Many and Very

いつ死んでもいいように、なるべくがんばって生きたいだけ。

生活のすきま

うちの息子たちは小学校2年生と4年生になったんですけど、いまだに寝かしつけしてます。

寝かしつけってゆうか、乳幼児に対しての子守唄的なあれじゃなくて

「お母さんも一緒に寝てよ」という感じで超誘ってくるのでしかたなしに一緒に寝床に入る、という感じ。

 

てゆーか自分がその頃なんてめちゃめちゃ一人で寝てたけど、今の子ってそうなんだ?みたいな感じで共に寝ている。周囲に聞いてもだいたいまだ親と寝ているとのことですので、まぁ時代の流れなのかなって感じ。

 

まぁ私のだいたいの日常といえば、5時半頃に就業して、それから帰宅にだいたい30分、6時にただいまーって感じで玄関の鍵を開けることが多いんですけど、

それからはもう、ヨイショ手洗いさて冷蔵庫食材だしてそりゃオラオラオラオラオラオラオラ風呂風呂風呂風呂風呂風呂風呂宿題プリント丸つけ片付け洗濯洗濯洗濯洗濯洗濯洗濯オラオラオラオラ

 

そんでやっと8時30分から9時の間に布団に入り、1日の大谷のニュースをツイッターで見て、ドジャースのニュースを見て、それから日ハム、あとは滝沢ガレソさんなどのトレンドニュースをみたり、あとはザラの新作だとか、シンゾーンなどの好きなブランドの新作だとか30分くらいゴロゴロネットサーフィンをして電気を消す、というまぁ流れなのです

 

昨日の夜、そうしてふと息子たちに

「あなたたち、お母さんはよくゴロゴロしながらスマホみてるなって思ってる?」

「おもってるね」「うん、思ってる」

「あのね、お母さんはお仕事中はもちろんスマホなんて見れないから、6時に帰ってきてご飯とか茶碗とか洗濯とか片付けとかしてさ、いまやっと見てるのよ、この時間しか大谷のニュースみたりできないってことを知って欲しいの!」って伝えてみると、

意外にもこどもたちは非常に優しかった。

「お母さん、もう電気消したあともさ、好きなだけスマホ見な!」

「今はお母さんの時間だから大谷見ていいよ!」などに加え、

「てゆーか1日有休(単語の意味覚えた)とってなーんにもしないでダラダラしてみたら?」「なんなら二日とって1日はお父さんに言って何もしない日作ったら?」などと労ってくれて驚いた。

 

息子たちって知らん間に友だちみたいなこと言ってくれるようになるんだよな。

ありがとね。

 

ちなみに息子たちは、「お金のこととかあんまり気にせずはま寿司で外食したいから、お母さんには仕事やめてほしくない」そうです。ちゃんとわかってんだわ、私の給料の大半が外食やセブンイレブンやマックでの散財に消えてることが。

 

しかしながらマクドナルドには難病の娘のことで非常にお世話になっため今後も散財は厭わないつもりです、えへん、三角チョコパイ

 

毎日元気にしてます。

何かにつけて娘のことは思ってる。

 

ほんとに大事なものはそばにいなくなっても、そばにいても、考えてる時間って変わらないんだなってことをつくづく実感してる。生活のすべてに娘のことを感じてる

 

北海道はこの前まで吹雪で超雪つもってたのに、今日は夏のはじまりみたいな暑さで驚いた。今年はたくさん出かけたい。そのためにがんばって働く

 

さて、おやすみなさい。

 

むかし好きだった、今も好き

SATCは私にとって、結構運命的というか、いつも心のバイブルみたいなドラマで、

20代前半から10年くらい、いつもそばにあって何度も見返してた大事なドラマ。

同じ年代には、そういう人多かったんじゃないかと思う。

タバコだってキャリーの真似して吸ってたし、そもそもブログを書き始めたのだってキャリーの影響を受けてのことだし、キャリーと同じ名前の18金のプレートネックレスももちろん25歳くらいの時にオーダーで作って今でも大事にしてるし、NYは今でも大好きだし、

