の人」から、そういうの鈍感な人たちはもうちょっと気にして欲しい、もしくはよく気にしないで生きていけるよね〜、みたいな話を聞き、
「あぁあたしってほんと鈍感だなぁ・・・・」となどと再々再々再々再々再確認した出来事がふたつあった。
具体的には「子どものカゼがちゃんと治りきってないのに集団に入れる人いるけど、あれやめて欲しい、うちの子にうつるじゃん」「他のおうちに連れて行って子どもの手垢がベタベタするの気になるから気をつけてる」みたいな話で、
私はその話を聞きながら「ええっ、そんなの全然私も気にしない!!!!」と少し衝撃を受けた程度の小さい出来事だ。
いや、小さくない。これは小さくないことなのだ。
熱なんてなければ、そんなの全然気にしない「鈍感」な私の言い分はこうだ。
風邪をひいて体調を崩す。熱が出たので会社を休む、もしくは学校を休む、社会に出たらそんなことはたくさんある。
インフルエンザや他の感染症みたいに、何日間の出勤・登校謹慎命令が明確になっていない場合には、仕事もしくは学校を休む期間は個人の体調の回復具合に完全にまかされていて、
「鼻水がとまるまで」だの「食欲が戻るまで」だの言ってる暇なんてないし、
むしろ熱ないし元気なんだからさっさと行けよ、みたいな判断が多いと思う。
どんなウィルスや細菌に感染しているのかも不明なのに潜伏期間や感染期間を推測するのは不可能だし、なかには1ヶ月くらい感染力が継続するものだってある、
つまり風邪を予防することなんて個人の抵抗力や感染予防対策を高まるしか方法はないのだ。
その上子どものときに多くのウィルスに感染しておくとのちの免疫強化に繋がるため、小さい時にたくさん風邪をひいておくほうがのちに有利とまで書いてあるものもある。
決められた予防接種をうっていて、明らかに診察時に集団を避けるような指示がない場合に、自己判断して「人にうつつ可能性があるから自粛してほしい」というのは無駄な配慮だ。
明確な根拠が明らかにされていないのに、「そうだったら困る」という理由だけで相手にそれを求めるのはちょっと横暴だと思った。
「もうちょっと気にして欲しい」「こういうの気になるから自分も気をつけてる」みたいな話のはじっこには、いつもなんだか鈍感な人たちを少しバカにするような雰囲気があるような気がして、
気にしてない人が劣っているような、気にしている自分が配慮ある人間みたいな、
小さい頃からなんども言われた覚えがある、「あんたは鈍感だもん」「あんたは鈍いから」「どうせ気づかない」などという言葉をぼんやりと思い出して、私はなんだか少し腹がたった。
そこは鈍感なんじゃない。それぞれの考えがあるんだってば。
私の大雑把でマイペースで鈍感で雑な部分というかそれが私の半分以上を占めてると言っていいと思うけど、そういう人に私の言い分はどんな風にうつるんだろうか。
正論を話したとしても分かり合える気はしないし、
「風邪がうつるから治るまで集団にいれるのは遠慮して欲しい」という意見には、ただそれだけじゃなく、
子育てや生活、思想や信念、いろんなもの相違を示しているよなぁと思った。
私側の配慮としては、世の中には自分の正論や根拠を述べたとしても
「なんかやだ」「そういう問題じゃない」という反論にならない意見で返されそうだから、
そういう人と交わる時は「うちの人たち風邪ひきなんだけど大丈夫?」と一言聞くようにしよう
けどそう言われたら「からあげにレモンかけて大丈夫?」ってきかれたときみたいに、本当は「レモン嫌なんだけどまあいいか」みたいな返事でされそうだし、
つまりはやっぱり「うちは風邪引き終わったばっかだから自粛するわ」と自ら意見をまげて述べることになり、
そう考えるとそうやって誰かの目を気にして意見を変えたりしたくないし、本心と反対のことをし続けることは苦痛になるので
やっぱりこれは小さな問題じゃないんだよなぁと長々思ったはなしでした。
本心と違うことは一個もやりたくない。
やりたくないことはやらない。そう思ってないことはそうしない。
そういうのを捻じ曲げていくと、何がなんだかわからなくなるんじゃないか。そう思いませんか。
築地の問題で移転反対派の人が「安全だと示されてもそういう問題じゃない、信用できない」みたいなこと言ってたし、
安全は数値で示せるけど安心は示せない、全然関係ないけど、なんだかこれも同じ種類みたいな、そういうカテゴリーのことだよな。
私の大雑把でマイペースで雑で鈍感な部分を嫌に思う人は、私はその「気にする」繊細な心に不快な引っかき傷を残すタイプだと思うのでできるだけ住み分けして生活していたい。
これからこどものイベントなどで普段は関わりない人々と付き合うこともあるかもしれないので心がけよう。
そして私の大雑把でマイペースで雑で鈍感な部分を許容してつきあってくれている友人たちに感謝したい、アーメン
寝ます、おやすみなさい
息子と寝落ちからの復活パターンで深夜活動しています、こんばんわ、私です
本日の昼食時に、夫がキーボードにラーメンの汁をこぼし、Macのキーボードが天国に召されました。なのでエレコムの安いキーボードでブログを更新しています、すごくやりにくい。
夫はとほほほほ・・・みたいな感じで落ち込み、何度も「ださいよねぇ」など「打ちにくいよねぇ」などと私に同意をもとめてきたが、傷ついていた様子だったので「そぉねぇ」くらいの返答をしておいた。
そしてもし私が逆の立場でパソコンを閲覧しながらラーメンの汁を彼のMacにこぼしてキーボードをこぼしたんだとしたらなんと罵られただろうということを想像してゾッとしました。
誰かが何か失敗したときに、ついつい一言いいたくなるけど、責めたり罵ったり怒ったりしないというのは私のなかの注意している項目でもあります。
なぜなら私はよく色々と失敗するので、そのつどずーーーーーんという気分になるし、加えて誰かにそれをとやかく言われたところで改善する見込みがないということは自分が一番知っているからです、えへん。別にいばるようなことじゃないか。
そうそう、いきなりですが、最近ゾゾの古着で買い物してます。
専業で子育て中だと、自分の服を買うのにも罪悪感というか背徳感があり、自分でもらったお給料で何か買う時が一番気持ち的にもスッキリするけど今は収入がない、買いに行くタイミングもない、
なのでちまちまと安い服(主にユニクロなど)を買っては捨てを繰り返してたんだけど、
やっぱり着道楽の欲は満たされず、しかし高い服を自分の貯金から購入してもよだれや鼻水や食べこぼしですぐに汚染され、クリーニングに出す手間もカネも惜しいし、
そうなるとやっぱりガシガシ洗えて捨てる時に涙がでない安い服・・・ということになると気分的に高揚しない、しかし気分があがる服も着たい、というループにはまっていた。
ゾゾの買取は断捨離したときやブランド物を手放したい時なんかによく買い取ってもらっていて、ふと自分の売ったアイテムどうなってんだろうと検索してみると、
えっうそこれ新品みたいじゃん!レベルの洋服が、当然ながらものすご〜〜〜〜く安く売ってる!!
古着なら汚くなっても鼻水ついてもゲロにまみれても惜しく無い!!!って感じで大変気軽だし、素敵な服も購入できて、いろいろと満たされました。
自分が好きなブランドならさんざん試着したしある程度サイズ感も把握できているのでちょうどいい。
けど返品はできないので、ものすごい吟味が必要です。
独身時代で着ていた服や持っていた小さいバッグ、買ったのはつい最近のことと認識してたのに、いつのまにか全然似合わなくなっていた。
あんなにときめいてたケイトスペード、もうダメだよな・・・と思いながら友人に確認のメールをすると、「うん、もうダメだね」との返答。そうだ、娘だった時代はいつのまにか終了したらしい。
リップとSuicaとお財布だけいれておくリボンのついた小さなハンドバッグ、さよなら。
売りに出したことを伝えると、友人から「ひとつの時代がおわったね(笑)」とメールが着て、ほんと時代はあっという間の出来事だったなと苦笑いをした。
そしてちょうど今年20歳の義理の妹が「ハワイ行ったらケイトスペードのハンドバッグ欲しい」と言っているのを聞いて、なんだかちょっと羨ましくなりました、この先もものすごく楽しいことたくさんあるんだよな、この人。
楽しいことあるのは、まぁもちろん私もですが、青春は終了した実感ある。
ゾゾで古着買って着てますって大きな声じゃなんとなく言いたく無いけど、いいですよ。
外で活動するときのアウトドア用の薄いジャンバーとか、ちょっと着たいだけだからそこまで高くなくてもいい、だけどダサいのは嫌なんだよなぁ、ユニクロでもいいんだけどって時に、ユニクロと同じくらいの値段で買えるので、嫌じゃ無い人にはおすすめしたい。
さて、ストレッチして寝よう。おやすみなさい。
昨日の夜、突然生理がきた。
一年半年ぶりの生理だ。
長男を出産したときは産後四ヶ月で完璧で定期的なやつがきてガックリきたが、今回はさすがにちょっと遅くて安心してたのに、こうゆうのって突然くんだよな。
下着を汚している血液を確認し、なんとも言えないような気分になって脱衣所で着替えた。
夫はリビングで寝ている。
脱衣所から出ると薄眼をあけて私を確認したので「生理きたよ」と言うと、めんどくさそうに布団にくるまってしまった。
二人の息子と、夫と、わたし。
毎日のこと、くりかえし、何気無い日々が消費されている。
むせかえるような生活の匂いが自分からしてくる。
夜、かぞくがみんな寝静まっている中、YouTubeのマルーン5のPVをちいさな音量で流し、あまりの華やかさで胸が踊る。あぁ、アメリカだなぁ、アメリカに旅行していたのは本当に自分なんだっけ?なんてまた不毛なことを。
大人になるということは、こういうことなのだ。
どこにいたって、誰といたって、どうやって過ごしていても、生活の基盤が自分の色にどっぷり浸かって行くことこそが、地に足がついた生活、そうなのかも、などと納得させるようにつぶやいてみる。
布ナプキンをセスキソーダにつけておく琺瑯のバケツを準備しながら、なんか生理きて自分に戻った気がする、と思った。