ノロだって、自由なファッションだって、自分でお金稼いで自由を謳歌することも、女友達でコスモポリタン飲むことも、みんなみんなSATCのまねして楽しんだ。コスモポリタンは酒の弱い私には強すぎて無理だったけどさ。

 

突然何って、先日ついにSATCの続編を見たんですよ。素晴らしかったです。

サマンサがいなくなったり、みんな年齢を重ねてたり、なんだかネットニュースでの前情報があったし、

正直ここ何年かは子育てや再就職のことでそれどころじゃなかったし、U-NEXTのことも深く考えてなかったからみるのがこんなに遅れてしまったんだけど、すごい良かった。

 

今までのシーズンで一番好きかもしれない。どのシーズンもそれぞれ良かったけど、今回はそれくらい良かった。

いつも先輩として、楽しんでる姿を教えてくれてありがとうございます。

 

家族を亡くした人が、年々ますます辛い、平気なフリして生活してるだけって言うシーンはほんと涙出たし、

人生って若い時が最高って昔は思ってたけど、若いから最高ってわけじゃなくて、最高な人は若くても年老いてもやっぱり最高なんだよなって感じで、ぜひまだ見てない元ファンの方は必見です。

今回のファッションもものすごくいい。自分の好きなおしゃれをしようって気持ちになったし、キャリーみたいに素敵に服着るためには、ちゃんと体型維持は必須だなと気が少し引き締まりました。

 

年取るとファッションが自由になっていいですよね。モテとか男ウケとか流行とかブランドとかから解き放たれて、最近はすごい気楽だわ。

思えば「いつも素敵な人」みたいに周囲に思われたい願望が私の想像以上にあったのかもしれん。

加齢による潤い不足のため、ドライアイがひどいので、コンタクトもほぼ引退して、強度近視のぐるぐるレンズに、流行りのごっつい黒縁メガネかけてますが、最近はそのくらいがちょうどいい

現役の選手が引退する時って、結構こんな感じなのかも。もうミドルチームとして生きて、今後は地域のチームサポーターに回る、的な。

SATCについてはU-NEXTを契約し続けてくれる期間何度も見返したいと思います。

 

 

あとは、息子たちと一緒にドラゴンボールZを読んでいます。

30年ぶりくらいに読んだけど、絵のうまさにビビる。

昔はわからないことが、大人になってわかるってこういうこともあるんですね。

子どもの頃から大好きだったものが、本気の本物だって大人になった時に気づけることは、けっこう幸せなことなんだよな。

 

息子たちは40年前の漫画を読んで「最高、最高すぎる」と評価した。

そうそう、最高なんだわ、その漫画はさ。オラもでぇ好きだぜ

 

ノルウェイの森の永沢さんも言ってたけど、時の洗礼はもう受けてますよね、ドラゴンボールZ

 

最近はいつもの冬通り、わかさぎ釣り行ったり、スケートに行ったり、スキー行ったり、家でお友達とご飯食べたり、雪山で遊んだりと、北海道らしい冬を過ごしていました

 

きょねんの禁欲生活で服買わなかったので、1月と2月はほんとよく服買った。

私何してんだろ?って何回も思ったけど、服が好きなんですよ、私。何度も言うけどさ

死ぬ直前までエルのオンラインかバイマかゾゾタウンで好きな服買うこと考えてたい。

抑圧されると欲が爆発するってことを自らの実験により証明する私。

 

私のチャレンジしてると手塚治虫ブッダでそういうシーンあるなって思い出す。苦行に苦行を重ねて死んだりして、それでも苦行に夢中になり、「無意味だ、なんだこれ」ってシッダールタが悟るシーン・・・

そしてほんと私って欲に弱くて、無駄なことばっかりしてる人間だなって・・・

 

まぁ今更変えられないからいいんですけどね

 

 

 

年の瀬

先日、職場の先輩と漫画の話になり、私はゴールデンカムイ宇宙兄弟、先輩からはポーの一族をお借りした。

それ読んだら次は何読みますか、なんて話をしていたら、隣の同僚と上司が興味なさそうにやり取りを見ていたので「いつでも漫画かしますよ?」と話しかけたら「いや、大丈夫、読まないから」などと苦笑いしていた。

 

同僚は恋人やパートナーはいないので、「でももし好きな誰かがこれめっちゃ面白いし好きなんだよね、って言ったら読むでしょ?」と尋ねてみると「いや、読まない」というので「嘘ぉ!?嘘でしょぉ!だったらデートで何話すのぉ」ってなったんだけど、読みますよね?好きな人のおすすめの本やら漫画やらアートやら。

 

夫に聞いてみると「俺は別に興味なかったら読まない」とのこと。

嘘ぉ!?

じゃあ何、あなた私の好きなあれやらこれやらはあたいのことが好きだから見てくれてるんじゃなくって普通に興味が被ってるってことだったの?

 

私は読みます。好きになった男の人のおかげで広まった趣味はたくさんある。

 

いや、たくさんは言い過ぎか。幕末と森山大道くらいか。いや幕末は別に関係ないか。

まぁいい。

 

まぁ別にそれが何ってなんでもないんですけどね。

 

あっという間に年の瀬です。

 

40歳になったこのうさぎ年は、ほんとーにほんとーにほんとーーーーーに色々と、この忘れっぽい私も絶対に一生忘れられないであろうことがたくさん詰まりに詰まった一年だったな。

私はこの一年のために生まれたんだなって思う一年だった。

個人の生命としての役割は終了したと感じる。あとは余生。残った息子たちを大事に育て続けるだけ。ほんとそんな感じ。

 

娘がお空に行ってしまって半年がたった。

はてしなような、短く、そして長い半年であった。しみじみ。

 

いろんな嫌なことやら難しいことやらがあったけど、なんとか家族と仕事と友人たちに支えられて元気にやってます。

 

悲しみは降り募る一方。何を見ても娘を感じる。生きてることと、そして死んでしまったことの両方を。

 

まぁ私たちは生きてるんだから背負っていかなくちゃいけないですね。この先も。

 

 

あと今年は着道楽の私は服買わないチャレンジしてまして、それは見事達成!

5月頃シンゾーンから出たジーンズ買いたすぎて、え?ジーパンは穴開くし下着と同じだよね?ってカートに入れたところがハイライトだった。(小物と下着類はOKなルール)

 

手持ちの服と仲良くなった気がするし、物欲と向き合うことができてとっても楽しかったです。流石に職場に来ていく服がないから来年は服買う。ヒッヒッヒっ何をかっちゃおうかなぁぁ〜〜!?!?!?と好物の子どもを見つけた時の鬼婆の形相ですわ(3枚のおふだより)

 

来年の目標はコレステロールを下げる、にしようかな。本気で実験的にやってみる。

あ、いや、別にすんごい高くはないんすわ。正常高値なの。

 

来年の目標決めました?

どんな一年になりそうかな。想像もつかないですね。

毎年年の瀬に一年に書いたブログ読み返したりしてるけど、今年はまだそんな気になれないけど、来年の今頃は、もうちょっと気持ちが明るい方向にいっていたらいいなと思います。

 

みなさま、よいお年を!!

 

 

ひとりぼっちの

まぁ変な話なんですけど、別に変ではないか、

 

いや、しっかり考えたりしたら変っちゃ変と思うんだけど、

 

それはいいとして、

 

娘の死を知ってなお「娘ちゃんのこと聞きました。」とか連絡してくる人や、私の近い友人に「U子ちゃんのこと聞いたんだけど・・会いに行っていいかな?」などと連絡を取ろうとする人が時々いて、

 

正直言って非常に、心から不快だからやめて欲しいんですけど、

 

ひとの病気や訃報はゴシップと思ってる私としては「人ってそんなもんだから仕方ないな」と思ってる面もある。

悪気ないしな。

すごい善意。でも善意に興味がダダ漏れしてる。

えっ、亡くなったの?元気にしてたよね?何があったの?医療ミスとか?もともと生まれた時から入退院繰り返してたって、なんか心臓が悪くて、エトセトラ。はぁ、気が重い。

 

別にいいんですけどね、ゴシップだから何をネタにされていたって。

私たちだって誰かのDVや不倫ネタやシモネタでは小一時間盛り上がる。

いや一方でインボイス制度とサルトルの話だってしますけどね。嘘です、しません。いやインボイスはするか。

 

「落ち着いてきたかな?」って落ち着くて具体的にどんな状況?

ご飯食べてるってこと?まぁ排泄とかしてるけどね。

仕事行ってるってこと?仕事の時は娘のこと考えなくていい唯一の時間だからね。

 

別にこっちはわざわざ話題にしないし話してなんていないんだわ。

娘ちゃんどうしてるの?って聞かれた人には正直に言う。

そしたら何があったのって聞かれるから答える。相手をなるべく短時間で納得してもらえるテンプレはもうできてる。それを言う。

そうすると「そっか、それはたいへんだったね」「それは辛かったね」「よく頑張ったね」

「強いよね、U子ちゃんは」などと納得してもらえる。

そして言われたことを一人で(主に通勤のため)歩いてる時に思い出して削られる。

 

だってね、本当のこと言ったらあなた困るでしょうが。

私が用もないのにドラッグストアの赤ちゃん売り場をうろついて泣いてるって言ったら困るでしょうが。

用もないのにバースデーに立ち寄って赤ちゃんの服買おうとしてるっていったらどうすんのよ?

毎日酒飲んで酔っ払って韓ドラみて寝落ちしないといつまでも写真見続けて朝迎えるって言ったらなんて返すわけ?

 

まぁそんなこと思いながら

「いや、しかし、全く悪意はないのである」などと呟く。だって誰も、可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い我が子を亡くしたことなんてないんだし。

 

私だって立場が違えば何を言ってるのかはわからない。とても善良な人が、純粋に私を労ってくれるのは、もちろん理解してる。だから勤めて悲しいけどだいじょうぶ全然へいきですって顔で、テンプレで返す。

 

「今度お参りでも行かせてね」も最悪ね。

「いや、別にわざわざうちで参らんでいいから家でやってくれる?」と言いたい心を大人気ないし非情だからもちろんグッと抑えてニコッとしてます。

 

悪気がないことも労ってくれてることもわかってる。わたし今は何をしたって傷つくんですよね。普通にしてほしいだけ。失ってない誰かに何かを語りたいことなんて無いから。

 

グリーフケアの会でも参加してみようかな。

同じ経験をした人になら、話せる気がする。

 

まぁ最近の心境についてのただのぼやきでした。いつもムラなく明るく元気よく。

ほんとこういう時に元気出て癒されるのは、楽しい小説だったり、映画だったりドラマだったり音楽だったりスポーツなんだなって。つくづく感じる。

 

という愚痴でした。失礼しました。

 

さてと、寝るか。

 

お星さま、おやすみなさい。娘もネンネする時間なのでそろそろ返してくださいな。

 

 

 

先人のあれこれ

先日、日ハム対ソフトバンク戦を観戦しに、家族でエスコンフィールドに行ってきました。

友人夫婦が抽選で当選したチケットをもらったのです。

 

エスコンのある北広島までは長距離ですが、娘の通院で自宅と病院を往復しまくった我々には慣れたものです。

 

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試合は最高だった。

CoCo壱番(ここ一番)の大声で「万波イィぃ!」と叫んだ私たち。

勝った時しか放流されない金のしゃけ丸も大量放流されて、いそいそと長蛇の列に並んだけれども、さすが会場内オールキャッシュレス決済。

現金がないってこんなに楽ぅ!?ってくらいラインも早々と進み、ペイペイ〜の声がひびきまくる中、無事にゲットして帰宅。めっちゃ元気もらいました。

 

「娘も連れてきたかったね」「娘も来てたらきっとこうだったね」「娘は今頃疲れて寝てるんじゃないかな」なんて言いながら応援。

 

ほぼ満席状態のスタンド(4階席まである)を見ながら、この中に大切な宝物を失った人、どのくらいいるんだろうな、なんて思いを馳せる。

まぁそれなりにいますよね。私たちだって他から見ればまさかちょっと前に可愛いかわいいかわいい我が子を失った家族とは思われないでしょう。そりゃそうだわ。

 

そうして娘の主治医から「最高の試合でしたね〜!」なんて夫と私にメールが届く。

 

前にも書いたけど、娘の主治医は偶然にも我々夫婦の高校の先輩で、退院時はもう先生に会えないことが寂しく名残惜しかったこともあり、退院するときに連絡先を交換し、先日も夏休み中に家に遊びに来てくれたりして、非常にありがたい話です。

 

いや、向こうからね、向こうから「これ俺の連絡先・・・」って教えてもらったんですよ。我々が聞いたのではなく。

 

先生からメールをもらうと、娘のこと忘れてない人、私たち以外にもいてくれてるんだよなって思ってげんきでる。

娘のいない日常を普通に生きてると、生きてない方に慣れていきつつあって、そこにそこはかとない悲しみが襲ってくる時あるけど、それが緩和されるというか。純粋に嬉しい。

 

ということで非常に楽しかったです。めっちゃペイペイしまくったわ。

 

ところでいきなり違う話ですが、

人が窮地に立った時って、乗り越える時の考えた方の癖みたいなのがあると思うんだけど、

例えば「あんな風にはなりたくない」とか反面教師を引っ張り出して鼓舞したり、

逆に「ま、考えてもしょうがないし考えるのやめよ」なんて思考すること自体を遮断したり。

 

私はというと「こんな思いしてるのは私だけじゃなく、地球に生きる人の多くがそうなんだ」と先人たちを思って自分で納得させることなんですよ。

 

例えば陣痛で今まで経験したこともない痛みに襲われてる時も「いや、待て、人のメスの全てこの苦痛は味わってきたはず、長い人類の歴史を思え、私にもできる」って思ったし、

乳がん検診でおっぱいぺたんこにされてイタタタなんてした時も「みんなやってるから大丈夫」って自分を納得させたし、

就職試験を受けた時も「めっちゃ受かってる人いるし、あの人でも受かったんだから私も受かる」(失礼)とか思ったし、

仕事でみんなの前で話すのに緊張してる時も「国連で歌ったBTSよりは緊張してないから大丈夫」って、まぁ、キリないけど、そういう。

 

それでいうと今回のことも、

この人類の長い歴史の中で、最愛の子を亡くした親は大勢いる、その大勢の親だって、みんななんとか失った我が子を思いながら、なんとかかんとか生きていて、

悲しみを胸に、日常に死がなじみながら、そうやって自分も死ぬ時に「ああやっとあの子に会えるな、やっとそっちに行けるよ」なんて思うんだろうなって。

 

今までわたし、気づかなかったけど、

誰かの部屋やそこに住む人がお線香くさいのは、部屋がお線香の匂いがするほど、お線香に火をつけて、亡くなった人を思う時間があるってことだし、

お線香つけてお参りやお祈りをしたいような大切な誰かを亡くしてるってことだし、

大切な亡くなった人を思いながら宗教的な儀式を行うことは、自分の日常の中でその人にかけていた時間を取り戻したいからだし、

あぁそういうことだったのかって。

いろんなことが、あぁこれは、亡くなった人の死を、こんなふうに大切にする自分の時間だったのかって、そんなふうに思うこと、たくさん増えた最近です。

 

悲しみを抱えて生きていくって、こういうことなんだなって。

 

エスコンに行って元気もらったり、仕事であった人から優しさもらったり、面白い話聞いたり、そうやって生きていくことが、これからの私の人生なんだよな。

 

 

さて、明日も仕事頑張るぞ。おやすみなさい、お星さま。

 

 

お星さまに

夏になる少し前のこと、我が家のかわいいかわいいかわいい最愛の長女がお空に行ってしまいました。

 

 

大丈夫、何も言わないでいるのが正解だと思う、少なくとも私には。

我が子を失った人にかける言葉なんて存在しない。

何を言われても、「どうか何も言わないで」と思って過ごしてきた。

わかったようなこと言わないで、私を慰めようとしないで、あなたの言葉になんて私慰められない、そう思ってしまうほどに悲しみは深い。

 

お空に帰ってしまったことを、「お星さまになったんだよ」という表現を、これまでいろんなところで見たり聞いたりしてきたけど、

娘を失ってきく「お星さまになったんだ」という響きは格別の意味を持っていた。

 

お空で待っていてくれる、娘もひろい宇宙の、キラキラのお星さまに混ざって、いつもあんなふうに、ふわふわと可愛く、大好きって、わらって見ていてくれる。

 

おかあさんはだいじょうぶだからねって約束したけど、

こんなに悲しいことがあるのか、というほどに悲しい。

 

いつまで経っても悲しみは日々悲しみのままそこに存在していて、今でも嘘かと思う。

いないことが嘘のよう。

嘘だって言ってほしい。

本当は夢だよって、そうだったら、もしそうだったんなら。

 

娘のいない世界は、これまでと同じように変わらない日々で、失った私たちの喪失だけがそこでそのままでいる。

 

私たちの時間はずっとそこから動けない。あの大事だった日々、娘が頑張っていた日々、いなくなってしまったあの時、いつまで経ったって、そこの気持ちから、目を離せない。

 

自分が二手に分かれたようで、日常を楽しみ、目の前の生活を進んでいく私と、

いつまでも可愛い最高にいとしい娘のそばで、共にいる永遠の私。

 

時間と共にそれが乖離しないでほしい。できたら二つの自分は、いつも共にいてほしい。

 

 

あれから日々忙しく、仕事も当たり前に始まって、何にもなかったかのように仕事してるし、家族の生活はいつも通り進んでいくけど、もう前には戻れない。

 

私たちは失って、それでも未来を生きていくしかない。

昨日の続きは

誰かに起こることは自分にももちろん起きる。

日々そんなことを、特に3番目の子を妊娠した時からは強く意識して生活してきた

 

不幸だって幸せだって、いいも悪いもない。誰にだって訪れる。

 

 

長女の妊娠中、大学病院の産婦人科の待合で、大きくなった腹をさすりながら、うーむ、今から生まれるこの人って一体どんな人生になるんだろ?大変なこと、たくさんあるのかなぁってことを漠然と思った。

その時私は、遠藤周作の「深い河」をちまちま読んでいて、別にそれ自体は「あぁそういう世界もあるんだ」くらいの感じだったけど、今になってあの頃を思い出すのは、病院の無機質で大きなエスカレーターと重くて丸い私のお腹と、ディープリバー。

 

他の人の人生なんて、ちっとも考えなかったけど、あそこの大きな病院にいた人たちのこと、大切な誰かが入院してたり、大切な誰かが治療してたり、大切な誰かを無くすかもしれなかったり、してたのかもな。

 

北海道は広大な土地ゆえに、地域から札幌中心部に具合が悪い患者さんを搬送するには、ものすごく時間がかかって、それは医療だけじゃなく、他のなんだってそうなんだけど、

だけどやっぱ当事者になると、それは本当に、文字通りその通りで。

 

大きな北海道に小児の集中治療室は全部で6床。こども全部で6床。

その6床守るために、めちゃめちゃ働いてる人たち。

想像すると、水の波紋みたいに広がる人の輪。そういうこともぜんぜん知らなかったよなぁ、なんて気持ちになったりして。

 

2−3日前から北大病院にPICUを作るためのクラウドファンディングを行なっていて、微力ながら1万円募金した。

 

北海道全部のこどもで6床のICUをなん度もなん度も使わせてもらった子の身としては、やっぱりそういう世界をこの先もずっと応援したい。

 

疲れてたって悲しくたって頑張ってたって笑っていたって人生は続く。

続けることを頑張らなくちゃいけないですよね

前を向くこと。全部抱えて、そうやって続けていくこと。いつもの毎日を続けること。

 

今日はこれから、次男が音読の本で読んだ「注文の多い料理店」の続きが気になるって言うから、図書館まで借りにいくし、夕方はお客さんが来るから迎えるし、明日は明日で用事がある。

 

毎日そうやって続ける。いろんなこと祈りながら。